伝統のニュルブルクリンク、そこには’80年代からチャレンジを続けるヨコハマタイヤの姿がある。24時間の過酷なレースはもとより、ハイパフォーマンスタイヤを鍛え上げる舞台として、ニュルブルクリンクを走ってきたヨコハマタイヤ。そのヒストリーをご紹介しよう。
ニュルブルクリンクは、ドイツ中西部、ベルギーとの国境に近いアイフェル山地に、第一次世界大戦後の失業者対策として1927年に設営されたサーキット。当初は1周22.8kmの北周回路(ノルトシュライフェ)、1周7.7kmの南周回路(ズートシュライフェ)、そしてそのふたつをつなぐ1周2.3kmの終点周回路(ツィールシュライフェ)で構成されていたが、現在ではノルトシュライフェと近代的なグランプリコースからなる。ニュルブルクリンク24時間レースは、このふたつのコースをつないだ1周25.378kmを使用して行われている。
ノルトシュライフェは標高差300mのアップダウンに富んだ山岳路で、山の中にあるため天候も変わりやすく、また場所によって天候が変わるなど難攻不落のコース。世界中の路面状況がこの1周に凝縮されているとも言われ、自動車メーカーやタイヤメーカーのテストコースとしても使用されており、ここのラップタイムがスポーツカーの速さの基準にもなっている。
ニュルブルクリンクでは完成した年からグランプリレース(現在のF1GP)が開催され、またF1ドイツGPの舞台として知られていたが、’76年のニキ・ラウダの炎上事故を最後にF1がノルトシュライフェでレースを行うことはなくなった。ツーリングカーによる24時間レースが最初に開催されたのは1970年のこと。石油ショックにより’75、’76年の開催は見送られたが、’77年以降は毎年初夏に200台近い車両を集めて開催されてきている。
歴史あるニュルブルクリンクの24時間耐久レース。いまでは世界中のタイヤメーカーも参戦し、熾烈な戦いを繰り広げている。そんな中で、ヨコハマタイヤは1980年代からこのレースに挑戦を続けている。日本のタイヤメーカーとして、ニュルブルクリンクとの関わりがもっとも深く、長い存在であると言えるだろう。
その証のひとつが、コースサイドの看板。YOKOHAMAとADVANの名称がつけられたコーナーが存在していたこともあり、ADVANに象徴されるグローバルなハイパフォーマンスタイヤが生み出されるフィールドとして知られるニュルブルクリンクにおいて、大きな存在感を見せている。
もちろんタイヤ開発においても、ニュルブルクリンクは重要なステージとなっている。’80年代からサーキットの近郊にガレージを設けて開発テストを続けていたが、2006年にはヨコハマ・テストセンター・ニュルブルクリンクを開設。ここを拠点にニュルブルクリンクをはじめヨーロッパ各地でのテストを行い、世界的に定評あるタイヤのパフォーマンスをさらに鍛え上げている。
UPDATE : 17.Jul.2015