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モータースポーツ活動、60年の軌跡

2017年09月13日

1957年、横浜ゴムは二輪レースである浅間火山レースにタイヤを提供、以来60年に渡りモータースポーツに関わってきた。1970年代までは国内が中心だったが、1980年代以降は欧州や米国などに活動の場を広げ、今日では世界各地のモータースポーツに競技用タイヤを供給している。またカテゴリーもフォーミュラ、GT、ツーリングカー、ラリー、ダートトライアル、カートなどと多様化し、世界有数の競技用タイヤメーカーの1社となっている。横浜ゴムのモータースポーツ活動の歴史をカテゴリー別に紹介する。

フォーミュラカーレース

タイヤや運転席に覆いのないシングルシーター(単座席)の専用マシンで競われるレース。国際自動車連盟(FIA)によるF1を頂点としたF2、F3などのカテゴリーがあるほか、米国のインディカー、日本のスーパーフォーミュラなど各国独自のカテゴリーがある。

日本

自ら「TEAM ADVAN」を編成して参戦

1974年から全日本FJ1300、1979年から全日本フォーミュラ・パシフィック選手権にタイヤ供給を行った実績を踏まえ、1980年からトップフォーミュラである全日本F2選手権にADVANレーシングタイヤの供給を開始した。しかしF2で横浜ゴムは最後発で実績がなく、ユーザーもいなかった。そこで自らマシン、ドライバーを編成し「TEAM ADVAN」として参戦。2年後の1982年のシリーズ第2戦で高橋健二の「ADVAN 東名マーチ(822/BMW)」が初優勝し、1984年には後にF1ドライバーとなったステファン・ヨハンソンがADVANマシンでシーズン3勝するなどした。一方1981年から参戦した全日本F3選手権では、1984年にシリーズチャンピオンに輝いた。1987年、全日本F2選手権は全日本F3000選手権に移行したが、引き続き高橋国光、和田孝夫、影山正美などをドライバーに迎えADVANマシンでの参戦を続け、同時に他チームへのタイヤ供給も増やしていった。同選手権は1996年、フォーミュラ・ニッポンに改称され、翌1997年から他社のワンメイクタイヤレースとなったため横浜ゴムは撤退した。しかしそれから20年後の2016年、横浜ゴムは全日本スーパーフォーミュラ選手権のワンメイクタイヤサプライヤーとなり、再びトップフォーミュラへのタイヤ供給を開始した。

フォーミュラカーレース(日本)

全日本F2選手権で初優勝した高橋健二の「ADVAN 東名マーチ(822/BMW)」(1982年)

全日本スーパーフォーミュラ選手権へのタイヤ供給をPRしたデモマシン(2016年)

海外

33年にわたりマカオF3グランプリにタイヤ供給

1982年から欧州F3選手権向けにタイヤ供給を開始。同年から1984年の3年間、ヨコハマタイヤ装着車がそれぞれ年3回、4回、4回の優勝を果たした。また米国のフォーミュラ・パシフィック(1988年)、スペインF3選手権(1998年)、ドイツF3選手権(2000年)、オーストラリアF3選手権(2001年)などでワンメイクタイヤサプライヤーを務めた。中でも最も長期に渡ったのが、1983年から2015年まで33年間続いたマカオF3グランプリへのワンメイクタイヤ供給だった。同グランプリは世界各国で開催されるF3選手権のランキング上位者が集う、F3世界一決定戦として位置づけられる大会で、優勝者には後にF1レーサーとして活躍したアイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハなどが顔を並べている。

フォーミュラカーレース(海外)

33年連続してワンメイクタイヤサプライヤーを務めたマカオF3グランプリ(2014年)

グループC/GTレース

グループCは、レース専用に開発された純レーシングカーで競われるレース。世界の大手カーメーカーの間で競われたが、同カテゴリーは1990年代前半までに終了。一方GTレースは、市販車をベースとした改造車両によって競われるレースで、日本では1993年から全日本GT選手権レースとして始まり、2005年からSUPER GTとして開催されるようになった。

