FUJI MINOR TOURING 2024
蘇る富士マイナーツーリング──
灼熱のFSWをADVANと
共に駆け抜けた男たち/前編
2024.9.20
1970年代から80年代初頭にかけて富士スピードウェイを舞台に、参戦するドライバーとマシン(メーカー)、そしてタイヤメーカーたちのそれぞれが凌ぎを削ってコンマ1秒を争うという、日本で最もコンペティティブなレースとして進化を遂げ、人気を博したマイナーツーリング。その伝説のツーリングカーレースが『FUJI MINOR TOURING 2024』として、灼熱の富士スピードウェイに帰ってきた。それは単に昔を懐かしむためだけのヒストリックカーレースではなく、歴戦の猛者たちがガチンコ勝負を繰り広げる、文字通りの“レーシング”そのものの光景として映った。灼熱の富士をADVANと共に駆け抜けた男たちの姿に迫る。/前編
Words:藤原よしお / Yoshio Fujiwara
Photography:安井宏充 / Hiromitsu Yasui
富士マイナーツーリング2024
往時もかくやの迫真のバトル。
誰もが熱く、そして最高の笑顔になる。
耳をつん裂くような甲高いエキゾーストノートとガソリンとオイルの匂い。そして、パドックに溢れるえも言われぬ緊張感と、無邪気な笑顔。
その光景を見て思わず、「おかえり、マイナーツーリング」と言いたくなった。
というのも、さる2024年8月17日に『FUJI MINOR TOURING 2024』として、かつて富士スピードウェイを沸かせた伝説のツーリングカーレース、“マイナーツーリング”が久々の復活を果たしたからだ。
発起人となったのは数多くのTSサニーを製作/メンテナンスし、自身もドライバーとして参戦してきたテクニカルサービスインフィニティー代表の大野孝司である。
「マイナーツーリングって日本オリジナルの文化だと思うんです。もちろん筑波(日本クラシックカー協会/JCCA主催)でレースをするのも楽しいけども、やっぱり富士で走りたい、レースがしたい。そんな想いを竹内浩典さんに話したら、富士スピードウェイに掛け合ってくれたんです」
マイナーツーリングに対する自身の溢れ出す情熱を原動力に『FUJI MINOR TOURING 2024』を主催した、テクニカルサービスインフィニティー代表の大野孝司。
「ボクがレースを始めたのは、AE86のフレッシュマン。TSは乗りたいなぁ、と思っていたけど乗れなかった憧れのレースなんです。だから大野さんの話を聞いて富士スピードウェイとの間を取り持って。こういうレースが年に1回か2回あって良いじゃないですか。これをきっかけに当時のN2のレースとか、当時のクルマがいっぱい集まるイベントになったら楽しいよね」
大野の熱い想いを聞き、富士スピードウェイとの架け橋役となるなど富士での新たなマイナーツーリング開催へのもう一人の立役者となった竹内浩典。自身もNo.15 RACER’S SUNNYで参戦している。
そう話すのは、2001年の全日本GT選手権GT500チャンピオンで、このイベントのもう一人の立役者でもある竹内浩典だ。この2人の想いに共鳴して、会場にはB110サニー、B310サニー、KP47スターレット、KP61スターレットのTS仕様が28台もエントリーしたのだが、そのオーナーの中にはYOKOHAMA/ADVANファンにはお馴染みのこんな人の姿もあった。
それがエースナンバーである25番をつけたADVANカラーのB310サニーでエントリーしていた織戸学だ。実はこのサニーは最近手に入れた織戸自身が所有するマシンだという。
現代の“ミスターADVAN”こと織戸学もADVANのエースナンバー“25”を付けた自身の愛機B310で初参戦(No.25 MAX ORIDO ADVANサニー)。織戸の少年のような笑顔がこのレースのピュアな楽しさを如実に物語っている。
「マイナーツーリングはボクらの1世代前の先輩たちがやっていて、映像や本なんかで見て憧れた世界。自分も基本はクルマが好きでレースが好きで、それが高じてプロになった人間なので、この先に現役を引退した後もこういうクルマでレースを楽しみたい、というのがきっかけですね。やっぱり自分のクルマって、愛着が違うしね。しかも前からADVANカラーのこういうヒストリックマシンを1台持っていたかったから、なおさらです。一番キレている頃のADVANっていうのかな。あの頃を忘れさせないために、歴史を途絶えさせないために、自分で買って走るっていうのをやりたかった。だから焦らずコツコツと仕上げたい」
