SHOW REPORT

SEMA SHOW REPORT
“魂のあるホイール”が
アメリカで支持される理由。

2022.11.30

世界最大のカスタム&アフターパーツのトレードショー、SEMA。ラスベガス・コンベンションセンターの広大な会場には色とりどりのホイールブランドがブースを構えていた。そしてYOKOHAMA WHEELもまた、この大舞台で独自の熱い世界観をアピールしたのである。YOKOHAMA WHEEL / ADVAN Racingの企画 / デザインCMPである萩原修に、アメリカのマーケットでYOKOHAMA WHEELが成功した理由、さらには自身が手がけるホイール製品に込めた魂の在り処までを訊いた。

Words:髙田興平 / Ko-hey Takada
Photography:真壁敦史 / Atsushi Makabe
       MACKIN INDUSTRIES, Inc.

20年の歳月をかけて
アメリカでも認知度を浸透させた

「苦節20年――なんて言うとずいぶんと大袈裟ですけれど、実際にこのSEMAという世界の大舞台でYOKOHAMA WHEELのブースがここまでの規模に成長してくれたことには、やはり感慨深いものがありますね。あとは会場でYOKOHAMA WHEELを履いてくれているクルマを見る機会も増えました。本当にありがたいし、嬉しいことです」

YOKOHAMA WHEELの企画 / デザインCMPである萩原修は、自身が描き出したADVAN Racingを履く珠玉の3台のショーカーに加え、ホイールのディスプレイコーナーまでを備えたブースを前に少年のように純な笑みを浮かべてそう語る。世界最高峰のカスタム / アフターパーツ・マーケットのトレードショーであるSEMAにYOKOHAMA WHEELが出展するようになってから、早20年近くの歳月が流れたのだという。

「最初は3本のホイールを縦に掛けられるラックが1つ、いち早く北米市場に進出していたレイズさんの立派なブースの横に置いてあって、正直めまいがしました(笑)。SEMAではまずそういうところからスタートしたのです。そう考えると日本でYOKOHAMAのホイール事業を軌道に乗せたのと同じことをここアメリカでも一からやらなくてはいけないと感じました。とにかく着実に丁寧に、YOKOHAMA WHEELのけっして流行にながされない独自のスタイルを北米市場で浸透させていかなくてはならないと強く心に誓ったのです。
そのために大切なのは、仲間の存在、つまりは信頼できる現地のプロフェッショナルな販売代理店。ただ単にモノを売るのではなく、ものづくりに対する想いの芯をブラさずにマーケットに浸透させていく――それってやはりとても根気のいる作業であり、特に日本とアメリカとでは文化もマーケットの規模も全然違うので、この場所でのやり方を正しく理解している、そして互いの想いの通じ合えるプロフェッショナルなパートナーの存在が不可欠になってくるわけです」

萩原がYOKOHAMA WHEELのアメリカでのマーケティング及び販売の戦略を委ねているのが、長年に渡って数々の日本のアフターパーツを手がけ、マーケットそのものの拡大に尽力してきた「MACKIN INDUSTRIES / マッキン・インダストリーズ」である。

アメリカという独自の文化と大きなマーケットでの成功は、現地のやり方を理解したプロフェッショナルなパートナーの存在が不可欠だった。日本のアフターブランドをアメリカに数多く紹介し、その価値を根付かせてきてマッキン・インダストリーズは、萩原が全幅の信頼を寄せる力強い“仲間”だという。スティーブ・リー(ゼネラルマネージャー)は古くからの萩原のファンでもあり、萩原の描き出すホイール製品の本質を知るよき理解者でもある。

「マッキンとの信頼関係はこれまでの20年近くの歴史の中で次第に強くなりました。裸同然でマッキンにYOKOHAMA WHEELの取り扱いをお願いして、先ほどの話にも出た3本ラックからスタートしたのです。その後、映画『ワイルドスピード』の1作目(2001年)でAVS MODEL5が準主役のS14シルビアに装着されたあたりから、YOKOHAMA WHEELは徐々に注目され出して、LAにある北米屈指のチューナー“Evasive”がADVAN Racing GTをR35GT-RやポルシェGT3に履かせたことで火が付いたのです」

