Rally Japan

36年の沈黙を破り、夢舞台へ──
YOKOHAMA / ADVANで掴んだ
ラリージャパン2025 クラス優勝記

2025.12.18

「ラリージャパン2025に出ましょう!」 6月のモントレーで投げかけられたその言葉が、すべての始まりだった。 36年という長いブランク、未知のペースノート、そして世界最高峰のWRCという高い壁。 それでも、モータージャーナリスト・日下部保雄は挑戦を決意した。 家族の背中押しと、信頼できる「マッスルラリーチーム」の絆を武器に、75歳のベテランドライバーは再びステアリングを握る。 YOKOHAMA / ADVANのハイパフォーマンスタイヤを頼りに、豊田の道で繰り広げられた熱き4日間。 そこには、順位以上の価値ある、不屈のドラマがあった。

Words:日下部保雄 / Yasuo Kusakabe

Photography:青山義明 / Yoshiaki Aoyama

36年ぶりの現役復帰。
未知なる「現代ラリー」への適応と準備。

6月のモントレー。その会場で、エムリットの友田さんから「ラリージャパン2025に出ましょう!」と声をかけられたことがすべての始まりだった。 さすがにWRC(世界ラリー選手権)である。簡単には「ハイ!」とは言えない。私にとってラリーの実戦から離れて36年という歳月が過ぎていたからだ。しかし、恐る恐る家族に相談すると「やってみれば~」と、意外にも全員一致で背中を押してくれた。その言葉が、私の止まっていた時計を動かした。チームはすぐに11月のラリージャパンまでのプログラムを作成してくれた。

私の現役時代、国内ラリーといえばナイトラリーで、路面はグラベル(未舗装路)。コースはシークレットで、計算と指示速度の高い「ハイアベ」と呼ばれる区間で構成されていた。 しかし、現在のラリーは基本的に昼間開催、ターマック(舗装路)中心で、「ペースノート」が極めて重要になる。海外経験はあるものの、本格的なペースノート作成の経験はない。そこで奴田原君(奴田原文雄選手)に基礎を教わり、貴重なテキストも送ってもらった。最後に彼から言われた「日下部さんが作るんだよ」という言葉。そう、レッキで自分で作るのだという当たり前の事実に身が引き締まる思いだった。

まず8月、JAF地区戦「京丹後ラリー」に参加した。丹後半島を舞台に、路面は綺麗でSS距離も短い。オーガナイズもしっかりしており、マッスルラリーチームは初戦として最適な選択をしてくれた。 車両はヤリスCVT。チームの方針は「ラリーへの門戸開放」であり、コストの安い1.5ℓノーマルエンジンに、誰でも運転しやすい2ペダル車両を使う。ただし、CVTスポーツの可能性を広げるため、ローギヤードに固定できるスポーツCVTを装備している。 大切なコ・ドライバーは、赴任先の台湾からわざわざ来てくれたベテラン・奥村久継さん。本番では最初、読み上げられるノートが頭に入らなかったが、徐々に活用できるようになった。特にブラインドコーナーの先が分かる効果は絶大だ。もっと細かい情報は入れられるはずだが、にわか作りでは失敗のリスクがあるため、ラリージャパンに向けて必要最小限の情報に留めることにした。結果は無事完走。久々のラリーは最高に面白く、ブレーキなどの課題も見えた。
続く2戦目は10月、全日本選手権「MCSCハイランドマスターズ」。オープンクラスにラリージャパン仕様で挑んだ。ブレーキ径の変更、安全燃料タンク搭載、スペアタイヤ2本積みなどだ。タイヤもADVANのスポーツタイヤ「A052」から、競技用の「A051」に変更した。 今回のコ・ドライバーは田中直哉さん。新井敏弘選手のコ・ドラも長く務めるプロフェッショナルだ。 金曜からのレッキ、SS距離は約60kmと地区戦より長い。飛騨の林道は険しく、かつてのグラベル時代を思い出す荒れようだった。Day 2のスタートではエンジンがかからないトラブルに見舞われ、レッキ車から燃料ポンプを移植してなんとか出走。大幅なペナルティを受けたが、テストメニューを消化できること、そして諦めないチームの姿勢に感謝しかなかった。 結果、ショックアブソーバーとタイヤ(SSコンパウンド)の相性は良く、軽量なヤリスでは摩耗も少ないと分かった。一方、本番のロングSSを見据え、温まれば応答性の良いSコンパウンドの確認もでき、有意義だった。ただ、エンジンパワーの低下だけが気がかりとして残った。

一瞬の余念もなく整備に取り組み、ADVAN A051へとタイヤを履き替えるマッスルラリーチームのメカニックたち。京丹後、ハイランドと前哨戦を共に戦い抜いてきた彼らの献身と結束力こそが、過酷な4日間を支える最大の武器であり、ドライバーにとっての安心感の源だ。