実際、レース前日には自ら「シャコタンにしないとカッコ悪い」とサンダーを手にしてスプリングを切ったり、当日もメカニックと一緒にエンジンの調子を確認したりと、あくまで一人のクルマ好きとしてTSサニーを楽しんでいるように見えた。
「このレースでいちばんいいのは、みんな優しいこと(笑)。みんなが純粋にレースを楽しんでる。その雰囲気がいいよね」
そのほか今回のレースには、1986年からマイナーツーリングに参戦し、89年にはシリーズ2位に輝いた影山正彦が当時を忠実に再現したNo.16のレイトンハウス・トリイ・サニーで、兄に続き89年の最終戦でマイナーツーリング・デビューを果たした影山正美がNo.14のMG-works☆ハナシマサニーで出場していただけでなく、スーパー耐久で活躍するTEAM DAISHINから大八木信之、龍一郎親子と2001年のGT300王者である青木孝行、JCCAでもトップランカーとして活躍する菊地靖、ADVANカラーのマシンに乗る雨宮栄城、そして発起人の一人である竹内もNo.15のレイトンハウス・サニーで出場するなど、プロドライバーが大挙参戦していたのだ。
長らくADVANカラーのB310サニー(No.28 ADVAN☆ウエタケ・キャリッジサニー)でJCCAのTSレースを戦ってきた雨宮栄城。久々の富士では予選5位に入ったが、ポールとの差は1秒以内という接戦となった。
これだけのメンバーと、腕利きのジェントルマン・レーサーたちが揃ったレースが面白くないわけがない。予選から富士特有のスリップ合戦を使いあった各車は、気温35度オーバーという猛暑にも関わらず、次々にタイムアップ。結果、ポールポジションを獲得した青木から、5位の雨宮までが1秒以内の僅差にひしめく混戦となった。
「この暑さと湿気で、ベストの状態ではないけどみんなタイム出てますね。ただ筑波じゃ5番手だと勝負にならないけど、富士は戦い方が違いますから。きっと8番手くらいまでが団子になるんじゃないですか? でもこの暑さで3周くらい走るとデフが沸いて効かなくなる。その辺りを気にしながら前に逃げられないようにしないといけないですね。とはいえ、周りはすごいメンバーですから(笑)。その中で走るのは楽しいですよ」
と、予選5位に入ったNo.28 ADVAN☆ウエタケ・キャリッジサニーの雨宮も話すとおり、プロドライバーをもってしても、この暑さの中での予選は大変だったようだ。
決勝レースで熾烈な2位争いを繰り広げる影山正美(No.14 MG-works☆ハナシマサニー)、菊地靖(No.2バクヤスオート☆アクツサニー)、佐藤晃一(No.45 PLUS ONE 倉田サニー)。
「いろいろ難しいです。何せ昨日は雨の中を10周走ったのが初めてだから。圧倒的に近代のクルマと比べて難しいのはシフトフィールとアクセルの踏み方。キャブレターで被っちゃうから、速く走りたいのに踏めない。あとギヤも昔のHパターンだから、3速から2速に落とそうと思ったら4速に入っちゃったり(笑)。慣れが必要ですね。でもクルマが軽いから面白い。1300ccのOHVだけど、9000回転まで回るし、車重も700kgしかないから2.4リッターある新型のGR86と同じタイムで走っちゃいますからね」
そういって笑うのは竹内。これまでGT500をはじめ様々なマシンを乗り継いできた「ハコの名手」を持ってしても、繊細なTSサニーのドライブは難しいという。
「でも決勝は追いつきますよ、前に。昔はスリップ使って1コーナーに4ワイド、5ワイドで入るってレースだったもんね。こんな形のクルマだからスリップが効くわけですよ」
ポールを獲得したNo.82 DAISHIN Rock254サニーの青木孝行がスタート直後から後続と差を拡げそのまま独走体制を築いていく。
そんなプロに混じり、B110サニーで一人予選7番手に入って気を吐いたのが、今年5月にモナコ市街地コースで行われたモナコ・ヒストリックGPでロータス72 F1を駆り、10年ぶり2度目の優勝を果たしたジェントルマン・ドライバー、No.5 スマカメB110サニーの久保田克昭だ。
