REVIVE ADVAN IN RALLY =前編=

ADVANはブランドが誕生した翌年、1979年にはADVAN RALLY TEAMが発足してラリーへの本格的な挑戦が始まった。以来40年以上にわたり、国内外のラリーシーンでRed in BlackのADVANカラーをまとうマシンが活躍を見せ、栄光の歴史を刻み続けている。ヨコハマタイヤとADVANが歩んできたモータースポーツ史を振り返る「REVIVEシリーズ」、今回はラリーにおける活躍をお伝えしていこう。


全日本発足初年度の王座獲得から始まった歴史

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JAF(日本自動車連盟)の公認ラリー競技会は1964年から開催されているが、同年は年間2大会であったのに対して1978年には255大会へと増えてモータリゼーションの発達に比例してモータースポーツも活性化していた。そんな中で1979年には全国各地で開催されていたラリーの頂点として、全日本ラリードライバー選手権が発足。翌年には全日本ラリー選手権と名称を改め、現在に続く国内ラリーの最高峰シリーズとなっている。

そして、この全日本ラリードライバー選手権が誕生した1979年の3月2日に、タスカ・エンジニアリングが石黒邦夫代表によって設立された。自身も学生時代からラリーに参戦、ドライバーとして1974年にはサザンクロスラリーで海外初参戦を果たした石黒氏を中心とするガレージが、同じくこの年に産声をあげたADVAN RALLY TEAMの拠点となった。

1979年の全日本ラリードライバー選手権では、B部門に三菱・ミラージュの3台体制で参戦。黒いボディに赤いライン、現在とはデザインが異なるもののこれがADVANカラーの原型となったひとつである。そして初戦の「アップルサファリラリー」を山内伸弥選手/山口励選手組が制すると、その後も勝ち星を重ねて山内選手がシリーズチャンピオンを獲得した。

1980年の全日本ラリー選手権は、シーズン前半をミラージュで戦い、後半は三菱・ランサー1800EXにスイッチ。そして全日本シーズンインを前にした1月には、「第48回モンテカルロラリー」に山内伸弥選手/小田切順之選手組が参戦。残念ながらSS12でリタイアを喫したものの、チームとして初めての海外参戦という大きな第一歩を踏み出したのである。

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DRIVER VOICE

山内伸弥 選手 (1981年)

山内伸弥 選手

チームとしてはほかに在籍したことがないので比較は出来ませんが、発足したばかりのADVAN RALLY TEAMには自分も溶け込みやすかったですね。ドライバーをはじめチームの全員が我がまま者ばかりの集団でしたが、みんなの進言をかなり聞き入れてくれました。これはひとえに、石黒さんの懐の深さというか、人徳に尽きるのだろうと思っています。

前輪駆動のミラージュで走るということになり、後に三菱のWRCチームで総監督をつとめた木全巌さんから特訓を受けました。雪、ダート、とにかくいろいろな道を走り、木全さんが横に乗られて直接指導を受けたのですが、余計なことを考えている暇無くひたすらに走りました。こうして走らせ方を身体で覚えたことが、自分のドライビングの基礎となりましたね。

ミラージュを皮切りにいろいろな車種に乗りましたが、もっとも印象深いのは240psの最高出力となったエンジンのギャランVR-4ですね。シャーシの熟成が進み、パワー的にそれまで物足りなかったものが240psとなって車体に見合ったものプラスアルファへと進化しました。チャンピオンを獲得できたことも、印象に残っている大きな理由ですね。

チームの誰もが、優勝だけを目指して戦っていたと思います。その中で自分は、とにかく成績を出さなければならないということを常に肌で感じていました。他のドライバーやコ・ドライバーの深層はわかりませんが、たぶん全員が同じ思いだったのではないでしょうか。

振り返ってみると、コ・ドライバーとして組んでいた山口励選手に、多くのチャンピオンを獲らせてもらいました。その後に組んだ遠藤彰選手とは「こいつにチャンピオンを獲らせてあげたい」という思いも持って参戦していましたが、1991年にギャランVR-4で遠藤選手とチャンピオンを獲れたことは、とても嬉しい思い出です。



