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YOKOHAMAで勝ちたい。
監督・坂東正敬の信念。 / 後編

2022.2.18

SUPER GT/GT500クラスに参戦する「TGR TEAM WedsSport BANDOH」。そのオーナー兼監督である坂東正敬は「ただ勝つのではなく、YOKOHAMAで勝つことに意味がある」と言う。後編では引き続き、常に「追う側」として頂点を目指し続ける男――坂東正敬の信念に迫る。

Words:髙田興平 / Kohey Takada
Photography:真壁敦史 / Atsushi Makabe

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坂東正敬 / 後編

GT500は何よりシビアな世界。
そこには究極のプロフェッショナルがある。

「自分がGT300を担当していた当時は、現在とはレギュレーションの違いもあって、わりとスムーズにチャンピオンが獲れたんです。でも、いざGT500に関わるようになると世界がまったく違った。GT300とはもう明らかにレベルが違ったのです。300のときはユーザー数も多くて、幅のあるデータを取って分析、共有することも比較的容易な部分はありました。さらにはタイヤというよりはむしろ、クルマとドライバーに助けられていた部分も多かったのだと、500のすべてがプロフェッショナルで何よりシビアな世界に触れてみて、改めて痛感させられましたね」

そう語るのは横浜ゴム株式会社 MST開発部 技術開発1グループの須藤裕輝(すとう・ゆうき)である。2013年10月にMST開発部に配属。GT300を担当(三度のチャンピオンを経験)したのちに2017年から徐々にGT500にも関わりはじめ、2018年からはGT500全体の技術開発を担うようになった。自身も学生時代から趣味でレース活動をするなど、「レースが好き」という想いをその根底にもった人物でもある。

横浜ゴム株式会社 MST開発部の須藤裕輝。GT300で経験を積んだのちに技術開発を担うことになったGT500では、その明らかなレベルの違いに当初は戸惑いを覚えるほどだったという。そこには、すべてがプロフェッショナルで何よりシビアな世界があったのだ。

「レースタイヤで最低限必要な要素は壊れないこと。摩耗も含めた耐久性がまずは要求されます。その先に、SUPER GTのような長丁場のレースでの安定したパフォーマンスをどれだけ維持することができるか? さらにはコースや気象条件に合わせた適切なセットをどれだけ幅広く揃えることができるか? 実際、言い出したらもうキリがないほど、多岐にまで及ぶ要素を複合的に組み合わせて理想的なセットを探り出す必要がある。
昨シーズンの第7戦もてぎは19号車も24号車(リアライズコーポレションADVAN GT-R/KONDO RACING)も調子が良くて予選でワンツーを獲ることができました。直前のもてぎでのテストで良いセットが見つかって、それが本戦でも狙い通りの結果として繋がったからです」

YOKOHAMA勢が揃って好調なときは、すなわちタイヤそのものが良いセットの方向にハマっていることの現れと前向きに捉えることができるが、逆に昨シーズンのRd2.富士のように19号車だけが予想外のポールポジションを獲るような場合だと、また別の要因をしっかり見つめ直して、データとして分析しなければならないこともある。

「結局のところタイヤは生き物ですからね。特にそれがレースタイヤともなれば、まさに一品一様というべき、生きたものづくりの世界になる」と須藤は続けた。

レース用タイヤはすべてが手作りに近いものであって、設計の指示書を元にゴムを練る(配合を含め)時点から職人の手を介し、例えば同じコンパウンドであっても、成型する釜から上げる際の微妙な温度差で性能に違いが出ることもあるのだという。

データも大切な世界だが、人間の感覚値を汲み取ることも同じく大切な世界。ゆえにエンジニア、メカニック、ドライバー、そしてYOKOHAMAのスタッフも含めた、人間同士のコミュニケーションをより深いものとすることが、チームをこれまで以上に強く前進させる原動力となるのである。

