Get Back ADVAN

ADVAN alpha 962C
次代へ向けて疾走す。/前編

2022.6.7

1989年、高橋国光に4度目のシリーズ・タイトル獲得をもたらした「ADVAN alpha / アドバン アルファ962C」。そんな歴史的価値のあるポルシェ製Cカーがいま、当時の姿を纏い、さらにはファンの心を震わせたあの強心臓までを蘇らせて再び走りはじめた。コレクタブルな対象としてただ大切に飾るのではなく、当時の“本物の速さ”と真っ直ぐに向き合い、それを次の時代へ向けて全開で走らせる。そんな熱き世界のありようをリアルに感じ取る。(前編)

Words:藤原よしお / Yoshio Fujiwara
Photography:真壁敦史 / Atsushi Makabe
Special thanks:M’s VANTEC / Auto Roman

ADVAN alpha 962C

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本物の速さを追い求めて――
ハイブースト仕様を復活させる。

「一時預かり人」

海外の名だたるコレクターたちに話を聞くと、決まってこのようなフレーズが飛び出す。

曰く「物の寿命は人よりも長い。だから然るべき価値ある自動車を幸運にも手に入れたら、絵画や彫刻と同じで正しい姿、素晴らしい状態で後世に引き継ぐ義務がある。自分はその一時預かり人として、ちょっとの間楽しませてもらっているのだ」と。

2022年5月9日。数々の名勝負の舞台となった日本屈指の国際レーシング・コース、富士スピードウェイのピットに1台のマシンが運び込まれた。黒地に真紅のADVANカラーが鮮やかなマシンは、ポルシェ962C。高橋国光がスタンレイ・ディケンズとコンビを組み、1989年の全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)でシリーズ・タイトルを獲得した『ADVAN alpha/アドバン アルファ962C』そのものである。

オーナーの諸井猛(もろい・たけし)は、その脇で感慨深げにマシンのウォームアップを見つめていた。

話は40年前に遡る。FIA(国際自動車連盟)はこの年からスポーツカー・レースのレギュレーションを改訂。排気量、エンジン形式は自由ながら燃料使用量の制限を設けたグループC規定を施行する。

この規定に対応したポルシェが送り出した956は、ル・マン24時間耐久レースをはじめとするWEC(世界耐久選手権)を席巻。ワークスだけでなくプライベーターにも販売されたことで、世界中の耐久レースがポルシェに埋め尽くされることとなった。

その流れは遠く離れた日本にも波及。数多くのチームが956を購入する中、83年に富士スピードウェイで行われた最終戦、WEC in JAPANから、チーム・タイサンと共に高橋国光とADVANも参戦を開始。早くも85年に全日本耐久選手権(87年に全日本スポーツプロトタイプカー選手権/JSPCに改称)のシリーズ・タイトルを獲得する。

彼らの強さは安全規定の変更に対応した改良型の962Cになっても衰えることなく、87年まで3年連続でグループCレースのタイトルを独占。88年こそ同じノバ・エンジニアリングがメンテナンスを行うフロム・エー・ポルシェに敗れたものの、89年にはワークス・トヨタと4台のプライベート・ポルシェの中で争われた混戦を制し、最終戦で大逆転のシリーズ・タイトル奪還に成功したのだ。

高橋国光に4度のシリーズチャンピオン(全日本耐久選手権/全日本スポーツプロトタイプカー選手権/JSPC)の座をもたらし、「無冠の帝王」の名を返上させたことで知られるポルシェ962C。1989年は台風の影響で12月に延期された第4戦(実質的な最終戦)の鈴鹿1000kmレースで優勝を飾り、大逆転劇を演じて4度目のシリーズチャンピオンを奪取した。日没の迫った鈴鹿を疾走する現役当時のアドバン アルファ962Cの姿は、ともあれなんとも神々しく映る。(写真提供:三栄)

諸井がチーム・タイサンから962Cを譲り受けたとき、962Cは後年の全日本GT選手権(JGTC)で使われたままの状態だった。エンジンはオリジナルの3リッターから3.2リッターに交換され、ボディはカラーリング以外にも、各部にモディファイが施されていたという。

「レーシングカーって、いくら歴史的価値があるからとただ飾られるだけの状態じゃ忍びないじゃないですか。自分だけじゃなく、当時のドライバーの人に乗ってもらって多くの人に見てもらいたい。そしてできれば、自分もちょっと乗りたいなと」