日本

全日本耐久選手権からSUPER GTまで連続参戦

グループCでは、1983年、日本で開催された世界耐久選手権に専用タイヤを供給。同年全日本耐久選手権がスタート。翌1984年からADVANレーシングタイヤの供給を開始し、1985年、1986年に高橋国光/高橋健二組の「ADVAN ALPHA 962」がシリーズチャンピオンとなった。同選手権が全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権に改称された1987年、さらに1989年も高橋国光らがドライブするADVANマシンがシリーズチャンピオンを獲得した。一方GTレースは、1993年に全日本GT選手権レース(1994年に全日本GT選手権に改称)が始まった年からADVANレーシングタイヤの供給を開始、1995年、GT1クラス(1996年にGT500に改称)でTEAM TAISANが2チーム合計で3勝しチームチャンピオンとなった。またGT2クラス(1996年にGT300に改称)では1995年から2001年までADVAN装着車が7連覇を果たした。2005年、全日本GT選手権がSUPER GTへと改称されて以降、GT500では「TEAM ADVAN 土屋」、「KONDO Racing」などが優勝、GT300では2006年、2009年から2012年、2014年、2016年にシリーズチャンピオンを獲得した。

グループC/GTレース(日本)

高橋国光などによりグループCで4度のチャンピオンを獲得した「ADVAN ALPHA 962」(1989年)

全日本GT選手権GT500クラスでシリーズ2位となった「デンソーサードスープラGT」(1997年)

全日本GT選手権GT300クラスでシリーズチャンピオンとなった「シェル・タイサンADVAN GT3R」(2000年)

SUPER GT GT300クラスでシリーズチャンピオンとなった「グッドスマイル 初音ミク Z4」(2014年)

海外

ル・マン24時間レースなど世界の耐久レースで活躍

1984年、米国のIMSAキャメルGTチャンピオンシップにタイヤ供給を開始し、同年ヨコハマタイヤ装着の「マツダRX-7」がGTOクラスで優勝した。IMSAエクソン・サプリーム・シリーズでは1990年、1991年にGTUクラス、1992年、1994年には「ニッサン300ZX」がGTSクラスで優勝した。「ニッサン300ZX」は1994年シーズン初戦のデイトナ24時間レースでも総合優勝を果たした。また1998年にはヨコハマタイヤ装着の「モモ/フェラーリ333SP」が米国2大耐久レースといわれるデイトナ24時間レース、セブリング12時間レースをともに制した。フランス開催のル・マン24時間レースでは1984年にタイヤ供給を開始。同年、初挑戦ながらヨコハマタイヤ装着車は総合3位となった。その後、1995年、2000年、2001年にクラス優勝、2005年にLM-GT2クラスで優勝した。ドイツ開催のVLNニュルブルクリンク耐久シリーズでは2011年にヨコハマタイヤ装着車がシリーズチャンピオンを獲得した。この他、2005年から米国開催のポルシェGT3カップ、2009年からブラジル開催のポルシェGT3カップ、2012年ドイツ開催のADAC GTマスターズ、2016年からマレーシア開催のセパン12時間耐久レースにワンメイクタイヤを供給した。

グループC/GTレース(海外)

米国のデイトナ24時間で総合優勝した「ニッサン300ZX」(1994年)

米国のデイトナ24時間とセブリング12時間を制した「モモ/フェラーリ333SP」(1998年)

フランスのル・マン24時間でクラス優勝を果たした「ホンダ NSX」(1995年)

ツーリングカーレース

ツーリングカー(市販車)を一部改造した車両によって競われるレース。日本では1971年から富士グランチャンピオンシリーズと併催でマイナーツーリングカーレースが行われ、1985年から全日本ツーリングカー選手権、1991年からN1耐久(スーパー耐久)シリーズなどが開催されてきた。世界ツーリングカー選手権(WTCC)をはじめ世界各地でも活発に開催されている。

日本

サーキットにADVANカラー登場

1963年、鈴鹿サーキットで日本初の本格的自動車レースである第1回日本グランプリ自動車レースが開催された。1965年には富士スピードウェイも完成し、1971年から富士グランチャンピオンシリーズがスタートするなどして日本でもモータースポーツ人気が高まってきた。横浜ゴムは第1回日本グランプリ出走車に一般公道用タイヤを提供、以来レース専用タイヤの開発に取り組み、1976年から富士グランチャンピオンシリーズのマイナーツーリングレースにG.T. SPECIALの供給を開始した。さらに1979年からADVANを投入、赤黒のADVAN装着車が初めてサーキットに登場した。ADVAN装着車は同年のシリーズチャンピオンを獲得、その後1982年、1988年、1989年にもシリーズチャンピオンとなった。1985年からスタートした全日本ツーリングカー選手権にもADVANを供給、同年シリーズチャンピオンを獲得した。1991年にスタートしたN1耐久シリーズ(1998年からスーパー耐久シリーズに改称)でも、2003年、2008年に全クラスでチャンピオンとなり、2010年から同シリーズは横浜ゴムのワンメイクタイヤレースとなった。

