Get Back ADVAN

“挑戦者”という生き方。
レーサー・松井孝允の流儀。 / 前編

2022.3.4

この地のラップタイムが世界中の指針として注目される筑波サーキット・コース2000でのタイムアタックとなれば、プロ、アマチュア問わず誰もが本気で乗り込んでくる。あらゆる猛者たちがしのぎを削るタイムアタックイベント「Attack TSUKUBA 2022」に松井孝允が挑んだ。トラストの「GReddy GR86」を駆り、誰よりも先にGR86で1分を切ろうとスロットルを深く踏み込む。しかしその先に、早くも大きな試練が待ち構えていた。

Words:中三川大地 / Daichi Nakamigawa
Photography:真壁敦史 / Atsushi Makabe
Special thanks:TRUST / GReddy

松井孝允 / 前編

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GR86で筑波1分切りを目指す
松井孝允を襲った強烈な洗礼。

タイムアタックは気温と路面温度の低い朝晩が勝負だ。この日は午後から雨模様になる予報だった。つまりチャンスは朝の一発だけ。コースインしたアウトラップでタイヤを温め、マシンの状態を確認し、そのまま次の周でアタックに入る。当日の練習は何もない、いきなりの一発勝負だ。

その一発勝負は、しかし、もっとも悪い結果となってしまった。80Rで縁石に乗ってスピンし、そのままマシンのリヤ側をタイヤバリアへ当ててしまう。レーシングドライバーながら本格的なタイムアタックは初めてだったというこの男は、いきなり強烈な洗礼を浴びたかのようだった。

SUPER GTやスーパー耐久で活躍し、ニュル24時間の経験もあるレーシングドライバーの松井孝允(まつい・たかみつ)が、チューニングカーによるタイムアタックイベント「Attack」に挑戦した。2月19日、タイムアタックの聖地とも言える筑波サーキットで開催された「Attack TSUKUBA 2022」だ。この地でのラップタイムは、日本はおろか世界中の指標となるほど注目される。プロショップが集いつつもクラブマン主体だったAttackにも、今やこぞってプロのレーシングドライバーが挑戦を始めている。

今回、松井のパートナーは名門チューナーのトラストだった。マシンはトヨタGR86をトラスト流に仕立てた「GReddy GR86」である。トラストがこのマシンで掲げた目標は、シンプルに筑波の1分切りだった。

今やチューニングカーの世界では、1分切りは決して珍しいものではない。しかし、デビュー間もないGR86なだけに、搭載されるFA24型のエンジン制御をサードパーティーはまだ完全に掌握しておらず、今のところ過給機の類は使えない。2021年末にHKSが叩き出した1分1秒286がこれまでの最速タイムだった。つまり1分を切るということは、同時にGR86の中でも最速であるということ。トラストはその両方を獲りにいこうとした。

トラストが己に課したレギュレーションは厳しい。オーバーフェンダーなどのボディ加工はせず、空を飛ぶようなエアロパーツもつけない。見た目はあくまで純正+アルファといった状態を貫く。タイムアタックマシンだからといって別モノに仕立てるのではなく、あくまで市販品との一貫性を持たせるクルマづくりこそトラストの真骨頂である。なお、エンジンは2.4ℓ自然吸気のままだが、そこにNOSを投入してパワーを稼ぐ。280ps程度の出力性能を持ち、車両重量は約1050kgと極限まで軽量化した。

タイヤはタイムアタック界の定番とされるADVAN A050(G/Sコンパウンド)。前後とも265/35R18サイズで挑む。“誰よりも一番速い者が正義”というシンプルな世界である。それはADVAN A050のような、ドライグリップ性能に長けたモータースポーツ向けのタイヤが真価を発揮する場であり、同時にADVANブランド側にとってもノウハウを蓄え、ユーザーとともに成長していく場でもあった。

アタックラップに挑むにあたり、トレッド表面の状態や、温度、そして空気圧をどう設定するか。トラスト側のエンジニアと松井とで、長い時間をかけてタイヤの使い方について協議している光景を見て、そんなことを感じた。

