2021 JRC – 奴田原文雄選手、新たな挑戦の始まり

日本人として初めて伝統の「モンテカルロ・ラリー」で優勝を飾り、国内外で幾多の栄冠を手中におさめてきた奴田原文雄選手。1994年から「ADVAN PIAA Rally Team」の一員として、名門・タスカエンジニアリングがプロデュースするADVANカラーの三菱・ランサーエボリューションを主に駆り、ラリー界の“Mr.ADVAN”として世界にその名を知られる存在だ。そんな奴田原選手が2021年、自らチームを立ち上げ、トヨタ・GRヤリスを駆って全日本ラリー選手権への新たな挑戦をスタートする。


自らの名を冠したNUTAHARA Rally teamの立ち上げ

ADVANとともに日本のラリーを牽引し、国内外で活躍を見せてきたタスカ・エンジニアリング。この名門が2020年いっぱいでラリー活動を休止、これを受けて奴田原選手は自らチームを立ち上げることとなった。まずは、その経緯についてお聞きしていこう。

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「三菱・ミラージュで当時のBクラスを戦った1992年から、タスカ・エンジニアリングのお世話になりました。’94年からCクラスへ移り、以来一貫して全日本選手権では最高峰クラスを三菱・ランサーエボリューションで戦ってきました。国内外のラリーでいろいろな経験をさせてもらい、奴田原文雄というラリードライバーが今あるのは、タスカ・エンジニアリングと石黒邦夫代表のお蔭ですから、感謝の念でいっぱいです」

「タスカ・エンジニアリングが2020年でラリー活動を休止することになりましたが、自分としてはまだもうちょっとラリーをやっていきたいという思いがあります。少なくともステージベストを獲れるうちは続けたいと思っていて、実際にまだベストを刻めていますから(笑)。なので、石黒代表にも相談したうえで自分自身でチームを立ち上げることを決めました。それは本当に多くの方々のご支援があってこそ出来たことで、横浜ゴムさんや神戸トヨペットさんをはじめとして、ランサー時代から引き続き支えてくださっているみなさんのお蔭です」

1986年にラリーデビューしてから36年目、ADVANカラーのステアリングを握るようになって28年目という大ベテランの奴田原選手。いまも最高峰クラスでシリーズチャンピオンを争う実力は広く知られているが、チームオーナーとしての新たな挑戦がスタートすることになった。

PROFILE

奴田原文雄 選手

1963年・高知県出身。北海道の大学に進学して、先輩からラリーマシンを購入したことがラリーをはじめるキッカケとなった。1986年2月のウィンターラリーでデビュー、1988年には北海道ラリーチャンピオンシリーズのBクラスでチャンピオンを獲得。1992年に三菱・ミラージュで開幕戦を制して、全日本選手権初優勝を飾った。

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1994年からは「ADVAN PIAA Rally Team」の一員として最高峰のCクラスに三菱・ランサーエボリューションで参戦、この年のエボリューションⅡを皮切りにエボリューションⅩまでADVANカラーをまとう歴代モデルのステアリングを握ってきた。

これまで全日本選手権の最高峰クラスで通算9回のシリーズチャンピオンを獲得、中でも2002年からは5年連続でチャンピオンに輝く圧倒的な強さを見せる。一方で海外ラリーにも多数参戦しており、日本人初優勝となった2006年の「モンテカルロ・ラリー」に代表されるように、P-WRC(プロダクションカー世界ラリー選手権)、APRC(アジア-パシフィック・ラリー選手権)、IRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)などでの活躍を通じて、その名を世界的に知られる日本を代表するラリードライバーの一人だ。

また2016年からは日本初となる本格的なラリースクールを主宰し、後進の育成やラリーの振興にも力を注いでいる。



マシンとコ・ドライバーを一新しての体制構築

奴田原選手と言えば、ランサーエボリューションというイメージが強いだろう。実際には2010年のRally JAPANにフォード・フィエスタR2で出場したり、2011年にIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)でスバル・WRX STIを駆ってヨーロッパを戦うなど、決して“ランエボ一辺倒”というわけではない。さらに歴史を遡ればデビューから2年半はトヨタ・スターレット、その後はいすゞ・ジェミニを駆っていた。そんな奴田原選手だが、今シーズンからは新たに製作したトヨタ・GRヤリスで全日本ラリー選手権のJN-1クラスを戦うこととなった。