闇夜の鞍ヶ池から本格的な林道へ。
過酷なステージを支えたタイヤへの信頼。

ハイランドから2週間、あっという間にラリージャパン2025がやってきた。懸案のエンジン停止(実はその後も続いていた)は、キルスイッチの不良と判明し、車検直前に交換して事なきを得た。 コ・ドライバーは2ヶ月半ぶりの奥村久継さん。ヘッドセットから聞こえる声も懐かしい。 11月2日(日曜)、豊田市鞍ヶ池近くの約3kmのコースで最後のプライベートテストを実施。本番同様にノートを作成してから臨んだ。 ラリー週間は日曜日以外晴れ予報で気温も上がりそうだ。札幌出身のチーフメカニック・大橋渡(渉)さんはTシャツ短パン姿である。気温に備え、タイヤはウォーミングさえ行えば応答性が良く摩耗に強いSコンパウンドを基本とし、フロントにS、リアにSSを使う戦略を立てた。
ここでチームを紹介しておこう。「マッスルラリーチーム」は、エアコンフィルター等を製造販売するエムリット社を率いる友田さんが立ち上げた。監督は友田さん、チーフメカニックの大橋さん、マネージャーの小倉雅俊さんをはじめ、KYBからのサポートメカニックも含めた9名体制。 参加クラスはナショナルクラスで、AT車は我々だけ。JR3クラスもただ1台。目標は「日曜日に豊田スタジアムへ帰ってくること」。それ即ち優勝だ。全開あるのみ。そうでなければ一生懸命付き合ってくれたチームに失礼だ。

目指すは4日後、この場所へ無事に、そして笑顔で帰還すること。チームの想いを乗せた43号車の長い旅が、今ここから始まる。

木曜のDay 1は、すっかり暗くなった鞍ヶ池のSSのみ。ペースノートがあるとはいえ初めてのナイト走行。暗闇でコーナーが見えずタイムダウンしたが、PIAAのライトは明るく、左右に振ることで対応できそうだとサービスに依頼した。 終了後は豊田市の目抜き通りへ。ラリー1(ファクトリーチーム)の紹介が行われ、地元・勝田貴元選手への人気は凄まじく、ライトアップされた会場は大盛り上がりだった。「行ってらっしゃーい」の声に送られ、43号車は豊田スタジアムのパルクフェルメへ向かった。
Day 2、いよいよ本格的な戦いが始まる。コースは豊田市北東部のイナブ/シタラ、シンシロ、イセガミズ・トンネルの3コースを2回ループする約110km。2車線の超ハイスピードから苔むしたつづら折れ、民家の軒下までバラエティに富み、世界選手権らしい雄大さだ。 SS3シンシロではコースアウト車により赤旗中断。続くSS4は名物イセガミズ・トンネル。乗用車1台がやっとの狭く長いトンネルに飛び込むと、異次元へワープするような感覚に襲われる。出口でいきなり下りの林道に入る設定は実にチャレンジングだ。 WRCではタイヤウォーミングゾーンがあるが、パワーのない我々はハードブレーキで温度を上げる。空気圧は冷間でフロント180kPa、リア190kPa。狙い通り温間で210〜220kPaに落ち着き、グリップも安定。タイトコーナーの連続でもA051は偏摩耗せず頼もしい。

Day 2最後のSS7シンシロはすでに真っ暗。後半はペースノートで最も浅い「7」と少し角度のつく「6」の下りコーナーが続く。PIAAの光とノートだけを頼りに、左足ブレーキを使いながらアクセル全開で無心に走り続ける。下りは飛ぶように速い。Finishボードを見た時は正直ホッとした。 サービスパークに戻ると、ブレーキの酷使でキャリパーのオイルシールが溶け出しており、大橋さんから「もう少し優しく使ってください」と釘を刺される。優しく踏んでいるつもりなのだが…。 リエゾンでは岩村の旧市街を抜ける際の熱烈な歓迎に心が弾んだ。ラリーカーが風景に溶け込み、沿道の声援が途切れない。車内から見る世界は感動の一言に尽きる。 また、ラリー1がインカットして泥が掻き出された路面は滑りやすいが、ヤリスとA051のコントロール性の高さに助けられた。

突然の悪夢、Dayリタイヤの試練。
それでもチームは「復活」を諦めない。

Day 3は豊田市の北、最も遠い岐阜・恵那地方へ。オバラ、エナ、マウント・カサギを2回ずつ走り、最後は矢作川沿いのSSで終わる構成だ。 オバラは神社をバックにした日本的風景の高速SS、エナは田んぼや民家の中を駆ける。CVTはローギヤードなコースにはマッチするが、最高速が出ないのが辛い。モード切替を戦略的に使うべきだったと反省した。

