SUPER GT 2015 (4)

前回はGT500を戦うふたつのチームをご紹介したが、GT300も戦いの熱さではGT500に全くひけをとらない。多彩な車種が鍔迫り合いを演じているGT300クラスでは、“勝てるタイヤ”としてヨコハマタイヤをチョイスしているチームも多いが、その中から主なチームの横顔をご紹介していこう。



長谷見昌弘 監督 [B-MAX NDDP GT-R]
-史上最強のGT-Rと最高のドライバーで、チャンピオンを目指します-

今年のGT-Rは、すごくいいですよ。現場の我々の声をニスモがしっかり聞いてくれて、ほぼ理想的なアップデートをしてくれましたから。軽量化や前後の重量バランス、空力、ブレーキ性能、それと燃費の向上まで。間違いなく言えるのは、史上最強のGT-Rだということ(笑)。

GT300最強かどうかは、まぁ他のクルマの状況が分かりませんから、こればっかりはやってみないと、あとサーキットやコンディションによっても変わってきますから、何とも言えませんけど、我々の中では理想的な仕上がりで、満足のいくものを与えてもらったと思っています。

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ドライバーに関しても(星野)一樹は今さら特に言うことはないけれど、去年は一度も失敗なしで走ってくれました。これはすごく重要なこと。今年も安定していますね。新しく加わった高星(明誠)も、F3ですでに知っているつもりでしたけど、こうしてGTに乗せてみて、あらためて吸収力の高いドライバーだと思いました。

こういうクルマに乗るのは、ほとんど初めてじゃないですか? それなのにフレッシュタイヤじゃなくても、コンスタントなタイムで走れるし、スピンもしない。言われたことも、そのとおりできるから、安心して見ていられます。このコンビなら、十分チャンピオンを狙えるポジションにいるんじゃないですか? そのためにも最低ふたつは勝たないと……。

タイヤに関しても、オフのテストをしっかりやって、ドライはかなりいい出来。どんな状況にも対応できるものを用意してもらえたのですが、ウェットに関しては、ちょっとテストが十分にできていなかったんですよ。それが気になっていましたが、実際に開幕戦でね……。まぁ、厳しい状況は自分たちだけじゃなかったし、タイヤだけの問題ではないのですが、あの難しい状況で積み重ねられたデータは、すべてにおいて今後に役立つと信じています。


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DRIVER LINEUP

星野一樹 選手

1977年10月13日生まれ、東京都出身。
「日本一速い男」こと星野一義氏の長男ながら、強い反対を受け続けてきたため、レースデビューは遅く1999年のカートレースから。その後はイギリスでの武者修行を経て、ステップアップは駆け足で。’02年から全日本F3選手権、’06年にはフォーミュラ・ニッポンにも参戦した。SUPER GTには’03年から出場し、’06年から2年のGT500経験を経て、現在のGT300に。’08年と’10年にシリーズチャンピオンを獲得した。

高星明誠 選手

1993年1月24日生まれ、神奈川県出身。
2007年よりカートレースを始め、’08年から2年間、全日本選手権のKF-1クラスを戦い、ランキングは7位と4位。ニッサンの若手ドライバー育成プログラム「NDDP」に加入してFCJ(フォーミュラ・チャレンジ・ジャパン)を’10年から戦った後、ステップアップした全日本F3選手権のNクラスで’13年にチャンピオンを獲得する。現在も全日本F3選手権に参戦中で、昨年は最後までタイトルを争いながら、ランキングは3位に。今年は開幕戦で優勝。SUPER GT第3戦で優勝した翌週に行われた全日本F3選手権第10戦と第11戦では連勝を果たす。



土屋春雄 監督 [VivaC 86 MC]
-結果は別もの、このクルマの力を最大限出し切りたい-

去年もGTA(GTアソシエイション/SUPER GTの統括団体)の仕事でサーキットにはいたけれど、こういうチーム側の立場にいるのは久しぶり。戻ってきて、「お帰りなさい」とか、「やっぱり、いちばん似合っているよね」とか、みんなに言ってもらえたのがすごく嬉しかったよ。まぁ、自分でもこういう現場にいるのは、すごく好きだからね。

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今年からマザーシャシーを走らせることになったんだけれど、今はまだ失敗の部分を潰している最中。まだ何が出てくるか分からないし。でも、見えているところは、全部潰せたのかな……って感じではありますよ。実際、これからですね。マザーシャシーにも制約はいくつかあるんだけれど、FIA-GT3に比べれば、雲泥の差。やれること? うん、いっぱいある(笑)。だから、やりがいはありますよね。タイヤに関しても、だいぶ開発してくれたみたいだよ。

自信? それは俺らからすると、持っているポテンシャルを「最大限に」引き出すことしかできないんだよ。同じレギュレーションの上で戦ってはいるとはいえ、FIA-GT3なんか、いろんなパターン、仕様があるじゃない? それによってコースとか、コンディションによって有利、不利が分かれることもあるだろうし、もしかしたら俺らのマザーシャシーがレギュレーション的に、ものすごく不利な可能性もあるわけだ。だからこそ、このクルマの力を「最大限に」出し切る、というだけなんだよね。だから、結果は別もの、いろいろあるから。

