REVIVE ADVAN IN RALLY =後編=

1979年のADVAN RALLY TEAM発足を起点として、ヨコハマタイヤのラリー参戦史を振り返っている「REVIVE ADVAN IN RALLY」。後編では1980年代中盤以降の40年余りを、駆け足にはなってしまうがご紹介していこう。


時代の主役はハイパワー4WDマシンへ

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1980年代の自動車は技術の進歩を背景に、大きく飛躍を遂げた。石油危機や環境性能向上といった課題を克服し、ハイパワー化が進んだのである。そのパワーを受け止めるひとつの策としては4輪駆動(4WD)の一般乗用車への普及も始まり、特にラリーではWRC(世界ラリー選手権)でも4WDが主役となっていた。

1987年の秋にデビューした三菱・ギャランは居住性の高い4ドアセダンだが、そのトップレンジには2,000ccターボエンジンと4WDを組み合わせた「VR-4」が君臨。このモデルはADVAN RALLY TEAMの拠点であるタスカ・エンジニアリングでもラリーマシンに仕立てられ、全日本選手権のみならずRACラリーをはじめとした海外への挑戦も展開された。

全日本選手権では1986年から2シーズン、山内伸弥選手組がマツダ・ファミリアの4WDターボで参戦していた。さらに大庭誠介選手組は1987年をトヨタ・セリカGT-FOURで戦ったが、1988年からは新たなマシンであるギャランVR-4に国内外ともに一本化。全日本選手権には山内伸弥選手/遠藤彰選手組、大庭誠介選手/小田切順之選手組、藤田哲也選手/田口雅生選手組の3台を擁し、1991年には山内選手が全日本選手権のタイトルを7年ぶりに獲得した。

また、1992年10月31日から11月2日にかけて開催されたWRC(世界ラリー選手権)の第12戦「第24回 ラリー・コートジボワール・バンダマ」では、篠塚建次郎選手/J・メドウス選手組の駆るギャランVR-4が総合優勝を獲得。足元を支えたヨコハマタイヤは、日本のラリータイヤで初めて世界の頂点に位置するWRC優勝という歴史の1ページを記したのである。

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DRIVER VOICE

片岡良宏 選手 (1997年)

片岡良宏 選手

私は国内ラリーに参戦しながらイギリスのRACラリーにメカニックとして何度か行っており、出場してみたかったですが、それは夢と言って良い状況で実現することは無いと思っていました。しかし当時の職場や多くの皆さんのサポートで、1994年のアジア-パシフィック・ラリー選手権(APRC)・ニュージーランド戦にタスカ・エンジニアリングの一員として参戦することが出来ました。アベレージスピードが100km/hを超えるコースに、「自分の走りたかったラリーはコレだ!!」と感動したことを良く覚えています。高速ステージなどでベストタイムを刻めたことで、自信を持てたとともに海外ラリーの虜になってしまいましたね(笑)。

1996年にはAPRCのグループNでチャンピオンを獲得しましたが、まずはシリーズを通じて参戦出来ることの喜びと感動、興奮を覚えました。そして同時に、それまでに経験の無いプレッシャーも感じました。「常に全開」が自分のスタイルですが、それでは身体もマシンも持たないので、そこはリズミカルな戦いを意識して。チャンピオンを決めた香港~北京ラリーも印象的ですが、レッキ中に熱中症で倒れて入院しながらも優勝を飾れたマレーシアラリーが不思議と記憶に残る一戦になっています。

タスカ・エンジニアリングは誰もが認めるトップチームであり、選手にとっては憧れのチーム。マネージメント、技術力、メカニックのレベルは全てが桁違いに高く、まさにプロ集団です。日本のパイオニアとして早くから海外参戦も果たし、沢山の経験を積んでいるからこその強みがありますね。私もこのチームで走っていなかったら、チャンピオンは獲れていなかったと思います。

私は国内外でADVANカラーに乗りましたが、学生時代に山内伸弥選手をはじめとしたみなさんがADVANカラーで戦っているのを雑誌で見ていて、一人のファンとして憧れていました。どんな車種でもADVANカラーはカッコ良かったですね。自分がそんなADVANカラーに乗ることになった時は、嬉しさよりも荷の重さを感じました。同時に、乗るからには観る人に感動してもらえる走りをしなければ、という意識を強く持ちました。



進化するマシンを足元で支え続けるADVAN

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1992年10月、三菱・ランサーエボリューションが誕生。ギャランVR-4のエンジンや駆動系を、乱暴な言い方をすれば小柄で軽量なランサーへ移植したこの車は、ラリーに勝つことを生まれながらの定めとしたモデルである。もちろんADVAN RALLY TEAMもマシンを仕立て、国内外のラリーシーンへと投入して行った。

「進化」を意味するEvolutionを名乗るこの車は、その名の通り常に進化を続けていく。1994年1月にはエボリューションII、1995年2月にはエボリューションIIIと戦闘力を高めていく。そして海外では1996年にアジア-パシフィック・ラリー選手権(APRC)の初代グループNチャンピオンを獲得した片岡良宏選手が、1998年のAPRC開幕戦「ラリー・オブ・タイランド」でADVANカラーのエボリューションIIIを駆って総合優勝を飾った。

1990年代半ばになろうとする頃、チームにとって栄光史の立役者である大庭誠介選手が1993年、山内伸弥選手が1994年いっぱいでラリーから身を引かれることに。一方で奴田原文雄選手が1994年に最高峰のCクラスへとステップアップ、ADVANカラーのランサーエボリューションIIを駆ることとなった。