日本家屋と、鮮やかに色づいた紅葉のコントラスト。世界中のラリーファンを魅了する日本の美しい原風景の中を、43号車が風景の一部となって駆け抜けていく。

そしてSS10、ラリージャパン最長の21.74kmを誇るマウント・カサギ。スタートからパワーダウンを感じて不安だったが、笠置山モータースポーツパークのジムカーナ場を過ぎたところで、ついに力尽きて停車してしまった。水温は適正、CVTもオイルクーラーで管理されている。原因不明のまま後続車のためにコース外へ退避し、タイムカードを渡してDayリタイヤが決まった。 ここまで全力で走ってきたので悔いはないが、全コースを走れない虚しさが残る。笠置山の紅葉が急速に進んでいることに、止まって初めて気づいた。
しかし、今のラリーは時間内に修復できればペナルティ加算で翌日復帰できる。トランポで運ばれた43号車にサービスチームがとりつく。解析の結果、トラブル原因は高回転多用によるエンジンオイルの過熱と推測された(CVTは異常なし)。 チームは念のためCVTユニットを交換し、翌日の雨予報に備えてフロントスプリング、減衰力、ブレーキを変更。タイヤはSSコンパウンドへ。本来ウェットで使うグルービング(溝加工)はFIA規定で不可のため、空気圧を前後220/230kPaに上げて対処する。夜を徹した作業が、43号車を蘇らせた。

エンジン停止によるDayリタイヤという絶望的な試練。しかし、チームに「諦め」の二文字はない。夜の闇に浮かぶサービスパークで、照明を頼りに車の下へ潜り込み、黙々と修復作業を続けるメカニックたち。彼らの執念と技術が、傷ついたマシンに再び走る命を吹き込んでいく。

雨の最終日、感動のフィニッシュへ。
すべてを出し切り掴んだJR3クラス優勝。

Day 4は豊田市東側、ヌカタ(20km)、レーク・ミカワ(14km)、そして今年最後と言われる岡崎中央公園のオカザキ(2km)。 雨の中、多くのギャラリーが待っていた。 SS20レーク・ミカワ(2回目)の前、リグループで待機時間があった。限られた屋根の下、ラリー1の選手から国内クラスまで仲良く雨宿りをする。優勝したTGRのオジェ選手が最後まで丹念にノートをチェックする姿、コ・ドラがボンベで空気圧調整をする姿を見て、勝利へのプロフェッショナルな姿勢に感銘を受けた。 雨量は刻々と変わる。ウェット路面ではサス設定も含めコントロール性は高いが、水深が深くなると軽いリアがハイドロプレーニングを起こしそうになる。無理をしなくて良い順位だが、やはりベストを尽くしたい。最後はエンジンがパワーダウンしたが、下りが多く無事に走り切った。フィニッシュ後、思わず奥村さんと握手を交わした。

夕闇に包まれたサービスパーク。友田監督をはじめ、チーム全員が両手を突き上げ、万歳で迎えてくれる。その笑顔を見た瞬間、胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。最後のTC(タイムコントロール)で、オーガナイザーの川田さんから「JR3優勝だ。ポディウムに上がってくれ」と告げられた時、その言葉が現実感を帯びて響いた。Day 3のリタイヤという無念はあった。しかし、それを乗り越え、マッスルラリーチーム全員で絞り出したこの結果は、何物にも代えがたい誇りだ。

沿道からの熱狂的な声援に迎えられ万感の思いで帰還を果たした43号車。いくつものトラブルや苦難を乗り越えて掴み取った「JR3クラス優勝」のトロフィーは、ドライバーの腕だけでなく、不眠不休でマシンを支え続けたメカニック、監督、そしてチーム全員の結束力で勝ち取った栄冠だ。

総合27位。 その数字は、単なる記録ではない。過酷な状況下で酷使に耐え抜いたCVTと1.5ℓエンジンの咆哮、牙を剥く路面をねじ伏せ続けたADVANのグリップ、そして何より、36年ぶりの無謀とも言える挑戦を「やってみれば」と笑って送り出してくれた家族、沿道から声を枯らしてくれたすべての人々が与えてくれた輝きそのものだ。
36年の時を超えて再び見たポディウムからの景色は、かつてのどの栄光よりも眩しく、鮮烈だった。 心からの感謝を、この胸の高鳴りに代えて。 私の、そして私たちの「ラリージャパン」は、最高の余韻と共に幕を下ろした。だが、この情熱に終わりはない。この日得た糧は、きっと次の未来へと続く道を照らし続けてくれるはずだ。

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