「今回のテストの目的は答え合わせです。我々が理想としたベースを元に、これまでのレースでは選んでいないものを中心に試してみる。坂東監督がチームそのものをニュートラルな状態に一度戻すタイミングで、我々タイヤ開発側にもこれまでの先入観を取り払える機会を与えてくれました。先入観を取り払うことで、チームとのコミュニケーションを新たに深めていくこともできる。こういう環境を作ってくれる監督は少ないと思いますね」

それはある種の実験に近いものだと感じた。データを積み重ねながら性能や構造をアップデートさせ、それをまたテストして答え合わせを繰り返しながら、都度、最適解を追い求める。言葉にして表すことは簡単だが、それは途方もない労力を費やす作業であり、ユーザー数が多くその分のデータも揃えやすい常勝のタイヤメーカーと比べても、GT500では2チームのみへの供給となるYOKOHAMA勢が理想のセットを見つけ出す作業が、想像以上の困難を伴うものであることは容易に理解できる。

「TGR TEAM WedsSport BANDOH」を率いる坂東正敬の、「最後は人間の力がものを言う」という言葉の意味をここで改めて考えさせられた。

ライバルに対してビハインドな要素が多いからこそ、チームに関わる人間たちのコミュニケーションの場、要は想いを正しく伝え合える環境を作り出す必要がある。勘や根性だけで勝てるような甘い世界ではないと誰より理解しながらも、敢えてそうした生のやり取り、人間同士の距離感を凝縮させながら前へと進ませていくやり方があってもいい。むしろ、それを武器にしたい――坂東はそう考え、信念をもってそれを実行しているのだと思えた。

人間臭さを意識して
“ワンチーム”で勝ちにいく。

「BANDOHが好きでこのチームに入りました。子供の頃にビデオオプション(連続ビデオ小説『俺の夢 第二章』)で存在を知って、チームの全員で上を目指す面白さというか、もっと言えば独特の人間臭さみたいなところに惹かれたんです」

そう語るのは今シーズンより工場長としてチームの中枢を担うことになった佐野修平(さの・しゅうへい)。株式会社RACING PROJECT BANDOHに入って8年、今年で30歳という若き工場長である。

今シーズンから工場長としてチームの中枢を担う佐野修平(写真中央)。まだ30歳と若い世代だが、「BANDOHらしい人間臭さ」を意識してチームをまとめていきたいという。

「社長(坂東監督)は怒らないですし、常に冷静です。何ごとに対しても先読みして動くことの大切さをこれまで教えてもらってきました。このチームが大切にしていることは『まずは自分で考える』という文化です。社長が『ああしろ、こうしろ』と考えを押し付けてくることもありません。チーフメカニックも今シーズンから若返りを図って25歳の若手を起用しました。若い世代が活躍できる環境がこのチームの武器でもあるので」

もちろん若手とベテランとのバランスもきちんと取れている。古株の中には2007年から坂東商会で働いてきたメカニックもいて、「年寄りにラクさせろ」と冗談を交えながら若手にもどんどんクルマを触らせていくという。そうした旧世代が新世代へと生きた経験を繋げるような、まさに実践的なサポート環境がチーム内には整えられているのである。

「BANDOHはマシントラブルでのリタイヤが少ないチームです。2021年はピット作業でも8戦中6戦で表彰されるほどクルーの信頼度が高いチームでもあります。やはり感覚値は大切ですね。今シーズンから加わった新しいクルーに対しても、これまで培ってきた感覚を正しく伝達していく必要がある。横浜ゴムさんとのコミュニケーションも、今年はこれまで以上に深めていくイメージです。社長の言う『みんなで勝つ』という意味をきちんと理解して、まさにワンチームで勝ちにいきたいと思っています」

