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永遠の走り屋──織戸 学が見出す
過去と未来のクロスポイント。
Red Bull TOKYO DRIFT 2025(前編)

2025.10.17

一夜限りのシークレットイベント『Red Bull TOKYO DRIFT 2025』が開催された。ここには100台を超えるチューンド&カスタムカーが集結したほか、映画『ワイルド・スピード』を彷彿とさせるドリフト・エキシビジョンも実施された。走り好きの青年から、誰もが認めるレジェンドドライバーとなった織戸 学は、この光景に郷愁を覚えながらも、しっかりと未来を見出そうとしていた。織戸 学と茉彩親子による世代を超えた『Red Bull TOKYO DRIFT 2025』レポート。その前編をお届けする。

Words:中三川大地 / Daichi Nakamigawa

Photography:安井宏充 / Hiromitsu Yasui(Weekend.)

Red Bull TOKYO DRIFT 2025 / 前編

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Red Bull TOKYO DRIFT 2025を通して
織戸 学の“原点”に想いを馳せる。

10月某日。日増しに早くなる夕暮れとともに多種多様のチューンド&カスタムカーが、普段はトラックが行き交う巨大な物流倉庫に集まってくる。パーキングの一角は次第にネオンライトとDJによるEDMサウンドに包まれるようになり、ライトにそっと照らされた艶姿を来場者にアピールする。MAX★ORIDOとして知られる織戸 学は、どんどんと集まってくる多種多様なマシンたちの姿を見ながら、いまも10代の若者のように目をキラキラと輝かせた。「かつて僕らが集まっていた埠頭には、こんな煌びやかなスーパーカーやハイエンドカーなんて1台もいなかったな」と、苦笑を浮かべながら。

レジェンドカービルダーやカリスマオーナーを中心に招待するナイトカーミーティング『Red Bull TOKYO DRIFT 2025』が、神奈川県川崎市にあるESR東扇島ディトリビューションセンターで秘密裏に開催された。そこにやってきたクルマはチューンド&カスタムカーやレーシングカーを含めて、ゆうに100台は超える。レッドブルがJDMに敬意を払い、そのストリートカーカルチャーを凝縮したイベントだからこそ、織戸 学は人生の大半をともに過ごし、いまも大切に育て続ける愛車である80スープラとともに、いち早く会場に駆けつけた。

「若い頃、毎週末のように走り回っていた某埠頭に、どこか近しい雰囲気を感じました。最初はレーサーレプリカとか2輪の連中が集まった場所だったけれど、次第にみんな自動車免許を取って、クルマが増え始めるんです。その頃から“ドリフト”って言葉が定着してきて、夜になるとわんさか集まってくる。僕はドリフトに興じながらも、しばらくすると近くの駐車場にパイロンを立ててジムカーナの練習もしていました。いま思えば、それが僕のドライビングスキルの原点になったのだと思う。とにかく、クルマ好きたちで集まって、夜が明けるまで──、いや明けてもなお、ひたすらクルマで遊んでいたのが楽しい時代でした」

ESR東扇島ディトリビューションセンターで秘密裏に初めて開催された『Red Bull TOKYO DRIFT 2025』。会場に並ぶ数々のクルマを前に、織戸 学は遠い記憶を重ねていた。かつて仲間と夜を明かしながらクルマと向き合ったあの日々。ネオンの光が揺れるこの空間で、再び“原点”の鼓動を感じていた。

ドリフトに適した場所が認知され共有されると、そこには自然と腕利きがやってきて、己の腕を競い合い、それをひと目見ようと数百人規模のギャラリーが訪れた時代である。隣のフィールドはゼロヨンを闘う場だったし、少し先にはまるで挑戦者を待つかのように首都高速湾岸線が通る。仲間内で集まって埠頭から峠へと繰り出す人たちも少なくない。「大勢のギャラリーを見越して、商売になるからと屋台まで来ていた」といえば、その盛り上がりかたが伝わるだろう。この現象を持って『夜のディズニーランド』とまで称した人もいる。

もちろん、それははるか遠い昔の話であり、いまの時代は絶対に許されることではない。織戸 学はそのことを強調したうえで、あの時代特有の空気感をどこか遠い眼差しで懐かしむ様子がうかがえた。確かに当時は、そこに身を投じる高揚感が結びつける、絶妙な連帯感があり秩序があった。あの時代だからこそ成立したストリートカーカルチャーだといわれればそれまでだろう。しかし、彼らの活動こそがドリフトに象徴される日本特有のJDMカルチャーを育み、織戸 学自身は「走り屋小僧から、レーシングドライバーになる」という立派なキャリアの道筋を立て、自らでそれを切り拓いてみせたのだった。

「若い人たちが憧れる存在であるために
いつまでもクルマ遊びを続けようと思う」

それにしてもストリートカーカルチャーの黎明期を走り抜き、結果を残してレジェンドとなった織戸 学らしい80スープラである。彼のオリジナルブランドであるRIDOXのエアロパーツは、さらに進化し、決して派手ではないが”わかる人間”のハートは確実に射止めてしまう、実に大人な印象のワイドボディになっていた。

