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キャリアストーリー
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決意の記憶

M.MAEDA

静岡カンパニー本社
2004年 新卒入社
経済学部 経済学科 卒

Chapter 01

晴天の霹靂

3階の会議室に入ると、その場にいる全員の視線が私に集まった。静岡県内の各営業所を束ねる所長たちが10人ほど、コの字になって座っている。ある人は微笑み、ある人は怪訝な表情を浮かべ、またある人は無表情でこちらを見ていた。じわりと身体が熱くなり、汗が背筋を伝った。

その日の朝は晴れていたが、昼を過ぎた頃から雨が降り始め、だんだんに雨脚を強くした。風が吹きすさび、ときおり雨粒が窓を叩いた。静岡市駿河区の街並みが、窓に張りつく結露を透かしてぼんやり見えた。車の行き交う県道384号線が、駿河湾に向かってまっすぐ伸びている。その青ざめた風景は、これから訪れる冬を告げているようだった。

一人の所長が沈黙を破った。
「結論から言う。タイヤガーデン静岡の店長を、君に任せたい」

2006年の秋、私が入社3年目の頃である。

Chapter 02

命に関わるもの

幼少の頃、父はよく、私を助手席に乗せてドライブに連れて行った。

父の影響を受け、私自身も自動車にのめり込む。18歳で免許を取り、アルバイトで貯めたお金でスポーツタイプの中古車を買った。大学が休みの日は、とにかく走りまくった。夜中ドライブに出かけ、朝方帰宅して就寝。夕方起きて、夜にまたドライブ。目的地はどこでもよかった。車内に響くエンジン音を全身で感じながら、あてもなく走ることが好きだった。

大学3年の冬に、友人の車でスキーに行った。大丈夫だろうとたかをくくり、ノーマルタイヤで雪道に臨んだ。

その夜、事故に見舞われた。突然スリップしてしまったのだ。私たちはスキー場にたどり着けず、凍えるほど寒い中、朝まで交通整理をしながら警察の到着を待った。

運良く大事には至らなかったものの、一歩間違えれば命に関わる事故だった。スタッドレスタイヤを履いていればスリップしなかったかもしれない。タイヤの重要性を身をもって痛感した。YTJに入社したのは、この経験があったからだ。タイヤは人の命に関わる大切な自動車部品。その販売に携わることは、間違いなく誰かのためになる。迷いはなかった。

Chapter 03

責任

2004年、YTJ入社。静岡県内の営業所で配送・サービスに従事し、商品をお客様のもとへ届けたり、タイヤの交換作業を行ったりした。その後、電話対応や資料づくりに取り組みながら、上司や先輩から営業のイロハを教わった。

3年目のある日、当時のカンパニー社長に呼び出される。
「明日、所長会議に来てくれないか?」
「承知しました。あの、僕、何かやらかしましたか?」
「さあね。来れば分かるよ」
社長はニヤリと笑い、私の肩を軽く叩いた。

そして翌日、タイヤガーデン静岡の店長に任命されたのだった。自分が問題を起こしていなかったことには安堵したが、突然のことで状況がうまく飲み込めない。二つ返事で「やります」と言ったものの、入社3年目でその役割を担う責任の大きさを、私はまだ分かっていなかった。

「タイヤガーデン」とは、全国に展開しているヨコハマタイヤのコンセプトショップである。エンドユーザーに対するタイヤの販売をはじめ、点検や履き替え作業など多岐にわたるサービスを提供している。2006年当時、横浜ゴムグループとして、認知度向上を目的にタイヤガーデンの店舗数を増やす方針を立てた。その一環として、静岡市内でも新規店舗を出店することになったのだった。

Chapter 04

のしかかる不安

「本当に僕で大丈夫ですかね?」
「私も驚いてる。こんなことあまりないからね」と、当時の所長は言った。
「どういうことですか?」
「普通、直営店の店長は中堅以上の社員がやるものだから」

YTJの一般的なキャリアパスは、入社後、配送・サービスや先輩社員との営業同行を通じて基礎を学び、その後ガソリンスタンドやカーディーラーなどを対象とした法人営業に取り組む。直営店への出向を経験するのはそれからだ。私の場合、基礎固め期間はあったものの、営業経験がほとんどないままに出向することになった。

