ニュースレター

「ハイパフォーマンス+環境」、エコタイヤDNAの開発

2018年01月23日

1990年前半からおよそ10年に渡り、日本はバブル経済崩壊後の長期景気低迷が続いていた。横浜ゴムは1980年代から運動性能に優れたハイパフォーマンスタイヤ(HPT)を中心に市販用タイヤを販売していたが、時代の変化と共に大きく意識が変わったユーザーにとって「HPTのヨコハマ」の魅力は薄れつつあった。そうした中、1998年に発売したのがエコタイヤDNA(ディーエヌエー)だった。DNAは横浜ゴムが得意とするHPTの基本性能を損なうことなく環境性能を高めたのが特色。セダン、スポーツカー、ワゴン、ミニバン、高級輸入車向けなどにシリーズ商品の充実を図り、ユーザーの間に「HPT+環境性能のヨコハマ」のイメージを浸透させた。

*横浜ゴムは昨年10月13日に創立100周年を迎えました。この機会を捉え、本ニュースレターでは当社の歴史的エポックとなった事業、製品などを紹介しています。

バブル経済崩壊で市場環境が大きく変化

1980年代後半から1990年代初めまで続いたバブル経済期、日本は好景気に沸いた。自動車業界では、1990年に四輪車新車販売台数が778万台とピークを迎え(2016年は497万台)、ソアラ(1981年)、シーマ(1988年)、セルシオ(1989年)、NSX(1990年)など、大型高級車から高性能スポーツカーまで多種多様なクルマが発売された。こうした中、横浜ゴムも多様なユーザーニーズに応えるべく従来からのADVAN(アドバン)、ASPEC(アスペック)、GRAND PRIX(グランプリ)に加え、市販用タイヤの新ブランドとして1985年にSCIENCE(サイエンス)、1987年にCRITERIA(クライテリア)、1989年にA.V.S(エーブイエス)などを発売し多ブランド化を図った。しかしバブル経済の崩壊によって状況は一変した。ユーザーの嗜好は大型・高級から機能・経済性に移り、クルマではセダンの人気が薄れ、RV、ワゴン、ミニバン、軽自動車などの販売が増加した。これに伴い市販用タイヤも高速走行性能だけでなく、居住性、静粛性、経済性など様々な機能と特色が求められるようになった。

1980年代後半に発売された新商品の広告。上:CRITERIA(1990年)、下:A.V.S T-30(1993年)

「インチアップ」でヨコハマのイメージを再確立

こうした時代変化を踏まえ、ヨコハマタイヤのイメージを再度明確にすると共に、新たな時代に相応しいタイヤを開発するため、1996年、社内に新概念タイヤ開発プロジェクトが設置された。まずプロジェクト主導の下、1997年から開始したのが「インチアップキャンペーン」だった。インチアップとは、タイヤ外径は同じでも、より内径(ホイールの直径)の大きい偏平タイヤに交換すること。偏平化するとタイヤ剛性が高まり、走行性能が向上するほか、ホイールが大きくなるためファッション性が向上する。インチアップはタイヤ業界では昔から実施されていたが、横浜ゴムが率先して提唱することで、ユーザーに対し「HPTのヨコハマ」のイメージを再度明確に伝える狙いがあった。

1997年から開始した「インチアップキャンペーン」の広告。ユーザーに向け「HPTのヨコハマ」を再度明確にアピールした

HPTに環境性能を加える

同時に取り組んだのが次代のニーズを先取りした商品開発だった。フロン全廃を決定したモントリオール議定書(1987年)、各国のCO2削減目標を決定した京都議定書(1997年)など、当時すでに環境破壊は地球的問題となっており、次世代タイヤのテーマとして環境性能に焦点を絞ることが決まった。しかし走行性能に優れたタイヤ、静粛性に優れたタイヤと同列に、新たに環境性能に優れたタイヤを加えてもインパクトは弱い。また燃費は良いが走行性能や静粛性が悪化しては、HPTのメインユーザーであるクルマ好きからは敬遠されてしまう。そこでプロジェクトは、走行性能+環境性能、静粛性+環境性能というように既存のHPTに環境性能を加えることを企画した。しかし、そうしたタイヤの商品化には、確かな技術的裏付けが必要とされた。