SEMAの広大な会場を歩くとYOKOHAMA WHEELを装着したショーカーの姿が多く見受けられた。最新モデルからレーシング、ヤングタイマーまで、その表情がバラエティに富んでいるのも印象的である。萩原とマッキンとの信頼関係が、アメリカでのYOKOHAMA WHEELブランドの浸透力を高めたことは言うまでもない。

「マッキンのゼネラルマネージャーのスティーブ・リーやセールスマネージャーのブライアン・ユングからの要望には僕も精一杯の対応をしてきました。英語はコミュニケーション上の大切なツールですが、それ以上に最後は人としての情熱や誠実さが信頼関係を作ると確信していたので、つたない英語でガンガン行きました。スティーブやブライアンには、絶大な信頼を寄せています。もちろん、他のマッキンメンバーも同じです。2人に会うのはSEMAと東京オートサロンの年2回ですが、日常でもひっきりなしにメールが来ます。メールは必ず2日以内に返信する。即答できない内容でもとにかく『わかった、やってみる』と返信して、なるべく意向に沿うように努力します。
こうしたやり取り、そして彼らからのリクエストも盛り込んだ商品開発、この努力の積み重ねが今の信頼関係に結びついているのです。ちょっと表現はオーバーですけれど、どうしても外国人に弱い日本人は、引っ込み思案になってしまったり、案件をほったらかしにしてしまうことがあります。僕は日本男児として、決してそんなことはしないぞ!っていつも自分に厳しく言い聞かせながらやってきました。いずれにしてもその想いが今では、“YOKOHAMA WHEEL EXCLUSIVE DEALER ”として、マッキンが誇らしげに北米でビジネスをしてくれる関係を構築したのです。ローマは一日にしてならずとの言葉がありますが、僕とマッキンとの絆も1日でできたものではないし、何より“YOKOHAMA WHEEL=萩原修の気迫”なんだってことを、彼らは誰よりわかってくれているんです」

YOKOHAMA WHEELの年間販売トップ5ディーラーへの記念の盾の授与も萩原のSEMAでの恒例行事。今年は、「Evasive」「Vivid Racing」「Speed image」「Show Stoppers」「Turn14」という北米でも有力なチューナーが受賞。アワードの企画や盾の準備などはすべてマッキンが独自で準備する。写真右側に写るのがセールスマネージャーのブライアン・ユング。彼やスティーブのマネージメントでYOKOHAMA WHEELは5年ほど前からFormula Drift USAのジョナサン・カストロ選手をサポート。2023年はTC-4を履いてトヨタUSAから貸与される新車のGR86で参戦することが決まっている。こうした幅のある活動こそが北米マーケットでの有効なアピールになっているのだ。

「YOKOHAMA WHEEL、その根幹にあるADVAN Racingはその名の通りレーシング、いわばどこか尖ったスポーツの精神を貫抜いて作っています。あくまで対象はスポーツモデル、走ることが何より好きでそこに確かな格好良さ、すなわち機能美までを追い求めるユーザーのために作っている。もっと言ってしまえば、誰よりもまず僕自身が履きたいものをイメージして真剣に作っている」

かつてプロレーサーとして活躍し、グループAでの伝説的な勝利(1993年の全日本ツーリングカー選手権・第3戦菅生 / HKSスカイライン)など、“日本一速いサラリーマン”としてレーシングの世界、いわば極めて質の高いスピードの世界と真剣に向き合ってきた萩原だからこそ、“中途半端な格好良さ”ではない、確かな機能と何より熱い魂が備わったホイールを生み出せるというロジックには素直に肯けるものがある。

「あくまで趣味の世界なんです。好きだからこそ向き合える世界と言ってもいい。自分がこれまで通ってこさせてもらった道のりの中で見たもの触れたものを、自分の感性を信じて1つひとつ形にしていく。売るがためだけでは成り立たない世界です。もちろん、そうは言ってもビジネスですので、売ることにも繋げて行かないとただのお遊びで終わってしまう。その辺りのバランスは難しいものもありますよ。そうした意味では僕の描いた想いを受け入れてくれるお客様や、こうして世界にまでその想いを繋ぎ合わせてくれる信頼の置ける仲間たちがいることに感謝しないといけませんね」

