Takuma Aoki Challenge Story (4)

2014年はアジア・クロスカントリーラリー(AXCR)とGT ASIAに参戦、ラリーでは日本人最上位を獲得し、レースでは第10戦までに3勝を飾っている青木拓磨選手。その活躍をお伝えする特集企画の締めくくりとして、これまでのレース活動を振り返りつつ、将来の目標などについて語っていただいた。


4輪レースに必要な総合力 – いろいろなカテゴリーに挑戦して

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青木拓磨選手は2009年にナンバー付車両によるカテゴリーで、レースへの参戦を果たした。しかし当時はライセンスに「レース除外」の限定がかけられており、ナンバー付カテゴリーのみは出場可能だったことからのエントリーであった。4レースにヴィッツやデミオで出場したが、実際のところ選択肢はほかに無かったのである。
そして翌年、ライセンスの限定が解除された。青木選手はインテグラでスーパー耐久シリーズに出場、3戦に土屋武士選手らとエントリーして全てで完走を果たしている。その後、2011年にはシビックワンメイクレースにフル参戦。2012年から2シーズンにわたってスーパー耐久のST-2クラスにランサー・エボリューションで出場、2013年からはGT ASIAへと戦いの舞台を広げてきた。

「シビックワンメイクのようなスプリントレースにはじまり、耐久レース、GT ASIAのようなセミ耐久と参戦を重ねてきましたが、これらを通じて学んだのは最初のほうでもお話ししたように、4輪レースというのはマシンの占める割合が大きいということですね。
ドライバーが無理をして一発のタイムを出すことは出来ます。でも、一瞬は行けるんだけれど、その先がないんですよ。そんな無理を何周も続けることは無理でしょう。だから、まずは車というハードウェアをどうしていくか、というところに行き着きました」



誰でも買える装置でGT車両を駆る – 着実に進化するマシン

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マシンの完成度の高さ。おのおののコースやコンディションに最適化されたセッティング。こうした条件をドライバーとチームが一緒になって整えることが、4輪レースでは勝つためにとても重要であると青木選手は経験を通じて知ったのである。
そして、青木選手の走りを支える運転補助装置やさまざまなパーツも、着実に進化を遂げてきた。

「僕が使っている運転補助装置は、通常のHパターンのマニュアルトランスミッションの場合、具体的にはスーパー耐久で乗ったランサーのようなケースですが、エンジンブレーキを一切使うことが出来ないんです。レースをオートマチックトランスミッションのドライブレンジだけで走っているような状態なので、ブレーキがどうしても厳しくなってしまうんですね。
その点、GT ASIAのマシンは元々がパドルシフトなので、これに補助装置を使うとエンジンブレーキを使っていくことが出来ます。この補助装置は誰でも買えるもので、値段は15万円くらいでしょうか。15万円の装置で4,000万円の車を動かしているんですよ(笑)。本当に良く出来ていて、レースですから街中の走行ではあり得ないような大きな力を操作部にかけるのですが、全然ビクともしませんね。
ちなみにブレーキパッドもGT ASIAでは富士で使ったものよりセパンではフロントを効くようにしたのですが、とてもバランスが良くてコーナーの奥まで突っ込んでいけるようになりました。」



人生の第二章 – ヨコハマタイヤとともに進む

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青木選手は自らが、現在のモータースポーツ活動を“人生の第二章”と呼んだ。この第二章の挑戦を支えるヨコハマタイヤについて、青木選手は次のように語った。

「ヨコハマタイヤのスタッフには、二輪好きという人もとても多いですね。ヨコハマタイヤ、特にADVANはレースのイメージがとても強くて、ちょっと憧れる存在だったんです。中でも高橋国光さんは二輪から四輪に転向した大先輩でもありますし。
僕もヨコハマタイヤと一緒にレースを出来ていることが心強いですし、タイヤだけではなくて自分の身体のケアについても一緒に出来ていることがとても嬉しいですね。ヨコハマタイヤと一緒に進んでいる今現在は、僕の人生の第二章という感じになっているんです」



ル・マン24時間で勝ちたい – 多くの人に強い意志を持ってほしい

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青木拓磨選手の“人生の第二章”。その挑戦について、これからの目標を最後にお聞きして、この特集企画を締めくくろう。

「最終的には、ル・マン24時間レースで勝ちたいですね。どうしてル・マンなのかというと、僕が以前に参戦したダカールラリーもそうなのですが、やはりそのカテゴリーで一番上に行きたいんです。僕としてはクロスカントリーラリーだったらダカールラリーだろうってなりますし、ツーリングカーレースなら世界三大レースのひとつに数えられるル・マン24時間なのです。
そこで走りきって成績を出すことはとても名誉ですし、大きな目標にもなるわけです。多くの人に感動も覚えていただけるでしょうし。
どうしてレースをするのかというと、根本的に好きだからです。僕からレースを取り除いたら、なんの取り柄もないし、極端に言えば生きている意味も薄れてしまう。
だから、ル・マン24時間は出たい、のではなくて勝ちたいんです。
そんな僕のことを見て、『拓磨が出来るんだったら、自分だって出来る』という思いを多くの人に抱いてほしい。頑張っているという思いがどんどん広がっていけば、日本に限らず世界中で怪我をした人がもっと強い意志を持てるようになると思うんです」



青木選手はドライバーとして活躍するのみならず、「レン耐」という参加型レースイベントをプロデュースして、モータースポーツやモーターサイクルスポーツの楽しさを広く普及する活動も展開している。
多くの人々が夢や感動を共感している青木選手の“人生の第二章”、その挑戦にはさらなる飛躍が期待されている。