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YOKOHAMAで勝ちたい。
監督・坂東正敬の信念。 / 前編

2022.2.15

SUPER GT/GT500クラスに参戦する「TGR TEAM WedsSport BANDOH」。そのオーナー兼監督である坂東正敬は「ただ勝つのではなく、YOKOHAMAで勝つことに意味がある」と言う。常に「追う側」として頂点を目指し続ける男――その信念に触れる。

Words:髙田興平 / Kohey Takada
Photography:真壁敦史 / Atsushi Makabe

坂東正敬 / 前編

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レースは活躍しないと注目されない。
当たり前だけれど、勝つことがすべて。

「爪痕(つめあと)は残してきましたよ。GT500に参戦して今シーズンで12年目になりますからね。そりゃ爪痕くらいはしっかり残しておかないと、何やってるの?って、言われちゃいますからね」

“世界最速のツーリングカーレース”と謳われるSUPER GTシリーズ。そのメインカテゴリーとなるGT500クラスに参戦する「TGR TEAM WedsSport BANDOH」(マシンは19号車 WedsSport ADVAN GR Supra)のチームオーナーにして監督も兼務する坂東正敬(ばんどう・まさたか)は、どこか淡々とした口調でそう話しはじめた。

幼い頃からサッカーに夢中になり、プロを目指すもその夢は叶わなかったという坂東が、レースチームの監督業の世界に足を踏み入れたのは今から19年前、2002年のことだった。最初はトヨタ・アルテッツァのワンメイクレース。素人同然でスタートさせた監督業ゆえ優勝には及ばなかったが、それでもポールポジションや表彰台を獲得するなど経験と実績を積み上げ、2007年には“監督代行”ではあったものの、いきなりSUPER GTのGT300クラスにステップアップ(2008年より正式に監督就任)を果たしている。

「レースは活躍しないと注目されない。当たり前だけれど結果、勝つことがすべてなんです。チームの中での監督の役割っていうのはまず信じること。そう、チームの総合的なまとめ役である監督自身が誰よりも『勝てる!』って信じない限りは勝てないし、結果も出せない。そういうものだと、僕は信じていますね」

1月下旬、2022年シーズン最初のメーカーテストとなった鈴鹿サーキットのチームピット。翌日からの2日間のテストの準備を進めるチーム全体の動きを見つめる坂東の表情はあくまで穏やかではあるが、その眼差しの奥には勝負師特有の鋭さのようなものも見て取れた気がする。

レースの世界はね
チームワークがすべてなんです。

「正直、僕らのチームはGT500でチャンピオンを獲るにはまだ長い道のりがある。現状では優勝すること自体、簡単ではないのも事実。500という山の頂は、想像より遥かに高いんです。ワークスとサテライトの差だってそれは相当に大きいわけですから。
でも、勝てないわけではない。勝つことはできる。レースは結局、総合力なんですよ。複合的な要素を1つひとつ組み合わせながら、総合的な強さを積み上げていく。それがレースチームの正しいあり方だし、それをまとめるのが監督の仕事。だから勝てない理由を何か特定の要素のせいだけにすることは、僕は嫌いです。総合力で勝てるチームを常に目指していますからね」

坂東正敬という男のパブリックイメージは一言で言えば“やんちゃ”。GTアソシエイション(GTA)の代表としてSUPER GTを日本最高峰のレースシリーズに育て上げ、“親分”という愛称で日本のレース界に多くの功績と武勇伝を残してきた偉大な父、坂東正明の遺伝子を受け継ぐどこか強面(こわもて)の雰囲気に加え、さまざまなメディアやトークイベントなどを通して見せる歯に衣着せない、ときに過激とも受け取れるパフォーマンスもまた、“坂東マサ”というキャラクターに独特な勢いを与えている。

しかし、あくまで“監督”という立場で話す坂東正敬はクレバーかつ終始丁寧な物言いが印象的であり、ものごと全体を俯瞰することのできる、何より落ち着き払った、それは理想のリーダーとして映るのだからその二面性は興味深くもある。

「まだ右も左もよく分からなかったGT300の監督時代、レクサスのISのマシンをイチから仕立ててシリーズチャンピオンを獲ったときの経験は大きかった。チームワークの大切さを理解したのはあのときですね。監督という役割はどれだけ自分の中に引き出しを持てるか? それに尽きる。エンジニア、メカニック、ドライバー、さらにはサプライヤーなど周囲のスペシャリストの皆さんも含めて、チームに関わってくれる人たちの力をどれだけ理解して、信じて、それを有効に引き出すことができるか? もちろん、タイヤを作ってくれる横浜ゴムさんもチームにとって掛け替えのない大切な仲間です。いつも一緒に、勝つために戦い続けてくれている。
監督だのオーナーだのと偉そうに言ったところで、僕自身は所詮、何もできないんですよ。だからこそ、皆の力を信じて、盛り上げて、最後に1つの方向にまとめるしかない。自分では分からないからこそ分かる人たちにきちんと聞いて、『なんで?』って気持ちを常に抱いてものごとの本質を貪欲に学んでもきました。本当に、一人では何もできない世界ですからね。チームワーク――レースの世界はね、それがすべてなんです」

2022年初となるテストを前に、マシンを囲んでのチームミーティングを行う坂東。「皆の力を信じて、盛り上げて、最後に1つの方向にまとめる」――坂東にとっての監督の役割とは、すべての部分において“前向きなチームワーク”を機能させるための、まとめ役に徹することだという。