決め手となった「合体ゴム」

少し技術的な話になるが、そもそもクルマの燃費は走行中に生じる抵抗に左右される。一番大きな抵抗は走行時に受ける空気抵抗だが、タイヤと路面との間に生じる転がり抵抗も全体の約20%を占める(時速100kmの場合:横浜ゴム調べ)。従ってクルマの燃費改善にはタイヤの転がり抵抗低減が大きな効果をもたらす。単純に転がり抵抗を減らすには摩擦係数の小さい滑りやすいゴムを使えばよいが、その場合、止まる、曲がるといったタイヤの基本性能や安全性が損なわれる。このため環境性能に優れたタイヤを開発するためには、転がり抵抗が小さく、かつグリップ力に優れたゴムの開発が欠かせなかった。すでに1990年代初めからゴムの補強材にカーボンブラックと共にシリカ(二酸化ケイ素)を加えるとグリップ力を犠牲にすることなく、転がり抵抗を小さくできることがタイヤ業界では知られていた。横浜ゴムは、すでに1980年代からモータースポーツ用タイヤの開発を通じてシリカ配合技術のノウハウを蓄積しており、これをベースに研究開発をスタートさせていた。この結果、あらかじめカーボンブラックの表面にシリカを結合した「合体ゴム」を混入することで、ウェットグリップ性能と転がり抵抗の低減とをバランスさせる新技術の開発に成功した。この新技術なくして高い運動性能と環境性能を両立させたタイヤ開発はありえなかった。

走行中にクルマが受ける抵抗。タイヤの転がり抵抗はクルマの燃費に大きく影響する

「合体ゴム」の構造図。あらかじめカーボンブラック(黒丸)にシリカ(白丸)を結合した状態でゴムに混ぜ合わせることで、均等にシリカを分散させることに成功した

転がり抵抗の説明から始まったDNAの販売

新商品は「Driving(運動性能)」、「NVH(快適性能)」、「Assessment(環境性能)」を高次元で併せ持つ意味から、その頭文字をとってDNAと命名した。「ハイパフォーマンス+環境」という新たなコンセプトタイヤの誕生だった。DNAのキーワードは転がり抵抗。しかし「転がり抵抗とは何か」「転がり抵抗が小さいと何故環境に良いのか」を理解できる人は、当時まだ少なく、発売に当たっては転がり抵抗の説明から始めねばならなかった。1998年10月、東京都江東区有明の屋外会場でDNAシリーズ第1弾商品である高級サルーン向けDNA ES-01、DNA ES-02のメディア向け発表会を開催した。まずは転がり抵抗の違いを理解してもらうため、会場に設営した傾斜板の上から、エンジンを切りニュートラルギアの状態でクルマを走らせ、転がり抵抗の少ないDNA装着車の方が従来タイヤ装着車より長く慣性走行できることを実証した。また水をまいた路面でデモンストレーション走行を行い、転がり抵抗が小さくてもウェットグリップ力に問題がないことを確認してもらった。同時にユーザーに商品説明する販売員の知識も高めねばならない。そのため全国の販売会社でDNA拡販のキーマンとなる「Mr. DNA」と名づけたスタッフを養成し、タイヤショップや量販店の販売員向けに技術勉強会やインナー試乗会を数多く開催した。またタイヤに関心の薄いユーザーの認知度を高めるため、2001年から人気俳優織田裕二氏をイメージキャラクターとして起用し、テレビや雑誌を通じて「エコタイヤDNA」をアピールした。

1998年11月、環境コンセプトDNAシリーズ第1弾商品として発売した走り重視のDNA ES-01(右)と快適性を高めたDNA ES-02(左)。インチアップを意図しES-01は偏平率45/55、ES-02は同60/65サイズとした

1998年10月、東京都江東区で開催したメディア向けDNA発表会。写真中央奥の傾斜板から実際にクルマを走らせ、転がり抵抗が少ないDNA装着車の方が従来タイヤ装着車より慣性走行距離が長いことを理解してもらった

DNAシリーズを充実、環境技術も向上

DNAは、その後当初計画通りシリーズ商品の拡充が図られた。1999年に走行性能に優れたDNA GP(グランプリ)、2000年に静粛性に優れたDNA dB(デシベル)、2001年にスタンダードタイヤDNA ECOS(エコス)、2002年にミニバン・ワンボックス向けDNA map-RV(マップアールブイ)、インチアップ・ドレスアップ向けDNA map-i(マップアイ)、ハイパワーサルーン向けDNA dB EURO(デシベル・ユーロ)、2005年にスポーツカー向けDNA S. drive (エスドライブ)、2007年に非石油系資源の使用率80%のDNA dB super E-spec(デシベル・スーパーイースペック)、2008年に国産セダン、コンパクトカー向けにDNA Earth-1(アースワン)などを次々と発売していった。同時に転がり抵抗低減技術も大きく向上した。2001年にシリカをカーボンブラックに埋め込む「合体ゴムⅡ」(合体ゴム、合体ゴムⅡは日、米、独、仏で特許取得)、2004年に「合体ゴムⅡ」に柔軟性に優れたMFポリマーを加えグリップ力の強化を図った「ナノパワーゴム」、2006年に天然ゴムにオレンジオイルを配合しグリップ力の強化を図った「スーパーナノパワーゴム」などを相次いで開発した。

1999年11月発売

2000年6月発売

2001年1月発売

2002年1月発売

2002年3月発売

2002年7月発売

2005年1月発売

2007年7月発売

2008年2月発売

*次号では、ゴルフ用品を取り扱うPRGR(プロギア)の歴史をご紹介する予定です。