歴史的マシンを所有する意味をそう静かに語る諸井は、長年眠っていた962Cをまず動く状態へとメンテナンスすることからはじめたという。YOKOHAMA / ADVANのスリックタイヤもしっかり用意して、2015年11月には箱根ターンパイクのヒルクライムイベントで走らせた。その後に往年の「ADVANカラー」の仕様へと仕立て直し、各部もさらに入念に仕上げたうえで17年3月に行われた富士スピードウェイ開場50周年イベント『富士ワンダーランド・フェス!』に持ち込み、高橋国光本人にドライブしてもらう栄誉に預かった。

「現場には、クニさんが乗っていた当時のメカニックの方にも来ていただいて。そうしたら“じゃあ乗ってみよう”となって、喜んで乗ってもらえたのは、良い思い出です」

「Kunimitsu.T」の名が輝く今では歴史的遺産となったアドバン アルファ962C。シェイクダウンが行われた富士スピードウェイのピットには諸井が所有するF1マシン、ウィリアムズFW12も並ぶ。日本におけるヒストリック・レーシング文化の底上げを真剣に願い、その実現に向けて趣味の域を超えて活動する諸井らしい突き抜けたラインナップである。

きっかけはブーツェン――
さらなる高みを目指して。

転機が訪れたのは、19年に鈴鹿サーキットで行われた『鈴鹿サウンド・オブ・エンジン』でのことだ。ここでかねてより諸井と親交のあった元F1ドライバー、ティエリー・ブーツェンが962Cをドライブすることとなったのだ。ブーツェンといえば83年のモンツァ1000km優勝、84年のDRMノリスリンク優勝、85年のデイトナ24時間優勝、86年のスパ・フランコルシャン1000km優勝など、956&962Cでも数々の勝利を手にしてきたレジェンド・ドライバーである。

往年のファンを痺れさせたハイブースト仕様として蘇ったアドバン アルファ962C。ひとりのジェントルマン・ドライバーの熱意のもとにレース界の一級のプロたちが集まり、ピットでの入念なウォームアップが進められた。

「もうタービンが手に入らないから、くれぐれも全開にはしないでと言って送り出しました」

当時を振り返って諸井は笑う。もちろんブーツェンも大切な友人の言いつけを守って走ったのだが、その状態にも関わらず962Cの現役当時のわずか1秒落ちというハイペースで駆け抜け、場内を大いに沸かせることとなった。

「今度乗るときはブレイク・スルーするぞ!」

マシンを降りて口にしたブーツェンの一言が諸井の心に火をつけた。せっかく歴史的なマシンを所有しているのだから、当時のオリジナルの状態に完全に戻したい。できればこの962Cが最も輝いていたハイブースト仕様に仕立て上げて、本物の速さをより多くの人にも見てもらいたい。それをクニさんやブーツェンに乗ってもらいたい。そして、自分でもその凄さを味わってみたい……。

一見、962Cに積まれているフラット6ターボは、市販エンジンと姿かたちが似ているのだが、そのほぼ全てが専用品で、パーツの入手も一般では不可能。しかしそのような状況の中で諸井は様々なネットワークを駆使して情報を入手。新品の6基を含む合計20基のタービンを手に入れたほか、新品のクランク、Tアクスル、トランスミッションケースなど、現役当時と同じ状態で走らせるに十分なだけのパーツを確保した。

現役当時のフルブースト仕様へと戻すべく、伝説的なエンジンチューナーの手によって入念なオーバーホールが施された3リッター水冷水平対向DOHC4バルブツインターボの935 / 83型ユニット。

「以前はターボが逝ったらお終いなので、ブースト圧も回転も下げた状態で最高出力を出していました。でもタービンが手に入ったのでフルブーストを試したい。もちろんピストンを冷却するオイルジェットの精度を上げるなど、今だからできるアップデートはします。でもハーネスを最新のものに変えるまではしない。あくまでオリジナル・スペックの3リッター・ハイブースト仕様です」

確かにフルブーストでパワーが800~900馬力出ても使いきれないかもしれない。しかし貴重なクルマを可能な限りオリジナルに戻し、最高の状態で維持することを信条とする諸井にとって、すべての条件が整った以上、それを実行する以外の選択肢はなかった。

それこそが「一時預かり人」の使命なのだから。

そしてこの日の富士でその成果が試されそうとしていたのだ。

▶後編へ続く

(文中敬称略)

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