チャレンジ精神を持ち続けること。
それが僕らの武器なんですよ。

「僕はずっと認められたいと思ってやってきました。親父(坂東商会を立ち上げ現在はGTアソシエイションの代表を務める坂東正明)もそうだし、クルマの世界、レースの世界のイロハをイチから教えてくれた織戸 学さんに対しても、常に負けたくないという思いで向き合ってきた。僕は負けず嫌いです。僕のような2代目世代の中ではその先頭を走りたいって常に思っているし、星野一義さんのように『あの監督のチームのマシンは抜かしづらい』って周囲に思わせるくらいの気迫を、チーム全体に貫きたい。
大切なことは巻き込むことなんです。チームの仲間はもちろん、サプライヤー、タイヤメーカー、スポンサー、そしてファンの皆さん。もっと言えばレースに今は興味のない層だって巻き込むことが必要。僕がアパレルをプロデュース(カミナリモータース)したり、メディアに出たりするのは『クルマ文化そのものをもっと盛り上げたい』という想いが強いから。入り口はどんどん増やさないと、クルマ業界もレース業界もこのまま停滞してやがて衰退してしまうでしょ? だからとことんやるんです。阪神タイガースみたいに、たとえ負けても『コイツを応援したい』って思わせるだけの熱さを貫き通したい。 SUPER GTの知名度をもっと高めることも大切です。横浜ゴムさんの存在をもっとメジャーに押し上げることも大切です。そのためには、新しいファンを増やしていくしかない。
『BANDOH 19』という存在がどれだけ多くの人の想いを巻き込んで、それをその先へと広げていけるか? 豊田章男社長もトヨタ勢のマシンがGRスープラに切り替わった一昨年、『Never Give up』とGRスープラ勢唯一の体制で闘う僕らにエールを送ってくれました。やっぱりね、チャレンジ精神なんです。僕らの武器はそう、常にチャレンジし続けるという、その想いを貫くことに尽きる」

粛々とテストメニューが進められていく鈴鹿のチームピットで、新体制で臨むチームの動きを常に俯瞰しながら、監督・坂東正敬は内なる想いをそう熱く言い表してくれた。

2016年にGT500優勝という特別な景色を見ているドライバーの国本雄資(くにもと・ゆうじ)に加え、今年からルーキーイヤーの阪口晴南(さかぐち・せな)を迎えて新たな道のりへと挑む「TGR TEAM WedsSport BANDOH」。その足もとを支えるYOKOHAMAもまた、坂東率いるチームと一体となって、“GT500でのシリーズチャンピオン”というまだ見ぬ頂を、気持ちも新たに2022年シーズンから目指すことになる。

2日間のテスト終え東京へと帰路に着く中、今回の取材に対するお礼のメッセージを坂東に送ったところ、次のような返信がすぐに戻ってきた。

僕のチームが勝ったら

みんなで泣いて

レースの話

沢山しましょう!

諦めないですから

僕は

監督・坂東正敬――このどこまでも熱い想いを胸に秘めた男ならば、いつか必ず、まだ誰も見たことのないような感動的な勝利を、僕たちに見せてくれることだろう。

その日を大いに期待して待ちたい。

(了)
(文中敬称略)

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坂東正敬 / 後編

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坂東正敬

1976年3月31日生まれ。有限会社坂東商会、株式会社レーシングプロジェクトバンドウ代表取締役。通称は“坂東マサ”。坂東商会の創設者であり、現在はSUPER GTシリーズのプロモーターである株式会社GTアソシエイションの代表を務める坂東正明は実父。幼少期からサッカーに打ち込み、ドイツ留学を経て清水エスパルスの練習生も経験した。レースの世界には21歳で坂東商会にアルバイトで入ったことから関わりを持ちはじめ、ネッツカップに参戦するも自分が走ることよりチームをまとめることに興味を持って監督の道へと進む。SUPER GTには2007年にGT300クラスの監督代行として関わり、2008年からは正式に監督に就任。2009年には早くもシリーズチャンピオンを獲得している。2011年には父である正明の夢でもあったGT500クラスに当時の最年少監督として参戦を果たす。以来12年間、熱い想いを胸にチームを日々まとめ上げながら、悲願とも言うべきGT500でのシリーズチャンピオン獲得に挑み続けている。

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