2020 土屋武士さんインタビュー =前編=

1971年の創業以来、数々のモータースポーツシーンでヨコハマタイヤとともに栄光の歴史を刻み続けてきた「つちやエンジニアリング」。土屋春雄さんが手がけたADVANカラーをまとうマシンの勇姿は、今でも多くの方が鮮明にご記憶のことだろう。この老舗を受け継いだ息子の土屋武士さん、今回は懐かしいADVANカラーのマシンの写真とともに、モータースポーツやヨコハマタイヤに寄せる想いをご紹介していこう。


半世紀の歴史を刻む「つちやエンジニアリング」

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神奈川県に本拠を構える「つちやエンジニアリング」は、1971年に土屋春雄さんが創業したレーシングガレージとしてモータースポーツファンには広く知られる存在だ。半世紀におよぶ長い歴史はヨコハマタイヤでのレース参戦で輝かしい歴史に彩られており、2015年には息子でありレーシングドライバーとして活躍してきた土屋武士さんに受け継がれている。

「つちやエンジニアリングはSUPER GTに参戦しているチームの中では、最も長い歴史を有しています。全日本選手権級のビッグレースに参戦している既存のレーシングチーム全体で見ても、自分で調べた限りでは同じ年に創業した戸田レーシングさんと並んで、国内最古のガレージなのです」

現在代表をつとめる武士さんは、長い歴史についてさらにこう続けた。

「自分は父の春雄から2015年に継ぎましたが、歴史の重みはしっかり感じていかなければならないと思っています」

自身が代表になって5年目を迎え、2021年には創業50周年の節目を迎える。そこには、春雄さんの時代から脈々と流れているひとつの“スピリット”があると言う。

「父の時代から変わらないのは、職人のスピリッツと高い技術力を大切にするということです。何を残していくべきか考えた時にこの点はとても大切なことで、次の世代に受け継いでいくという使命が二代目の自分にはあると思っています」

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PROFILE =プロフィール=

土屋武士 さん =Takeshi Tsuchiya=

1972年11月、神奈川県生まれ。

新井敏弘 選手

土屋エンジニアリングを率いる土屋春雄さんを父にもち、幼少期からモータースポーツが生活の一部となっていた。春雄さんによると「まだ小学校にあがっていない頃、武士は足こぎ車でガレージの中を走り回っていたんだよね。器用にペダルをロックさせてターンしたりとかね(笑)」とのことだったが、中学生時代に自身がドライバーを志望するも春雄さんの大反対を受ける。

春雄さんは県内トップレベルの高校への進学をモータースポーツ活動をはじめる条件としたが、猛勉強の末に合格を果たしてレーシングカートからモータースポーツをはじめた。20歳でレースデビュー、N1耐久、JTCC(全日本ツーリングカー選手権)、そして全日本GT選手権~SUPER GTと活躍。

2016年には、SUPER GTのGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得。また、SUPER GTでは2002年の第3戦から2006年の第4戦まで、足かけ5シーズンで33戦連続での完走およびポイント獲得をなし遂げている。2015年、春雄さんの跡を継いでつちやエンジニアリングを率いて現在に至る。



絶対にやりたくなかったレーシングガレージの運営

一般的に言えば家業を継ぐというのは、あらゆる業種において決して珍しいことではない。しかし、ドライバーとしてモータースポーツに関わってきた武士さんだが、レーシングガレージの運営となると話は別だったようで……。

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「子供の頃から親父を見てきて『レーシングガレージなんて、自分は絶対やらない』と思っていたんですよ(笑)。こんな大変なことを、自分でやれるかよっていうのが正直な思いでした。モータースポーツには憧れを抱いていて、自分もドライバーとして参戦出来るようになりました。

しかし、モータースポーツというのは決して安定した世界ではなく、一年一年の契約で成り立っているもの。ドライバーだったらそのことへのリスクは自分自身だけが背負いますが、ガレージ運営となるとスタッフの生活を守らなければいけません。それは正直な表現をすれば脆弱な環境であり、健全な経営をするのはとても厳しい世界なのです」

華やかに見えるモータースポーツだが、その背後には厳しい現実も存在している。そして名門ガレージも2008年に発生したリーマン・ショックに端を発する厳しい経済状況の荒波に揉まれてしまうこととなった。

「景気の悪化もあって、2008年いっぱいで土屋エンジニアリングのレース活動は休止に追い込まれました。2009年は会社としては何も仕事が無い状態でしたが、それが現実なのです。それまで長年に渡って、純粋に技術の本質を追い求めてやってきましたが、本当に2009年は何も無くて『これは、おかしいぞ』と単純に自分で思いました。そして、大好きなモータースポーツの世界でおかしいことがあるのなら、それは変えていかなければいけない、と。冷静に考えて、土屋春雄と土屋エンジニアリングは業界にとって無ければならないんだ、職人は宝なんだ、それを潰してはいけなんだ、という結論が自分の中で見えてきたのです」

自分の進むべき道が見えてきたという武士さん、2015年に「つちやエンジニアリング」を復活させ、SUPER GTへの参戦を果たした。

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