Get Back ADVAN

“挑戦者”という生き方。
レーサー・松井孝允の流儀。 / 後編

2022.3.11

トラブルを克服して走りきったその先に、松井孝允はどんな景色を見たのか。それは決して満足のいくものではなかったのかもしれない。しかし彼の中に残った“悔しさ”は、次に挑戦する気持ちとして、彼の大切な原動力となっていく。タイムアタックという新しい世界を駆けぬけた彼の、“挑戦者”としての生き方はこれからも続く。

Words:中三川大地 / Daichi Nakamigawa
Photography:真壁敦史 / Atsushi Makabe
Special thanks:TRUST / GReddy

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松井孝允 / 後編

トラブルからの再挑戦を経て
その胸に刻まれたもの。

「これだけ大きなプレッシャーのなかで走るんだっていうことを、初めて体感しました。そして、マシンやタイヤ、チーム体制など、タイムアタックという何もかも違う条件のなかで闘って勝つことが、どれだけ難しいのかも知りました」

マシンを応急処置して挑んだ2回目のアタック。松井孝允はGReddy GR86の状態をつぶさに見極めるかのようにマシンを操り、ピットレーンからコースへと入っていく。アウトラップでタイヤに熱を入れながらADVAN A050のグリップ力を確かめ、いよいよアタックラップへと突入した。

その寸前までレーシングカーを超越するようなサウンドを奏でるモンスターマシンが、50秒台前半で駆けぬける光景を目にしていたからだろうか。松井の駆るGReddy GR86は、拍子抜けするほど静かかつスムーズに、まるでコースの中を泳ぐように走っていく。それはどこにも無駄のない理知的な走りだった。その走りを前に、誰もが期待に胸を躍らせた約1分間だった。

しかし、結果は59秒937。かろうじて1分切りこそ達成したものの、前日の練習走行で記録された59秒911に、何よりもライバルだったHALxRevo GR86の59秒602にも、わずかながら届かない結果となった。

「1回目のアタックのときのほうがグリップ感は良かったです。そこに照準を合わせてタイヤの準備をしていたので、そこには納得するしかない。やはり早朝のいい時間帯で僕が出し切れなかった。それがすべてです。タイムを出した人が一番という世界なので、僕の責任でしかありません。トラストチームの方々、そしてYOKOHAMAの方々には本当に申し訳なく思っています」

損傷したマシン、上がった気温(路面温度)、そして1回目のアタックに比べて完璧な状態ではなかったタイヤなど、その原因を突き詰めればキリがない。しかし、松井が決してそれを言い訳にすることはない。

「今回は悔しい。勝てなかったのがこんなに悔しいんだって、自分でも驚きました。どのカテゴリーでもレースに挑む以上は、負けたら悔しいんですけど、タイムアタックは別格でした。SUPER GTはチーム戦であり、チームの一員として挑む感覚。ワンメイクレースだったら、マシンやタイヤの競争がない。だけど、これはマシンやチューナー、そしてタイヤも、そのすべてが勝負し合っていて、僕はその勝敗のゆくえを一手に背負って走ることになる。それは今までの僕のレース経験にはない、タイムアタックならではのもの。だからこそ思いっきり悔しいし、そしてこの世界にどっぷりハマってしまいました」

普段はいつも冷静で物静か。決して多くを語らない松井は、この日、初めて感情をあらわにしたようだった。その表情と言葉で精いっぱい“悔しさ”を表現し、タイムアタックの魅力を訴えた。
そして松井は必ず、何らかのかたちでのリベンジを誓った。もしできるのなら、ふたたび同じ体制で、その雪辱を果たしたいと思っているはずだ。

“86”と“ADVAN”という
“戦友”とともに頂点を狙いたい。

悔しさの原因は、“86”での勝負であったことも影響しているのだろう。2014年のスーパー耐久へのトヨタ86での参戦に始まり、松井にとって大きなキャリアアップとなった2015年、2016年のSUPER GTでは、マザーシャシーのトヨタ86を走らせた。さらにはワンメイクレースの86/BRZレースに参戦した経験もある。

そうした経験を受けて、松井は次世代の86となるGR86の開発自体から携わるようになった。プライベートでも愛車として86と付き合い続け、つい先日は新しいGR86へと乗り換えた。アフターパーツを装着したり、プロショップと一緒になってサスペンションを開発したりと、プライベートでも愛車である86に夢中のようだ。

松井の愛車である新型GR86。GReddy / VOLTEXエアロを軸にシンプルながら精悍さを増させた大人な仕上がりが光る。GReddy、GR、BRIDEなどこだわりの機能パーツを各部に落とし込み、開発も手掛けるIDEAL製TRUEVA車高調による絶妙なスタンスを実現。ENKEI製のホイール(RS05RR)にはADVAN Sportの最新作 V107を組み合わせている。通勤からプライベートまで、日常使いでの快適性とスポーツ性を高次元で融合させるためのチョイスだという。

「レーシングカーのメンテナンスはプロの方にお任せするしかないんですが、愛車はできるだけ自分で手を加えたいと思っています。今、乗っているGR86のアフターパーツは、メカニックの方に教わって、僕のおぼつかない手つきを笑われながらも、ほとんど自分で取り付けました。自分で作業すれば、よりクルマを知ることができるし、なにより自分のクルマをイジっているときが一番楽しい」

