REVIVE ADVAN IN GT =前編=

2019年は1大会平均で4万8千人あまりの観客を集めた、人気のカテゴリーが「SUPER GT」。その集客はプロスポーツリーグとして国内トップクラスを誇り、GT500とGT300ふたつのクラスで繰り広げられる熱いバトルは多くのモータースポーツファンを魅了する。タイヤコンペティションで行われている世界的に見ても数少ないトップカテゴリーであり、このページでは前身の全日本GT選手権時代から続くヨコハマタイヤの参戦史をご紹介しよう。


全日本GT選手権の発足、存在感を見せたADVANカラー

1993年に前年まで10年間続いていた全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)を発展させるかたちで全日本GT選手権レースが発足し、同年3月に富士スピードウェイで開幕戦が行われた。しかし、この年は僅か2台の参戦に留まり、他カテゴリーとの混走で競技は行われて選手権は成立したものの、現在のSUPER GTからは想像できない静かな幕開けとなった。

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この1993年は、日本のレース史におけるひとつの転換点として振り返ることも出来る。全日本ツーリングカー選手権、というよりは「グループA」の呼び名で親しまれ、高い人気を誇っていたシリーズがラストイヤーとなったのだ。同年秋に富士スピードウェイで行われた最終戦は、実に94,600人(主催者発表)の観客動員を記録して伝説となっている。

1994年、GTは全日本GT選手権に名称を改めた。一方でグループAの後継としては4ドア車両によるJTCCが発足、ツーリングカーレースは新しい時代の幕が開いた。そしてGTの開幕戦はふたつのクラスに合計18台が出場、ヨコハマタイヤを装着した「タイサン ADVAN F-40」が3位表彰台を飾っている。また、ADVANカラーをまとうマシンも参戦、GT1クラス(現在のGT500に相当)には当時参戦が認められていたグループCのポルシェ・962Cや、ツーリングカーの雄として知られるポルシェ・911 RSR-Tが存在感を見せていた。そしてこの年の第3戦・富士では、ポルシェ・962Cをアンソニー・リード選手とともに駆った近藤真彦選手がGT初優勝を飾っている。

1995年にはGT1クラスだけでスポット参戦を含め27台がエントリー、その半分ほどがヨコハマタイヤを装着して戦った。そして第2戦の富士、さらに第5戦のスポーツランドSUGOでともにポルシェ・911 GT2が優勝。第5戦は近藤真彦選手がアンソニー・リード選手とのコンビで、前年に続いて表彰台の真ん中を手中にした。

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多くのファンを魅了するGT、栄光の勝利へ

1996年、それまでは一人のドライバーで戦うことも認められていたが、このシーズンから2名制が導入された。またクラス呼称も現在と同じ「GT500」と「GT300」とされ、GT300クラスもバラエティ豊かな車種構成で盛り上がりを見せてきた。なお、このシーズンの第4戦では、GT500クラスの日産・スカイラインを駆って織戸学選手がGT初参戦を果たした。第5戦ではGT300クラスにトヨタ・MR2で参戦、前年にGTデビューを果たしていた土屋武士選手とコンビを組んだ。

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20世紀最後のシーズンとなった2000年、GT500クラスで注目を集めたのが「エンドレス アドバン スープラ」。名門・土屋エンジニアリングがENDLESSとタッグを組み、織戸学選手もドライバーとして起用されたマシンには「25」のゼッケンがつけられた。ヨコハマタイヤのサーキットレースにおけるエースナンバーが、名門の下でトップクラスに堂々の参戦を果たしたのである(選手権黎明期にGT1クラスで25を使用したチームあり)。

2000年からは海外でのレースも開催されるようになったSUPER GT、更なる発展が期待される中で迎えた21世紀。2001年のGT500には土屋エンジニアリングとTOYOTA TEAM SARDの2チームから参戦するトヨタ・スープラがヨコハマタイヤを装着して戦った。

2002年、そして2003年もGT500のヨコハマタイヤ勢はスープラの2台体制。2003年は車両規定が大きく変更され、スープラは前年までのターボエンジンからV8のノンターボエンジンへ換装された。またフラットボトムの義務化によりダウンフォースが減少するなど、走りを司るタイヤにとっても最適化がより求められた。

シーズン終盤の第7戦、舞台は九州のオートポリス。1999年のオールスター戦以来、同地では初の公式戦となった決勝は予選5番手の「デンソーサードスープラ」が快走。スタートを努めた織戸選手はオープニングラップのうちに2番手へと浮上、24周目のヘアピンで前を行くマシンを捕らえてトップを奪う。後を受けたドミニク・シュワガー選手も危なげ無い走りでポジションを守りきり、優勝を飾ることに成功した。

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