新しい時代のエースドライバーとなった奴田原選手は、1999年にエボリューションVで待望の全日本選手権Cクラスチャンピオンを獲得。同年初めて海外ラリーへの挑戦も実現し、APRCのタイでは3位という好成績をおさめた。そして2000年も全日本選手権を連覇、しかしこれは輝かしいストーリーの序章に過ぎなかったのである。

奴田原選手が初めてのチャンピオンを獲得した1999年、ヨコハマタイヤはグラベルラリータイヤ「ADVAN A035」を発売した。マシンのハイパワー化と競技のハイスピード化が進んだことに対して、常にドライバーの期待に応えるポテンシャルを見せたことは奴田原選手の2連覇でも実証されたが、さらに2002年からは5年連続シリーズチャンピオンという圧倒的な強さを見せつけ、栄光史のページが刻まれていった。

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DRIVER VOICE

奴田原文雄 選手 (2020年)

奴田原文雄 選手

1994年にCクラスへステップアップしてランサーエボリューションをドライブしていますが、この年の開幕戦はまだ車がカラーリングされていない真っ白なものでした。第2戦からADVANカラーになったのですが、やはり伝統のあるカラーですからプレッシャーを感じましたね。前年のBクラスをミラージュで戦った時もタスカ・エンジニアリングのお世話になっていましたが、錚々たる顔ぶれの中で自分は二軍どころか三軍といった感じで、チームのテントに入ることも躊躇するほどでした。

ランサーに乗るようになって小田切順之選手と組んだのですが、周りのライバルなどがかけてくるプレッシャーから守ってくれましたからとても助けられました。小田切さんは自分が組んでいるドライバーが一番だという考え方の持ち主で、互いの信頼関係がとても大切だということを教えてもらいました。

ADVANカラーで国内外のラリーを戦ってきていますが、やはり最も思い出深い一戦といえば「モンテカルロ・ラリー」の優勝に尽きますね。勝てたことはもちろんですが、素晴らしいタイヤを作ってくれたヨコハマタイヤ、いろいろな情報を集めてくれたコ・ドライバーのダニエル・バリット選手やチームマネージャー、そして走りを支えてくれたメカニックと、みんなが一丸となって臨んだことが思い出に残っています。本当に、濃密な一週間でした。ただ、人生で一度は「ポディウムにあがったら自然に涙が出るようなラリーをやってみたい」と思っているのですが、モンテカルロを勝っても涙は出てきませんでした(笑)。

これまで長くラリーを続けられているのは多くの皆さんのお蔭ですが、中でもタスカ・エンジニアリングの石黒邦夫社長には常に感謝しています。今年は第2戦で勝って以降、なかなか大会の開催が難しい状況となってしまいましたが、やっとシーズンが再始動を迎えます。主催者のみなさんに感謝するとともに、用意された戦いの舞台で良い走りが出来るよう頑張ります!!



2019年は全日本選手権の最高峰クラスでシリーズトップ3を独占!!

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もちろん活躍の舞台は日本国内に留まることなく、2006年には歴史と伝統の一戦として広く知られている「モンテカルロ・ラリー」で日本人初優勝を飾った。この年はプロダクションカー世界ラリー選手権(P-WRC)と全日本選手権を追う多忙なシーズンとなったが、P-WRCでも3勝をマーク。キプロスと日本で優勝の走りを支えたのは、後に「ADVAN A053」としてデビューするタイヤのプロトタイプであった。

奴田原選手が駆るADVANカラーといえばランサーエボリューションが真っ先に思い浮かぶが、2010年にはフォード・フィエスタR2でRALLY JAPANに参戦。俳優・哀川翔さんが率いるチームからの参戦ということもあり、大いに注目を集めた存在となった。また、2011年にはIRC(インターコンチネンタル・ラリーチャレンジ)に、スバル・WRX STI R4で参戦。同じくヨコハマタイヤで戦った新井敏弘選手組がプロダクションカップのチャンピオンを獲得し、ヨーロッパのタフなラリーでもヨコハマタイヤの優れたパフォーマンスが発揮された。

全日本選手権では2008年から、ランサーエボリューションXにマシンをスイッチ。翌年にはシリーズチャンピオンを獲得、さらに2014年は最高峰のJN-6クラスの奴田原選手組を筆頭に、全6クラス中5つのクラスでヨコハマタイヤ勢がチャンピオンを獲得して強さを見せた。この栄冠獲得は、2013年に国内仕様を発売した「ADVAN A053」のパフォーマンスも、大きく貢献している。

そして2014年からは新井敏弘選手が全日本選手権に復帰、ヨコハマタイヤで戦い2015年、2018年、2019年と3回のチャンピオンに輝いている。また息子の新井大輝選手も国内外で経験を積んで頭角を現しており、2019年には奴田原選手、新井敏弘選手、そして新井大輝選手が三つ巴のチャンピオン争いを繰り広げて最高峰クラスのシリーズランキング・トップ3をヨコハマタイヤ勢が独占したことは記憶に新しいところ。2020年も3月に開催された事実上の開幕戦となった「新城ラリー 2020」を奴田原選手組が優勝、新井敏弘選手組と大輝選手組がこれに続いてトップ3を独占、シリーズ争いは2020年もヨコハマタイヤ勢が主役となって繰り広げられていく。

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長いインターバルを経て、いよいよ7月31日~8月2日の「ラリー丹後 2020」から、2020年の全日本ラリー選手権もシーズンが再始動。今年も最高峰のJN-1クラスをはじめ、各クラスで活躍するヨコハマタイヤ勢にご声援をよろしくお願いいたします!!