「Attack TSUKUBA 2022」の本番前日の練習走行で、松井孝允のドライブするGReddy 86は59秒911という幸先のよいラップタイムをマーク。しかし、本番当日――松井は“一発勝負”の世界であるタイムアタックならではの強烈な洗礼を受けることになる。

「Attack TSUKUBA 2022」イベント前日の練習走行では、松井の走りは際立っていた。ラップタイムにして59秒911。いきなり1分切りという目標を達成したのである。だからこそ、彼自身にしても、レースとはまた違ったタイムアタックならではの緊張感を感じ取りながら、同時にそのプレッシャーを楽しんでいるようでもあった。

しかし、練習走行のタイムを更新する勢いで挑んだ本番のアタックラップで、冒頭のアクシデントが起こったのだった。しかもガチンコのライバルにして他社ブランドのタイヤを履くレボリューションのGR86(HALxRevo GR86)は、1回目のアタックで59秒602を叩き出してしまう。それは記録に残る「筑波1分切り」はおろか、「GR86最速」という称号まで、その手からこぼれ落ちていった瞬間だった。

松井孝允の根底に流れる
つちやエンジニアリング魂。

どうにか自走で戻ってきたGReddy GR86だったが、ハッチゲートやリヤバンパーを中心に痛々しい傷が見受けられた。松井の身体に問題はなく、一見したところ足まわりやパワートレインにも損傷がないことが救いだったものの、筆者は正直に言えば「これで終わってしまうのか」と思っていたところがあった。

しかし、松井はすぐに前を向いていた。マシンを降りるなり、その場にいる誰彼問わず、最初に詫びをいれた。そして、その次の瞬間には、ふたたび走らせるための道筋をメカニックと話していた。必要以上に恐縮したり、落ち込むヒマなど1秒たりともない。メカニックと一緒になってマシンをチェックし、外した部品を運び、そして誰よりも修理の様子を見守った。百戦錬磨であるトラストのエンジニア、メカニック勢の手さばきや機敏な動きは圧巻だったが、松井もそこに積極的に気持ちで加わった。

レーシングドライバーが、ここまでメカニックやエンジニアと一緒になって作業をする姿などあまり見たことがなかった。彼はわずかな時間も椅子に腰を下ろそうとはしなかった。

午前中のタイムアタックでスピンを喫してマシン後部をタイヤバリアにヒットさせてしまった松井だが、それでも臆することなく、「次」のアタックに向けた前向きな闘志をチーム全体に見せていたのが印象的である。

松井は半世紀を超える老舗プライベート・レーシングチームにして、自らでマシンをつくるコンストラクターでもある「つちやエンジニアリング」で育った。レーシングドライバーとして活動するも、満足のゆく結果を残せずにいた2000年代後半、目の前に立ちはだかる高い壁にもがき苦しんでいた彼に、土屋武士が手を差し伸べたのだ。

2015年にSUPER GT(GT300クラス)に復帰したつちやエンジニアリングが走らせた、マザーシャシーのトヨタ86のステアリングを握ったのが、土屋武士と松井孝允だったのが記憶に残る。チームとしては7年ぶりの復帰ながら、そのブランクを感じさせない快走を続け、同シーズンでは初優勝を獲得。そのうえで翌2016年はチームとドライバーズチャンピオンの二冠を達成している。「最初(2014年)はJAF-F4で松井を育て、2年目にSUPER GTに復帰し、3年目でチャンピオンを獲る」という土屋の計画を有言実行した格好だった。なお、松井は今でもつちやエンジニアリングに在籍している。

2016年、人生の師と仰ぐ土屋武士(つちやエンジニアリング代表)とともにSUPER GT GT300クラスのチャンピオン(チーム/ドライバーズの2冠)を獲得した、思い出深いマザーシャシーのトヨタ86のコクピットに収まる松井。2022年シーズンはGR Supra GT でSUPER GT GT300クラスに挑む。

「時間があるときは、走ったあとのホイールを掃除したりだとか、タイヤを組むのも意外と得意です。メカニックの方々の技術にはとうてい敵わないけれど、ちょっとでも僕に手伝えることがあればいいなといつも思っています」