「今は時代もいいと思います。趣味の世界と向き合う人たちがまた増えて来ました。僕は昔からその想いでやっているから『必ずわかってくれる』っていう気持ちはどこかにあるんですけれど、今までやってきたことがきちんと形としてマーケットに伝わって行くことは嬉しく思います。本当を言うと、日本のユーザーさんももっと覚悟を決めてクルマをいじって欲しいって思うんですよ(笑)。キャンバー、シャコタン、ツライチって世界で不変の格好良さでしょう?でも日本の法規だと厳しいところは確かにある。その点、アメリカはなんでもアリです。萩原のサイズ設定は甘いってブライアンなんかは平気で言ってきますからね。だから僕のアメリカ市場への挑戦はまだまだ道半ばなんですよ。これからもっともっと気合いを入れてホイールを作らないといけない。そんな想いをこのSEMA SHOWは、ある意味東京オートサロン以上に僕に思い起こさせてくれます」

もちろんレーシング出身である萩原は、そこに性能は必ず担保した上で、ある意味ギリギリのラインの格好良さを常に追求している。

自分の描いたどこか攻めた想いをお客さんが受け入れて、それを喜んでくれる――これこそが真の趣味の世界=独自のスタイルの確立であり、それがこうして違う国の人たちにまでわかってもらえることが何より嬉しいと、萩原は言う。

実際、多種多様なカスタムマシンやチューニングマシン、それこそホイールだって星の数ほどあるSEMAの広大な会場(ラスベガス・コンベンションセンター)にあって、センターホールのYOKOHAMA WHEELブースには常に多くの“ファン”の姿が見られたのが印象的である。質の高い日本のホイールブランドとしてだけではなく、何より“魂のあるホイール”として、アメリカでも萩原の描く世界が着実に受け入れられていると感じられた。

どんなジャンルであっても
格好良さは追求できる

SEMA2022のYOKOHAMA WHEELブースにはADVAN Racingを履いた3台のショーカーが並べられていた。ARTISIAN SPIRITSのワイドボディを纏ったスバルBRZ、世界中で長いウェイティングリストが続く最新のポルシェ992GT3、そしてJDMカルチャーの確かな人気を象徴するホンダ・シビック(EF)と、そこには“スポーツ”という明確なキーワードこそあれど、その実とてもバラエティ豊かな彩りを感じさせる構成で見る者を楽しませてくれた。

ARTISIAN SPIRITSのワイドボディキットを纏ったBRZにはADVAN Racing R6を履かせて展示。装着サイズはFront:18×9.5J(ET29)/ Rear:18×10.5J(ET24)、カラーはTBK(レーシングチタニウムブラック)となる。

「今の時代、クルマの価値観って驚くほどの多様性がありますよね。ミニバン、SUV、そして軽だってスポーツを感じさせるクルマはあるし、それこそハイエースだって格好良いカスタムスタイルのものがある。僕は人一倍のこだわりを持ってホイールをデザインしていますが、かと言ってクルマのジャンルをあまり線引きしないようにして、頭の中でピンときたら、ホイールを履かせた時の格好良さだけをイメージしてデザインをスタートします。もちろんスポーツホイールとしての軸がぶれないデザインをね。
また、こんなケースもありました。マッキンのブライアンから、トヨタ4ランナーやフォード・レンジャーをはじめとしたSUVやピックトラック用にADVAN Racingを作れないかと。ちょうどRG-D2のハイエース用を立ち上げた直後だったので、それをベースにアメリカ市場ならではのローインセットで思い切りスポークをコンケイブさせたデザインを描きました。これが大人気となり注文を消化できないほどになっています。新たなジャンルであっても彼らプロフェッショナルからの要望にきちんと応えることで、マーケットでの可能性もさらに広がっていくことを改めて実感しました」