必ず追いつけるし
いつかは追い越せる。

YOKOHAMAに対する坂東の信頼は厚い。GT300では2008年にシリーズチャンピオンに輝き、GT500でも2016年のタイ・ラウンドで悲願のチーム初優勝をYOKOHAMAと共に遂げている。
GT500の常勝チームが履くタイヤメーカーの総合力や安定感にはまだ追いつけていない部分が多いと誰より理解しつつも、坂東は「必ず追いつけるし、いつかは追い越せる」と力をこめて言う。

「2021年シーズンは二度のポール(Rd.2富士・Rd.7もてぎ)も獲れたし、2位表彰台にも二度(Rd.4もてぎ・Rd.7もてぎ)上がれた。それでも勝てなかったという現実はものすごく悔しいけれど、トヨタ勢の一員としてGRスープラにマシンをスイッチした2020年シーズンは一度も表彰台に上がれなかったことを考えれば、2021年は着実に良い方向へと結果を積み上げることができました。
GT300の時代にはチャンピオンが獲れて横浜ゴムさんと一緒に良い景色を見ることができた。そのもっともっと上の景色を求めてGT500にチームとしてステップアップしようと考えたとき、大きなチャンスを与えてくれたのも横浜ゴムさんでした。
レースは結果、勝つことがすべてと言いましたけど、僕はその勝ち方にもこだわりがある。それは、常勝チームでは絶対体現できない、常にビハインドの状態からチャレンジし続けた僕らだからこそ見せることのできる、勝てたときのあの特別な景色を、みんなと分かち合いたいということです。2016年のタイで僕が見たあの景色はね、本当に素晴らしいものだったんです。
野球で言えば阪神タイガースなんですよ。なかなか勝てないけれど、だからこそ『勝ち様(ざま)』には誰よりも強くこだわるというあの姿勢。そこに、ファンは熱い何かを感じ取ってくれる。だってね、読売ジャイアンツが日本一になったところで、誰も歓喜して川には飛び込まないでしょ?」

そう言うと、坂東はこの日はじめて笑顔を見せてくれた。

前に進むためには
既成概念を取り払う。

「今シーズンはチーム人事を刷新しました。工場長やチーフメカニックを軸に若返りも図った。一度ニュートラルな状態に戻すことが目的です。『誰かのせい』『何かのせい』ではなくて、『ダメならここをもっとこうしよう』みたいにポジティブな意見を出し合ってチームをその先に前進させたい。チーム運営を長く続けていく上でこういうリセットのタイミングは必ずくるし、そのタイミングでどう動くかを判断することこそ、監督の役割だと思いますね。凝り固まった既成概念に囚われてしまうと、前には進めないから」

今シーズンのチーム体制の刷新で坂東自身、特に重きを置いた部分があるという。それはタイヤメーカー、すなわちYOKOHAMAがもっとやりやすい環境を作るということ。そのためにはお互いのコミュニケーションをより活発にさせる状況を作り出して、「タイヤで勝つ」という意識をチームとYOKOHAMAとの間でより強く、深く共有させることが必要だと考えたのだ。

「我々は常にチャレンジャーなんですよ。レースの世界はどんどん進化していて、データ至上主義、すなわちデジタルな要素をしっかりとモノにして効率的にデータを積み重ねていかないと勝つことは難しい。GT500の場合は、特にその要素が色濃いですね。
それでも、結局のところ最後は人間の力がものを言うと僕は信じています。追う立場である以上、完成されていない部分も多い。だからこそ、新しい考え方、やり方、捉え方、そして何より人間同士の受け止め合い方を大切にしたい。
それってたぶん、『想い』という言葉に集約できると僕は思う。ただ勝つためならね、選択肢は他にいくらでもあるんです。でも、僕は『想い』を伝え合える距離をもっともっと縮めた上で勝って、一緒にチャレンジした仲間と特別な感動を分かち合いたい」

時代遅れな考え方なのかもしれない。日本の、いや世界で見てもトップレベルにあるレースシリーズにおいては、こうしたアナログ寄りの熱い闘志は今や旧世代の遺物として、どこかで一笑に伏せられてしまう類のものなのかもしれない。

しかし、監督・坂東正敬という男のどこまでも熱を帯びた信念に実際に触れてみると、理屈や理論よりもまず、その芯の部分から伝わってくる真っ直ぐな想いに、気づけば惹き込まれている自分がいたのもまた、事実だった。

(文中敬称略)

坂東正敬 / 前編

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坂東正敬

1976年3月31日生まれ。有限会社坂東商会、株式会社レーシングプロジェクトバンドウ代表取締役。通称は“坂東マサ”。坂東商会の創設者であり、現在はSUPER GTシリーズのプロモーターである株式会社GTアソシエイションの代表を務める坂東正明は実父。幼少期からサッカーに打ち込み、ドイツ留学を経て清水エスパルスの練習生も経験した。レースの世界には21歳で坂東商会にアルバイトで入ったことから関わりを持ちはじめ、ネッツカップに参戦するも自分が走ることよりチームをまとめることに興味を持って監督の道へと進む。SUPER GTには2007年にGT300クラスの監督代行として関わり、2008年からは正式に監督に就任。2009年には早くもシリーズチャンピオンを獲得している。2011年には父である正明の夢でもあったGT500クラスに当時の最年少監督として参戦を果たす。以来12年間、熱い想いを胸にチームを日々まとめ上げながら、悲願とも言うべきGT500でのシリーズチャンピオン獲得に挑み続けている。