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「現状のラインアップで、JN-1クラスを戦う現行モデルということでGRヤリスの一択でした。その上で、自分が主宰しているラリースクールの活動も支えていただいている神戸トヨペットさんにサポートいただけることとなったのですが、これはどちらが先かという話ではなく自然な流れでGRヤリスに決まったという感じでしょうか」

奴田原選手が語るように、現在のJN-1クラスへ新車を投入するにあたってGRヤリスというのは自然な選択として受け止められるだろう。カラーリングはADVANカラー、ここはランサー時代と変わらないので見慣れるまでに要する時間も少なそうだ。一方で、マシンとともに変わるのがコ・ドライバー。2009年からコンビを組んできた佐藤忠宜選手が引退、その後継には23歳という若手の東駿吾選手を起用した。

「佐藤さんの引退は決まっていたのですが、次の候補といってもベテランや中堅のレギュラー選手は既にシートが決まっていることがほとんどで、そこから引き抜くというのは現実的ではありません。ならば思い切って若手を起用しようと思い、ラリースクール出身の東選手を抜擢しました。彼のことはスクールで見てきて、一所懸命にラリーをやっているから大丈夫だろう、と。30戦ほどに出場していますが、全日本を戦う上での経験不足は否めないでしょう。でも、それは若いのだから当然のことであり、それよりもラリー界を若返らせたいという思いがあっての人選です」

「不安が無いのかと言われれば、無いとは言い切れません。一度も隣に乗せて走ったことがなく、唐津ラウンドでブッツケ本番となります。もちろん事前に車載映像などを渡して、勉強をさせています。東選手はパッと見は頼り無さそうですが(笑)、ラリーが好きだという情熱がとても伝わってきますし、しっかりした考えを持ってラリーに臨んでいます。東京大学の大学院生だけあって頭脳明晰で、コ・ドライバーとしての素質は十分でしょう。実は佐藤さんに似たところもあって、車の運転にはあまり興味が無いみたいで。本当はドライバーをやりたかったというのではなく、コ・ドライバーをやりたくてラリーを始めているんですよ。」

奴田原選手にとっては、ご自身の息子さんより若いコ・ドライバーと組んでの戦い。「彼を選んだ一番の理由は『ラリーが好き』というところ」と奴田原選手が語るように、熱い情熱の持ち主は必ずや成長を見せて期待に応えてくれることだろう。

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変わらないことの“安心と信頼”

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マシンとコ・ドライバーが変わる一方で、変わらないのは走りを支える部分だ。まずタイヤはもちろんヨコハマタイヤのADVAN、そのすべてを知り尽くしていると言っても過言ではない奴田原選手とADVANのコンビネーションに、不安を感じさせる隙は皆無だ。そしてマシンを製作、メンテナンスするのは、タスカ・エンジニアリングで長年にわたり活躍した山田淳一チーフエンジニアが独立してRUTS RACINGというガレージを立ち上げ、GRヤリスの製作から携わることとなった。

「マシンはGRヤリスに変わりましたが、これを製作・メンテナンスするのは山田チーフメカニックで変わっていませんから、全く不安はありません。ランサー時代から、マシンのことは山田チーフに任せっきりでやってきているので、引き続き“任せて安心”というところです」

こうして始動した「NUTAHARA Rally team」。残念ながら「新城ラリー 2021」は欠場となったが、来週末に開催される第3戦「ツール・ド・九州 2021 in 唐津」からの参戦に向けて急ピッチで製作されたマシンが完成し、シェイクダウンが行われた。

次のページでは、GRヤリスのシェイクダウンを終えた印象などをお聞きした内容をお送りします。