持っている力の中で、ベストを尽くす、もうそれだけだよね。あと、タイヤメーカーもいっぱいあるから、時に当たり外れもあったりするじゃない? まぁ、でもね、やれること、やりたいことは、とにかくいっぱいあるんだよ。だから、楽しみながら、やっていきたいと思っています。


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DRIVER LINEUP

土屋武士 選手

1972年11月4日生まれ、神奈川県出身。
土屋春雄監督を父に持ち、幼少の頃からレースは身近な存在。理論派ドライバーとして知られ、また現在もエンジニアを兼任する。カートレース、FJ1600、全日本F3選手権などを経て2000年から’08年までフォーミュラ・ニッポンに出場。GTには’96年から参戦し、’00年からトムス、’06年からつちやエンジニアリングでGT500を戦った後、’10年からはGT300に限らず、さまざまなカテゴリーでプレイングマネージャーを担当。

松井孝允 選手

1987年12月15日生まれ、広島県出身。
‘06年の岡山FJ1600でレースデビューし、緒戦で足を曲げながらトップチェッカーという離れ業を果たす。この年、チャンピオンに輝き、’07年からメーカーのスカラシップで3年間、FCJを戦うも、目立った成績を残すことはできず。その後、実力を高く評価する土屋武士選手のサポートの下、スーパー耐久やF4を戦って腕を磨き続け、今年はGT300デビューも認められた。すでにQ2や決勝スタートを託されるまでに。



ピエール・アルノード 監督 [Audi R8 LMS ultra]
-優勝を狙うというのは、ヨーロッパでも日本でも変わらない-

僕は今まで5年間、ブランパンGTシリーズを戦うWRTでフリーランスのエンジニアをやってきて、昨年はチャンピオンも獲れたんだけれど、昨年の冬、チームにHitotsuya Racingからコンタクトがあったんです。それで一緒にやることが決まって、じゃあ誰が行くのかって話になった時、僕は真っ先に手を挙げたんです。キャリアも積めるし、経験も積めるし、何よりいろんなレースの、いろんなチームを見てみたいと思ったから。それが日本に来ることになった、きっかけです。

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今、Hitotsuyama Racingが注目されているチームのひとつだというのは、僕自身も強く感じています。その理由としては、WRTからコンディションのいいマシンを購入したから、というのがひとつ。それともうひとつは、自分たちとのコラボレーションによって、いろいろ変化が出ていて、しかも結果に結びついているから。アウディR8 LMSウルトラというクルマを熟知した、僕が監督兼チーフエンジニアとして、さらにメカニックもWRTから派遣されて、いい部分を最大限に引き出せているのは、かなり大きいと思いますよ。

僕がヨコハマのタイヤに関わったのは初めてで、ヨーロッパでは違うメーカーのタイヤを扱っていました。それに比べ、構造もコンパウンドもヨコハマのタイヤは違うし、もちろん印象も違いましたが、あらかじめ日本のエンジニアからは情報収集もしていたんで、特に戸惑うことはなかったです。僕からも過去の経験をもとに情報も提供しているので、非常にいい関係が作れていると思います。第3ドライバーのステファン・オルテリ選手も、初めてヨコハマのタイヤを履いた時、「今、ヨーロッパで使っているタイヤより、こっちの方が印象はいいなぁ」と語っていたほどです。

目標はもちろん、チャンピオンを獲得することです。そのためには積極的に表彰台を狙っていって、予選でもQ1突破は必須。もちろん、チャンスがあれば優勝を狙うというのは、ヨーロッパでも日本でも変わらない。同じ姿勢で挑んでいるつもりです。


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DRIVER LINEUP

リチャード・ライアン 選手

1979年8月8日生まれ、北アイルランド出身。
9歳でカートレースを始め、’96年には母国のエントリーフォーミュラでいきなりチャンピオンを獲得するなど、秀でた才能をアピールするも、ヨーロッパではステップアップの機会を得られなかったため、’01年に来日してフォーミュラ・ニッポンに出場。’04年に王座を獲得、今では日本のレースに欠かせない外国人ドライバーとなった。SUPER GTには’02年より参戦、’04年にニスモでGT500を制した経験も持つ。

藤井誠暢 選手

1980年12月17日生まれ、岐阜県出身。
現在はニスモ契約のドライバーでもあるが、メーカーの育成枠に属したことはなく、いわばシートを与えられたのではなく、実績によって得た、昨今では希有な存在のドライバーである。’94年からカートレースを始め、その後FJ1600などを戦った後、’05年からSUPER GTに参戦、’11年にランキング3位、’12年には2位を獲得する。近年は海外レースも視野に入れ、今年もドバイ24時間、ル・マン24時間にもチャレンジした。

それぞれが持ち味を活かして、激戦区のGT300を戦うヨコハマタイヤ装着チーム。次回も引き続き、GT300からいくつかのチームをご紹介してまいります。