不安とプレッシャーがのしかかる。一方で“ワクワク”していたのも、また事実だ。

若手ではそうそう経験できない仕事に挑戦できることに燃え上がるものがあった。もちろん大変なこともあるだろう。でも、そこでしか経験できないこと、そこでしか学べないことがたくさんある。根拠はないが、そう予感していた。

開店までの一カ月、店長としてやらなければならないことはたくさんあった。店舗内のレイアウトや陳列する商品など、他店舗から移ってきたスタッフと二人三脚で細かい部分を詰めていった。販売の最前線に立つ以上、商品知識のインプットも欠かせない。他店を見学し、接客を学んだこともあった。

Chapter 05

一人ひとりと向き合う

2006年の冬、タイヤガーデン静岡は無事にグランドオープン。

一人目のお客様のことはよく覚えている。50代くらいの男性の方だ。すでに自家用車にヨコハマタイヤを装着されているが“開店祝い”ということで新しいタイヤを買っていただいた。YOKOHAMAブランドが地域の方々から愛されていることを改めて感じた。

接客において意識していたのは「お客様一人ひとりと向き合う」ことだ。店として売りたい商品を押し売りするだけでは買ってもらえない。車種や家族構成、休日の過ごし方など、お客様と向き合いながらさまざまなことをヒアリングした上で、ニーズに適したタイヤを提案する。それが本当の意味で「お客様のためになる」ことだと信じていた。

幸いなことに売り上げは着実に上がっていき、常連のお客様も増えていった。努力が数字として表れることがうれしかった。

私のミッションはタイヤ販売だけではなかった。日々の売り上げの管理や損益の計算も、その一つ。YTJの営業拠点であれば経理部があり、数字に関するあらゆる業務を担う。一方で直営店では、店長がそのすべてを行う。小さな店舗ではあったが「経営」というものを学ぶことができた。

Chapter 06

新たなステージ

タイヤガーデン静岡での5年間は、怒涛の日々だった。正直なところプライベートを犠牲にするときもあった。しかし、辛いと思ったことは一度もない。店長という仕事に夢中になっていたからだ。常連のお客様との車談議。お客様からいただく「ありがとう」の言葉。一つの組織を運営している手応え。一つひとつの喜びが、私を前に突き動かした。

2011年、店を後任に託し、仕事のステージは法人営業へと移る。

直営店の店長と法人営業では「お客様」が異なる。前者はエンドユーザーであるのに対し、後者はガソリンスタンドやカーディーラーなどの販売店に対して営業活動を行う。販売規模も営業スタイルもそれまでとは違うため、慣れるまでに少し時間がかかったが、あらゆる困難にやりがいや面白さを見出しながら、自分なりのやり方でキャリアを積んでいった。

その後は首都圏営業本部で静岡を中心に東京、神奈川、千葉の4つのカンパニーを横断的に管理して販売計画策定などを行い、市況や販売方法、経営的な目線を身につけた。続いて静岡県内2拠点の営業所の所長を経験し、首都圏営業本部で学んできたことを地域に合った形にアレンジし、販売促進につなげられるよう努めた。同時に営業所内の部下のマネジメントにも取り組んだ。現在は静岡カンパニー本社の部長として、静岡エリア各営業拠点の得意先の取りまとめを担っている。

Chapter 07

これからもずっと

YTJで走り続けてきた20年間。長いようで、あっという間だった。振り返ってみれば、人知れず、ある一つの決意を胸に挑戦してきたように思う。

原点となっているのは、あの記憶だ。学生時代の事故の記憶。スタッドレスタイヤを装着していなかったがために、夜中の雪道でスリップしてしまい、凍えそうになりながら朝を待った、苦い青春の思い出。

入社後早々、直営店の店長としてエンドユーザーと直接関わったのは、何かの巡り合わせかもしれない。「自分の売ったタイヤが、やがてお客様の命を守ることになる」。そう何度も思い返しながらお客様一人ひとりと向き合ってきたのも、あの記憶があったからだ。その後のキャリアでも、販売店の向こうにいるエンドユーザーの方々をいつも思い描きながら営業活動に取り組んできた。

若手時代と今とでは、立場も責任も違う。人材の育成も大切なミッションである。あの頃のように、ただひたむきに営業に取り組んでいればいいわけではない。それでも私の軸はぶれはしない。

タイヤを通じて、安全・安心を生み出したい──。

これから先もずっと、その決意を胸に突き進んでいくのだろう。

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