RECRUITMENT
世界初に挑む
たかがホース、されどホース。ホースの世界は意外に奥が深い。彼は建設機械や自動車に搭載される特殊なホースの開発に携わっている。中でも、燃料電池自動車(FCV)に水素ガスを充填する水素ホース開発には、手間も時間もかけてきた。マイナス40度という低温で、超高圧の水素ガスを流体として使用する水素ホース開発は、当時世界初の試み。構造や試験の評価方法、製造方法に至るまで、周囲に答えはなく、すべてゼロベースでつくりださなければならなかった。
水素ホースはゴム製ではなく、樹脂やワイヤー、繊維などを組み合わせた複合体だ。構造設計技術や、加工技術など、横浜ゴムがタイヤ開発で培ったノウハウを生かせる部分は多い。とはいえ、タイヤとは違い、空気だけではなく油やガソリン、ガスなどの多様な流体を流すホースであるため、非常に高い耐久性能、耐圧性能を必要とされる。一般的な乗用車タイヤの空気圧は0.2MPaほどだが、水素ホースにかかる圧力は82MPaにもなる。さらに製品として安全性を確保するには、その数倍の耐圧性能をクリアしなければならない。「82MPaと聞いても、いまいちピンとこないと思います。分かりやすく言うと、力士5.5人を指先に乗せたときにかかる圧力ですね。と、言われたところで、まだまだピンとはこないと思いますが……(笑)」。いずれにしても、想像を絶するほどの圧力に耐えられるホースが必要だったのだ。
“こだわり”という名の障壁
単に耐久性を上げるだけなら、金属でガチガチに固めればいい。しかし、FCVに使用される水素ホースの場合、誰もが水素ステーションで水素を補充できるくらい扱いやすくなければならない。鉄棒のように固く、重たい水素ガス充填用ホースでは話にならない。扱いやすさを追求するには、丈夫であると同時に、軽く、柔軟であることは譲れない条件だった。
しかし、こうしたこだわりが開発を一層難しいものにした。仮説に基づいて試作品をつくる。試験を経て、思うような性能が出ないと原因を探る。そして再度試作品をつくる……。この作業を何十回と繰り返した。しかし、ゴールは見えなかった。「原因を特定しようにも、前例がないために検討項目があまりにも多すぎました。水素ホースは樹脂やワイヤー、繊維など複数の素材で構成されています。そのためワイヤーや繊維の配置だけでも、そのパターンは数え切れません。加えて、使用する原料特性も複数あるため、検討すべきパターンの数はもう膨大です」。果てしなく存在する選択肢の中から、“正”となる構造や組み合わせを引き当てる。それは、困難を極めることだった。資料を見つめ、試作品を見つめ、考えあぐねる日々だった。
原理原則に答えあり
彼には、行き詰まったとき、必ず立ち戻る考え方がある。1つは“三現主義”。“現場”に足を運び、“現物”を手に取り、“現実”を自分の目で見て、触って、確認すること。人づての話には、必ず誰かの主観が入っているため、正確に事実を把握するには、自分の五感で確認するのがもっとも間違いがないからだ。もう1つは“原理原則”に答えがあるということ。「水は上から下にしか流れないように、あらゆる物事はなるようにしかならない。あるとき上司にそうアドバイスされました。私自身、とても納得することができ、それ以降は、考え過ぎて迷路にはまり込みそうだと感じたとき、この視点で『事実』を見つめ直すようにしています」
水素ホースの開発でも、迷ったときにいつでも立ち戻れるよう、事実を詳細に書き留めていった。日付、気温、湿度、試作品の細かな仕様、試験内容、試験結果。圧力に耐えきれず破損したのであれば、繊維とワイヤーのどちらに破損が多かったのか、破損に何かの規則性は見いだせないのか──。とことん、事実をノートに書き記す。データを集めるだけのために1年近くの時間を費やした。それでもゴールは見えなかった。
いつの日か叶えてみせる
地道な作業を積み上げていっても、一人では答えにたどり着くことはできなかった。限界というものを、こんなにも身近に感じたのは初めてだった。しかし、彼にとって果てしなく遠いと感じる道のりでも、彼にはない専門知識や考え方を持っている人にとっては、たいした道のりではないようだった。「材料についてはMB材料技術部に専門家がいて、私など遠く及ばない知見に基づいたアドバイスがもらえました。茨城工場のスタッフや共同開発している社外のエンジニアの方々もそうです。同じホース配管技術部の先輩や上司であっても、それぞれに新しい視点がありました」
各方面のスペシャリストの協力を得たことで、ようやく一つの答えにたどり着く。開発を成功に導くには、自分自身の技術レベルの向上が大切だ。しかし、それ以上に、いかに自分に協力してくれる仲間を増やせるかが鍵になる。彼はこのプロジェクトを通じて、それを学んだ。
現在は、より高性能の水素ホースの開発を行っている。再び世界初への挑戦だ。例によって、道のりは険しい。でも、どれだけそれが道なき道であったとしても、彼には道しるべがある。「“三現主義”と“原理原則”を忘れず、心強い多くの協力してくれる人たちと力を合わせれば、必ずゴールが見えてくると信じています。そしていつの日か、横浜ゴムの新たな製品を多くの人が当たり前のように使える世の中にしてみせます」。そう言ってのけた彼の表情は、少年みたいに無邪気に見えた。