織戸 学が磨き続けてきた80スープラ。自身のブランド“RIDOX”によってその造形はさらに磨かれ、細部に宿る情熱と美学が世界中のファンを魅了し続けている。前後とも19インチ×10.5JのADVAN Racing RZ-DF2に、275/35R19 100W XLのNEOVA AD09を組み合わせる。

「このクルマは僕のなかで特別な存在。もう、一生モノです。だけどガレージに仕舞っておくだけじゃもったいないし、なによりファンの方々に失礼だと思う。日本を飛び越え世界的にも80スープラのファンが増えているし、彼らの期待にも応えたいと、いま一度、成長させています。オーバーフェンダーを新たにつくり直して、ディフューザーやボンネットなんかも新しくしたけれど、それでもぱっと見た時の“スープラらしさ”は失わないように心がけました。これから新しいディフューザーやリアウイング、リアゲートも盛り込んでいくし、インテリアもカーボンとアルカンターラで製作しているところ。それにこの80スープラにもエアサスを入れようかと思っている。まだまだやることは多いけれど、アレコレと考えていくこと自体が楽しくて仕方ない」

それは確かに独特のオーラを放っていた。当時を知る者はもちろん、若い世代にこそ新鮮に映ったようだ。誰もが真紅のボディに身惚れ、スマホのカメラに収めていく。その隣には織戸 学の娘である織戸茉彩の愛車、ブライトブルーのGR86も寄り添った。彼女の友人やファンもそこに加わり、結果としてそこはあらゆる世代が交わる場となった。

真紅の80スープラとブライトブルーのGR86。織戸 学と茉彩、親子のクルマが並んだその光景は、世代を超えて受け継がれるクルマ文化の象徴となった。

「若者のクルマ離れと叫ばれて久しいけれど、改めて、いまの若い世代ってクルマ好きがとっても多いんだなって感じます。僕自身、娘の茉彩がクルマ好きになってくれたから、余計に彼らと触れ合う機会が多いんだけど、それは僕にとって大きな刺激になる。僕らがやってきたこととは違う視点を持っているし、彼らは多種多様なクルマの遊びかたをしている。だからこそ僕自信も、僕なりのやりかたでクルマ遊びをどんどんしていこう、と思っています。“あのオッサン、いつまでもクルマで遊んでいるんだな”っていわれるくらいがちょうどいいんです。若い人たちの憧れの存在で居続けようと努力することが、結果として人生を歩むうえでのモチベーションになり、アンチエイジングにもつながると思う」

この日はダンスパフォーマンスやDJのプレイが会場を包み込み、会場はまるでクラブのような熱気に包まれた。集まったゲストたちは、クルマを通して仲間と語らい、夜が更けるまで特別な時間を過ごした。

若い人たちの熱量に感化されて
織戸 学はスロットルを踏み込む。

織戸 学が大勢の人間とのコミュニケーションを続けるうちに、『Red Bull TOKYO DRIFT 2025』のメインイベントとなるドリフト・エキシビジョンが始まった。箕輪大也の駆るトヨタ・GRカローラ(ADVAN NEOVA AD09を装着)とマッド・マイクが駆るマツダ3が、ドリフト追走しながら会場となったESR東扇島ディトリビューションセンターのランプウェイを何度も駆けめぐる。まさに映画『ワイルド・スピード』を彷彿とさせるような“立駐ドリフト”だ。

箕輪大也が駆るトヨタ・GRカローラ(ADVAN NEOVA AD09装着)と、マッド・マイクが操るマツダ3が、会場となったESR東扇島ディストリビューションセンターのランプウェイをドリフト追走しながら何度も駆け抜けた。まるで映画『ワイルド・スピード』のワンシーンを思わせるような、迫力満点の“立駐ドリフト”が展開された。

織戸 学と茉彩は横に並びながら、ただ無言でその光景を見つめていた。それは、親子にして同じクルマ好き同士、という絶妙な絆を感じさせる距離感。耳をつんざくようなエキゾーストノートと、容赦なく襲いかかるタイヤスモークにときに苦笑いを浮かべながら、織戸 学はつぶやく。

「すごいイベントですね。Red Bullじゃなきゃこういうイベントはできないんじゃないかと思う。ストリートで育った僕らの世代とは違って、今の世の中にマッチするかたちでこういうイベントがもっと盛り上がったらいいなって感じています。そして親子でこんなイベントに参加させてもらえたことに、心から感謝したい。昔、お世話になった先輩や仲間たちと再会できるだけじゃない。さまざまなカタチのカーカルチャーを通していまも学ぶことがあり、さらには茉彩を通して大勢の若い人たちと知り合うことができる。そんな彼らの熱量に負けないように、僕も僕なりのペースで、もっと“遊びの幅”を増やしていきなきゃいけないな」

日本のチューニングカーカルチャーを醸成したキーパーソンにして、いまもなおそのど真ん中を一生現役といわんばかりに生きる織戸 学は、その熱い気持ちを胸に秘めたまま、大切な家族と手を取り合い、あらためてこれからの人生を彩るためにスロットルを踏み込む。

(後編へ続く)

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