最新鋭のポルシェのトップガンたる992GT3にはADVAN Racing GT for PORSCHEを履かせて展示。装着サイズはFront:20×9.5J(ET45)/ Rear:21×12J(ET42)、カラーはMHBP(マシニング&レーシングハイパーブラック)となる。

例えばポルシェの最新モデル、しかもGT3というレーシング直系のスペシャルウェポンが相手であっても萩原イズムは貫かれていく。

「ポルシェには特別な敬意を抱いています。彼らのものづくりには本当に妥協がないし、エンジニアリングの面でも見習うべきことが多い。レースカーならまだしも、一般ユーザーが日常でも使う市販モデルにセンターロック機構を取り入れるだなんて、登場したときは本当に驚かされたものです。絶対的な技術力とそれに基づく確たるエビデンスがなければリスクの方が大きくておいそれとは実現できないことですからね。
でも、たとえそれほどすごいポルシェであったとしても、やはり市販モデルではどこかで最大公約数的なところもある。そうした部分をどうやって削り落として尖らせていくか? それが僕たちの役目だし挑み甲斐のあるところでもある。細かいところにこだわって見る人が見れば違いがわかる――そういう世界もまた、必要です。誰が見てもわかるものではなく、こだわりのある人にだけわかればいい。僕はそういう部分にこそ、それがたとえ“モノ”であったとしても、何かしらの生き様のようなものが現れると思っています」

“Oni2”が切り拓く新世界
過去を過去では終わらせない

もはやブームを通り越してひとつの明確なジャンルとして定着したJDMスタイルだが、中でもここしばらく人気が高まっているのがコンパクトハッチのホンダ・シビックである。YOKOHAMA WHEELは4世代目のEFに15インチの“Oni2”を履かせて出展。ブースを訪れた人々の熱視線を集めていた。

YOKOHAMA WHEEL、ADVAN Racingの原点とも言うべき“トライアングルデザイン”を現代に復活させたモデル(ルーツはレースシーンで活躍したA3A)。萩原は学生時代に自分のケンメリにA3Aを履かせて、“死ぬほどカッコいい”と思っていたそうである。そんな彼がこのデザインに寄せる思いは当然“半端ない”のである。

「オリジナルのOniと同じく組み立て式で復刻することも考えました。でも、僕はやっぱり今の時代に向けて届けたかった。だからステップリムの付いた1ピースとして新たに世に送り出しました。いくら名作だからと言ってそれをどこかに閉じ込めずに常に現在進行形のものとして生き続けさせたいと思ったんです。
このEFには8Jの15インチを履かせています。こういう太いサイズが設定できるのはアメリカのマーケットがあるからこそ。日本ではやはり軽が中心でこういうサイズの需要は少ないんですが中にはツワモノもいたり。だからこそ攻めることは忘れません。年明けの東京オートサロンではOni2プログレッシブとして20インチのGTRデザインも発表します。そう、これも現在進行形という想いがあってこそのチャレンジです。年始のオートサロンでアルファードに履かせて発表したあの20インチが、さらにスポーツ志向を高めたディープリム仕様として再登場しますから期待してほしいですね」

“鬼キャン”という日本独自のカスタム文化から生まれた“Oni”を現代に蘇らせた“Oni2”。特徴的なトライアングルデザインはADVAN Racingの真の原点とも呼ぶべき“A3A”から連綿と受け継がれてきたもの。“Oni”は組み立て式だったが“Oni2”はより時代に合わせた解釈でステップリム付きの1ピースとした。EFシビックには15×8Jサイズを装着。

魂を込めたものづくりをするからこそ、何かに囚われることなく生きた息吹で何より躍動感のある世界観を構築する。萩原修という人がデザインするホイールには、そういう“モノ”の概念を飛び越えた熱い何かが宿っている。そして、きっとその“熱い何か”こそが、萩原の言う“生き様”なのかもしれないと思った。

“魂のあるホイール”のこれから先への進化が、楽しみでならない。

(了)

(問い合わせ)
YOKOHAMA WHEEL
https://www.yokohamawheel.jp/

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