強さと速さの象徴として知られるようになったADVANカラー

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1981年の全日本ラリー選手権ではいすゞ・ジェミニを駆った山内伸弥選手が、全8戦中4勝をおさめて2年ぶりのチャンピオン奪還に成功。同年は三菱・ギャランシグマも投入され、「ALCクリスタルカップラリー」では篠塚建次郎選手/田口雅生選手組が参戦した。山内選手は三菱・ランサーEXターボで参戦した1983年と1984年に連覇を達成し、ADVANラリータイヤの優れたポテンシャルは誰もが知るところとなって行った。

一方で海外ラリーにおいても、国内を山内選手とともに戦っていた大庭誠介選手が1981年を皮切りにイギリスで開催される「RACラリー」に毎年参戦を重ねていた。後年さらに幅を広げていくこととなる海外への挑戦は、1980年代のRAC参戦で礎が築かれたと言えるだろう。

さて、1980年代中盤になると、Red in BlackのADVANカラーも現在に通じる斜めの赤いストライプが定着し、“赤と黒=ADVAN=ヨコハマタイヤ”というイメージは誰もがモータースポーツシーンにおいて欠かせない風景のひとつと認識するところになった。そんなADVANカラーをまとう歴代ラリーマシンのうちの1台、1985年に投入された三菱・スタリオンの鮮烈な印象は今も伝説的に語り継がれている。

格納式のヘッドライトを備え、流麗かつ精悍なファストバックのクーペスタイル。ターボエンジンのパワフル&トルクフルな走りはサーキットやストリートで人気を博したが、ラリーシーンにおいても大いに注目を集めた。その走りの舞台は国内に留まらず、RACラリーにも1985年に山内選手と大庭選手がスタリオンを駆って参戦。さらに1986年には藤田哲也選手/田口雅生選手組が加わり、同年は3台、翌1987年は大庭選手組と藤田選手組で2台のスタリオン(山内選手組は別車種で参戦)がヨーロッパのラリーファンにその勇姿を見せつけた。

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DRIVER VOICE

藤田哲也 選手 (1989年)

藤田哲也 選手

私は1986年に初めての海外ラリーとしてイギリスのRACラリーに参戦しましたが、ギャラリーの多さに驚きました。「ラリーが国技なのかな?」と思うほどでしたね(笑)。30kmもあるような長いSS(スペシャルステージ)でも、その中間地点などにも沢山のギャラリーがいて、みんな歩いて観戦ポイントまで来ているんです。リエゾンでは信号で停まると「何かちょうだい」と多くの人が集まってくるので、各スポンサーのステッカーを積んで渡してあげるようにしました。

海外ラリーは国内ラリーと比べて圧倒的にスピードレンジが高く、180km/hスケールのスピードメーターを何度も振り切ってしまいました。RACラリーにはスタリオンで2回、その後ギャランVR-4で2回出場しました。スタリオンはブリスターフェンダー仕様でRACを戦いましたが、既に4輪駆動が主流となりつつある中で後輪駆動だったので、コ・ドライバーの田口雅生選手と話してドリフトで目立つ走りをしようということになりました。スタリオンもギャランも全日本選手権でも走らせましたが、ギャランのほうはADVAN RALLY TEAMで初めて優勝(1989年・全日本選手権第1戦)した車なので、思い出が沢山ありますね。

ADVANカラーに乗るのは夢の夢だったので、GABカラーからADVANカラーになった最初のころは、どこかぎこちない走りでした(笑)。石黒さん、山内さん、大庭さん、田口さん、そして東海林哲郎さんはじめメカニックの皆さんに色々とアドバイスをいただいて、なんとか走れるようになりました。自分は本当に幸せなラリー人生を過ごせたと思いますが、これもタスカ・エンジニアリングとヨコハマタイヤのお蔭だと感謝しています。

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