松井が飛躍した2010年代前半は、86のデビューと重なる。彼にとって86は、レースやストリートを問わず、ともに育ってきた戦友のような存在なのだろう。だからこそ、彼と86とのストーリーで、ただひとつ欠けていたピースであるタイムアタックで勝つことは、彼が86(GR86)のすべてを掌握するにあたって、必要不可欠なものなのかもしれない。

松井はつちやエンジニアリングで育ち、そして86(GR86)とともに闘ってきた。さらにもうひとつの戦友がいるとすれば、それはYOKOHAMA/ADVANだといって間違いない。つちやエンジニアリングはADVANブランドが生まれた1979年からずっとADVANを使い続けてきた。松井もまた然り。レース人生の多くをADVANで闘い、近年はタイヤ開発にまで協力するほど。プライベートで使うGR86だってもちろんADVANだ。

「スポーツカーとしてGR86を捉えたら、最初はNEOVA AD09を入れようかと思ったんです。だけど僕は自分のGR86で買い物に行ったりドライブしたり、もちろんサーキットの遠征まで。あらゆる用途をこれ1台ですべてこなすので、今ではADVAN Sport V107を入れています。過去にはADVAN FLEVAも履いていましたし、家族のクルマはECOSでした」

と、いかにもエンジニア思想を持つ松井らしい言葉を聞いた。それにしても最高峰のレーシングスリックからSタイヤ、ハイパフォーマンスタイヤ、そしてスタンダードタイヤまで、YOKOHAMA/ADVANのすべてを知り尽くすレーシングドライバーなんて、若い世代では彼を除けばほとんどいないのではないか。そうした意味でも、今回、彼がADVANで勝てなかったことは相当に悔しかったのだろう。

世代を超えて挑戦を続ける両雄。
今、彼にそのバトンが託された。

松井のクールな眼差しを包むその眼鏡姿を見て、伝説的なレーシングドライバーにして、YOKOHAMA/ADVANとともに一時代を築き上げた和田孝夫を思い浮かべた。いや、単に眼鏡姿だからというだけではない。F2での大事故で瀕死の重傷を負ったあと、彼はYOKOHAMA/ADVANと土屋エンジニアリング(旧名)の協力があったからこそ、ふたたびトップドライバーに返り咲いている。1982年にマイナーツーリングでシリーズチャンピオンを獲得したADVAN土屋サニーがその象徴だ。当時、和田を支えたのは土屋武士の父親にして、土屋エンジニアリング(旧名)の創業者でもある土屋春雄だった。

あれから約30年。世代は変わったが、つちやエンジニアリングとADVAN/YOKOHAMAとのコラボレーションはいまだに健在だ。そして常に挑戦を続けるコラボレーションだということもまったく変わらない。

そしてその中心には、今、松井孝允という名ドライバーがいる。

松井は生粋のレーシングカーからチューニングカーまで、あらゆるジャンルでさらに経験を積み、今回のようなタイムアタックにも積極的に挑戦していきたいという。今度は本格的にドリフトを学びたいとも話していた。

「もし、僕がもっとドリフトに精通していたら、1回目の走行のときに挙動を乱してしまったとしても、それをマシンの損傷にまで発展させず、スピンだけに止めておくことができたのかもしれません。レースにしてもタイムアタックにしても、もっと“攻めるために学ぶこと”はたくさんあります」

決して遊びでドリフトを体得するわけではないのだった。絶対にマシンを壊さず、チームに過度な負担をかけることもなく、ドライバーとしての仕事を完璧にこなして、全員の力で勝ちにいく。そのために今、自分にとって必要なスキルだと判断したのである。こういう考え方にも“つちやエンジニアリング魂”が見え隠れする。

たったの1分ですべてが決まる、刹那なるタイムアタックという勝負の場で、こうした松井の言葉を聞くと、彼がまるで和田孝夫の姿と重なるように、次世代の伝説的ドライバーの姿に思えた。

彼は今日もまた、愛車のGR86を駆って全国各地のサーキットへと赴き、己に対しての挑戦を続けている。

(了)

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松井孝允 / 後編

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松井孝允

1987年12月15日生まれ、広島県福山市出身。レーシングカートを経て、フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)からレースの世界に入る。2006年にFJ1600岡山シリーズでデビューイヤーながら4勝を挙げ、シリーズチャンピオンを獲得。その後、TOYOTAの若手育成プログラムTGRドライバー・チャレンジ・プログラム(TDP)からフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)にステップアップして2年間参戦。2009年にはスーパー耐久ST4クラスでチャンピオンを獲得。2010年には再びFCJに参戦してシリーズランキング2位を獲得している。一時はレースの世界から離れ就職して一般社会人として暮らすも、 FTRSの講師だった土屋武士に見出され「つちやエンジニアリング」に就職。社員として働きながら経験を積み、JAF-F4に参戦するなど、再びプロのレーサーとしての実力を磨き上げていった。SUPER GTには2015年からの「つちやエンジニアリング」の復帰に合わせ、師と仰ぐ土屋武士とのコンビでGT300クラスに参戦。2016年にはマザーシャシー(MC)のトヨタ86でシリーズチャンピオン(2勝)に輝いている。また2016年から参戦したニュルブルクリンク24時間レースでは、2018年にクラス優勝を果たすなど実力派としての輝きを周囲に示した。2022年シーズンはGR Supra GTでSUPER GT GT300クラスに参戦。再びシリーズチャンピオン獲得を目指す。

Special thanks(取材協力):TRUST / GReddy

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