彼はつちやエンジニアリングに身を置き、レースやドライビングを学び、そしてマシン開発を学んだ。しかし、もっとも学んだのは土屋の背中からだったのかもしれない。

「仕事に対する考え方、取り組み方。まわりの意見や環境に左右されずに自分の考えを貫く“ブレない”心構え。レーシングドライバーとしてではなく、社会人として教わったことがすごく大きいと、今になって感じています」

松井のこうしたバックボーンと、そこから芽生えた考え方を前にすれば、損傷したマシンの修理を、率先して協力しようとした理由がわかった。

「つちやエンジニアリングに身を置き、マシン開発や製作の現場にいると、皆さんがどれだけ大変な思いをしてつくっているのかを肌で感じました。だから安直にはコースアウトできないし、ぶつけながら抜いていくようなアグレッシブなスタンスは僕にはない。損傷を厭わず果敢に攻めてその場では抜いたとしても、その後の修理のことを考えると、長い目で見たらチームは疲弊してしまう。僕はやっぱり、チームの一員としてともにいいマシンをつくり、いい状態を保ちながら、なによりも全員で勝ちたい」

と、かつて松井が話していたことを思い出した。冒頭のアクシデントの際、彼はプロのレーシングドライバーとして、あるいは社会人として、ピットでは忙しなく動きながらも、感情は常に平静を保っていたように見えた。しかし、この言葉を前にすれば、心の奥底ではそれがどれほど悔しいものだったのかと思う。「何がなんでも、もう一度、走らなければならない」と彼はピットで己の拳に力を入れた。

「もう、行けるところまで
行ってみようと思います」

トラスト陣営の技術と努力の甲斐あって、さらに松井の願いも通じたのか、マシンはふたたびアタックできる状態にまで復帰した。しかし、当然ながらベストコンディションとは言えない。応急処置のみのボディは、その空力性能が著しく低下しているだろうし、もっとも状態の良いタイヤも使ってしまった。アクシデントの影響でABSのエラーが出る兆候まであった。なにより2回目のアタックは昼前だ。朝よりも確実に気温や路面温度は上がっている。

それでも、松井は少しも悲観などしていなかった。

「もう、最初にやっちゃったんで、逆に気持ちが落ち着いたというか。もう、行けるところまで行ってみようと思います」

それはレーシングドライバーとはまた違う、新しい“タイムアタッカー”松井孝允が誕生した瞬間だったのかもしれない。

松井はヘルメットを被り、グローブを身につけ、マシンへと近づいていく。残されたアタックラップはあと1周だ。これですべてが決まる——。

(文中敬称略)

松井孝允 / 前編

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松井孝允

1987年12月15日生まれ、広島県福山市出身。レーシングカートを経て、フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)からレースの世界に入る。2006年にFJ1600岡山シリーズでデビューイヤーながら4勝を挙げ、シリーズチャンピオンを獲得。その後、TOYOTAの若手育成プログラムTGRドライバー・チャレンジ・プログラム(TDP)からフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)にステップアップして2年間参戦。2009年にはスーパー耐久ST4クラスでチャンピオンを獲得。2010年には再びFCJに参戦してシリーズランキング2位を獲得している。一時はレースの世界から離れ就職して一般社会人として暮らすも、 FTRSの講師だった土屋武士に見出され「つちやエンジニアリング」に就職。社員として働きながら経験を積み、JAF-F4に参戦するなど、再びプロのレーサーとしての実力を磨き上げていった。SUPER GTには2015年からの「つちやエンジニアリング」の復帰に合わせ、師と仰ぐ土屋武士とのコンビでGT300クラスに参戦。2016年にはマザーシャシー(MC)のトヨタ86でシリーズチャンピオン(2勝)に輝いている。また2016年から参戦したニュルブルクリンク24時間レースでは、2018年にクラス優勝を果たすなど実力派としての輝きを周囲に示した。2022年シーズンはGR Supra GTでSUPER GT GT300クラスに参戦。再びシリーズチャンピオン獲得を目指す。

Special thanks(取材協力):TRUST / GReddy