2020 土屋武士さんインタビュー =後編=

名門を受け継いだ土屋武士さん、父・春雄さんから受け継ぐ熱いスピリットを胸に抱き更なる飛躍の道を歩んでいる。つちやエンジニアリングが永年ともに歩んでいるADVAN、ヨコハマタイヤへの熱い思いについてお聞きしていこう。


受け継いだものと変えたもの

2015年に土屋武士さんは「つちやエンジニアリング」を継承、SUPER GTのGT300クラスへと参戦して名門の復活は大いに話題と注目を集めた。しかし、ガレージ運営という点では変革も行ったという。

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「父の春雄がいて、技術に特化して売っていたのが土屋エンジニアリングです。しかしレースだけでは、何かあったときにシャッターを閉めて活動停止に陥るという現実も経験しました。そこでスタッフの生活も守れる健全な環境を整えなければという強い思いがあって、一般車のメンテナンスやコーティングにも守備範囲を広げました。これは時代の要請でもあると思うのですが、一方で時代が変わっても技術力は決して下げてはいけない。そこは常に研鑽を積みながら、つちやエンジニアリングを応援してくれる人たちのマイカーにもフィードバックしています」

こうして、新しいステップを踏み出したつちやエンジニアリング。そこには武士さんの、春雄さんから受け継がれた“スピリット”がある。

「選手としてトップカテゴリーを良い環境で戦えたことに、大きな感謝の気持ちがあります。だから何かのかたちで、恩返しをしなければならないと思っていました。では何が出来るのかと考えたとき、土屋エンジニアリングを復活させて、父の春雄が元気なうちに若い職人をたくさん育てられる環境を整えることが自分の使命だと思ったのです。これは自分にしか出来ないことで、モータースポーツに限らず日本の社会に対しても必要なことだと思いました」



子供の頃から、生活の一部だったもの

さて、前回のページでも多くの写真をご紹介したように、土屋エンジニアリングは長年に渡ってADVANカラーをまとうマシンでレースシーンを戦ってきた。サーキットレースにおけるヨコハマタイヤのエースナンバーである「25」をつけたADVANカラーのマシンは、日本のレース史に栄光の歴史を刻み続けてきている。多くのドライバーが憧れた存在、しかし武士さんにとっては少しとらえ方が違っていたようで……。

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「ゼッケン25をつけたADVANカラーのマシンは、自分にとってはホントに当たり前に側にあったものなんですよ(笑)。そう、まさに生活の一部というか」

1971年、武士さんが生まれる2年前に6万円で借りた9坪の“掘っ建て小屋”で創業した土屋エンジニアリング。武士さんが生まれた1972年には手がける車が2台に増えたが、当時は作業場のすぐ隣に8畳1間の住まいがあり、まだ1歳に満たない武士さんが工場まで這ってきて作業風景を見ていたと、春雄さんは以前に語ったことがある。

「和田孝夫さんが富士GCマイナーツーリングを戦ったADVANカラーの日産・サニー、これがゼッケン25をつけていましたが、赤と黒のカラーリングに25番というのは記憶の中でうちの庭に常にあるもの、という感じなんですよね(笑)」

1997年の全日本GT選手権、GT300クラスのトヨタ・MR2で武士さんは初めてトップ・カテゴリーでゼッケン25をつけたマシンで参戦。そして2006年にはSUPER GTのGT500クラスで織戸学選手とコンビを組んでトヨタ・スープラをドライブした。

「自分が25番をつけるマシンに乗ることが決まったときは、実は自分が乗るのが当然だと思っていたんです(笑)。ADVAN×土屋エンジニアリングが当たり前の生活だったので、それ以外は考えられませんでした。2008年いっぱいでチームの活動停止が決まったとき、真っ先に心配したのは25番を他の人が使ったらどうしようということでした。ですから翌年からレースに参戦しなくても、エントリーは時々していたんです。決して安くはないお金もかかりますが、こうすればゼッケン25をキープできますからね」

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これからもADVAN、ヨコハマタイヤとともに

ドライバーとしては2016年にSUPER GTのGT300でシリーズチャンピオンを獲得、名門復活の2年目にして強さを見せた。武士さんは、これからの展開について、次のように熱い思いを語る。

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「長くやってきてわかることは、特別なことは何も無いということ。やるべきことをコツコツとやって、基盤をしっかり固めていくことが大切なんですよね。技術力というものは薄皮を一枚ずつ積み重ねていくようなもので、実際にそうやって現在に至っています。いろいろな試行錯誤はありますが、基本的なスタンスは変わりません。これからもブレずにやっていきます」

そして、長年のパートナーであるヨコハマタイヤについても、思いは尽きない。

「つちやエンジニアリングは、ADVANとともにずっとあるわけです。そしてADVANカラーのチームやガレージには、頑固親父が沢山いましたよね。そういう情景は、レース関係者ならば誰でも知っているところです。時代とともに薄れている面もありますが、自分は頑固親父たちが積み重ねてきた歴史や技術をヨコハマタイヤのエンジニアにも語り継いで、脈々と流れているスピリットを注ぎ込まなければいけないと思っています

赤と黒は情熱のシンボルであり、実際に熱い人々が沢山います。いまも自分が25番を背負ってヨコハマタイヤと一緒に仕事を出来ているのは、そういう役割を求められているんだろう、と。是々非々で互いに切磋琢磨し合って、より良いタイヤを生み出して行きたいですね」

ADVANへの熱い思いを、人一倍抱いている土屋武士さん。これからも、ますますのご活躍と飛躍が期待されています!!