「今回、往年のマイナーツーリングで活躍された影山正彦さんの後ろを走ってすごく勉強になりました。やっぱり1コーナーのブレーキングとか、その後の立ち上がりとか全然違うんですよ。いやぁ、冗談を抜きにしてモナコのヒストリックF1よりサニーのレースの方がよっぽど難しい。でも、難しいけど、うまくいったら最高に気持ちいい。だから本当に楽しいです。ボクの大好きなADVANのタイヤで走れるのも嬉しいですしね」
5月に開催されたモナコ・ヒストリックGPでロータス72 F1を駆り、10年ぶり2度目の優勝を果たした日本が世界に誇るジェントルマン・ドライバー、No.5 スマカメB110サニーの久保田克昭。
迎えた決勝は、日陰に立っているのも辛いほどの暑さとなったが、往時のマイナーツーリングを一目見ようと、スタンドにも多くの観客が詰めかけた。そんな中、各ドライバーはレーシングギアに身を包み、コックピットの中で集中力を高めていく。
そして1周のフォーメーションラップの後、行われたスタンディング式のスタートで真っ先に飛び出したのは、ポールを獲得したNo.82 DAISHIN Rock254サニーの青木孝行。以下、No.14 影山正美、No.45佐藤晃一、No.2菊地靖、No.28 雨宮栄城と続く。
ここからマイナーツーリングならではの、毎周回順位を入れ替えたトップ争い……と思いきや、オープニングラップから青木が他を圧倒。十分なマージンを取ってホームストレートを独走する。
「スタートして青木のペースが速そうだなとは感じたけど、戻ったホームストレートで飲み込めるだろと思っていたら、スリップが効かない距離まで逃げられて。単独で2分1秒1ってタイムは、セットがキマっている証拠だからね。どうしようもなかった」
と、スタート直後の様子を振り返るのは影山正美。その言葉の通り、このまま青木の独走でレースが終わってしまうのか? とも思われたが、まだドラマは隠されていた。
1989年の最終戦でマイナーツーリング・デビューを果たした影山正美(No.14 MG-works☆ハナシマサニー)。YOKOHAMA / ADVANのワークスドライバーとして全日本ツーリングカー選手権(JTCC)やF3000に参戦し活躍した名手である。
「単独で走りながら、後続の2台がバトルしてるのを見て“あー、きっとお客さんつまんないだろうなぁ。じゃあちょっと緩めて後ろの2台と遊ぼうかな”なんて思っていた矢先、Bコーナーで1速に入れてアクセル踏んだら、バンってギヤが抜けちゃった。それで差が詰まったら恐怖の“スリップ圏内”に入られちゃって(笑)、そのまま後ろの集団に飲み込まれた。でも、ああやって4台でバトルができて、接近戦でできて面白かったです。きっと神様がギヤを抜いたんですね(笑)」
そう振り返るように、中盤以降は影山正美、菊地、佐藤、大八木龍一郎の4台が超接近戦を展開。さらにその後方でも「ちょっと調子が良くなくて……。立ち上がりがね、駆動系だと思うんだけど、いまいち良くない。スリップを使い合う次元ではなかった。決勝は壊さないように渋く行きますよ」とスタート前に話していた影山正彦と、雨宮、さらにその後方では竹内を先頭に4台ほどが接戦を展開と、往時もかくやの迫真のバトルが繰り広げられた。
そしてファイナルラップ。青木が2位に9秒7もの大差をつけて見事な優勝を飾る一方で、菊地が影山正美を攻略して2位入賞。影山は惜しくも0.016秒差の3位でフィニッシュした。
「これがマイナーツーリング!最終ラップで、と狙ってたけど、みんなどこからでも来るので、その時の状況次第だと思っていました。でもやっぱ1番の狙いはBコーナー。あそこだと思っていたので、自分でも会心のレースができました。富士は面白いですよ。正美さんとか、あのメンバーでやってると、安心してバトルできるんです。今回はガチンコでしたから、魅せるレースをする余裕はなく、あれは真のバトルです(笑)。お客さんに“これだよ”っていうのを見せたかったので、よかったです」
JCCAでもトップランカーとして活躍する菊地靖(No.2 バクヤスオート☆アクツサニー)。最後まで魅せるバトルでコースサイドを沸かせてくれた。
と汗だくになりながらも、会心の笑みをみせる菊地の表情が、このレースのすべてを物語っているようだった。
(文中敬称略)
富士マイナーツーリング2024
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