ツーリングカーレース(日本)

富士グランチャンピオンシリーズに併催されたマイナーツーリングカーレースで活躍した「G.T. SPECIAL サニー」

マイナーツーリングカーレースで活躍したADVANカラーの「ADVAN つちや サニー」(1980年)

2010年からワンメイクタイヤ供給を行っているスーパー耐久シリーズ(2015年)

海外

世界ツーリングカー選手権に12年連続タイヤ供給

1987年、世界ツーリングカー選手権(WTC)にタイヤを供給し「シュニッツァー BMW M3」がシリーズ優勝、同マシンは翌1988年の欧州ツーリングカー選手権でもシリーズ優勝を遂げた。欧州で人気のある耐久レースにも参戦し、ドイツのニュルブルクリンク24時間耐久レースで1989年、1991年、1993年、またベルギーのスパ・フランコルシャン24時間耐久レースで1988年、1990年、1992年にヨコハマタイヤ装着車が優勝した。このほか、英国とイタリアのツーリングカー選手権で、1990年から1992年にかけヨコハマタイヤ装着車がシリーズ優勝。また1995年にオーストラリア、1998年に南アフリカ、2007年にポルトガル、2008年にロシアとスカンジナビア、2010年に中国のツーリングカー選手権でワンメイクタイヤサプライヤーを務めた。ツーリングカーレースへの数々のタイヤ供給の実績が評価され、2006年からスタートした世界ツーリングカー選手権(WTCC)へのワンメイクタイヤ供給が決まった。WTCCへのタイヤ供給は2017年も続けており、12年目のオフィシャルタイヤサプライヤーを務めている。

ツーリングカーレース(海外)

2006年から2017年まで12年連続してワンメイクタイヤを供給している世界ツーリングカー選手権(2015年)

ラリー

市販車を一部改造した車両を使い、山岳、砂地、泥ねいと変化に富んだ一般路や原野で走破タイムを競う。日本では1960年代から競技が始まり、現在では1979年にスタートした全日本ラリー選手権を頂点に様々なローカル競技が開催されている。世界的には各国を転戦する世界ラリー選手権が有名。

日本

全日本ラリー選手権で圧倒的強さ

1979年からスタートした全日本ラリー選手権で、山内伸弥がADVANを装着する「三菱ミラージュ」でBクラス優勝。その後、山内はADVAN装着車で1981年、1983年、1984年、1992年にCクラスチャンピオンを獲得した。1993年、ADVAN装着車で奴田原文雄がBクラス優勝。奴田原は1994年から「ADVAN PIAA ランサー」で参戦し、9回のクラスチャンピオンと3回の総合優勝を遂げた。

ラリー(日本)

全日本ラリー選手権に参戦した「ADVAN PIAAランサー」(1994年)

海外

1970年代から海外挑戦を開始

日本カーメーカーの海外ラリー参戦を契機として本格的にサポートを開始。1972年から1976年にかけオーストラリアで開催されたサザンクロスラリーで、G.T. SPECIAL RALLY MASTER-2を装着した「三菱ランサー」が5年連続して優勝した。また世界ラリー選手権(WRC)の一戦としてケニアで開かれたサファリラリーでも、1975年から1977年にかけ「三菱ランサー」が3年連続クラス優勝を果たした。1988年、アジア・オセアニア地域を舞台としてスタートしたアジア・パシフィックラリー選手権では、ヨコハマタイヤ装着の「三菱ギャラン VR-4」が初代チャンピオンを獲得、その後1990年、1991年、2014年にもヨコハマタイヤ装着車がシリーズ優勝した。2006年、プロダクションカー世界ラリー選手権(PWRC)の第1戦、第5戦、第6戦でADVANを装着した「ADVAN PIAA ランサー」が優勝した。1995年からメキシコの砂漠地帯を舞台に戦われるTecate SCORE Baja 1000にSUV用タイヤGEOLANDAR装着車で参戦を開始。4度のクラス上位入賞を経て、2002年(Baja 2000として開催)にクラス優勝を遂げた。

ラリー(海外)

プロダクションカー世界ラリー選手権第1戦のフランス・モンテカルロラリーで優勝した「ADVAN PIAAランサー」(2006年)

Tecate SCORE Baja 2000でクラス優勝したGEOLANDAR装着の「三菱チャレンジャー」(2002年)

ダートトライアル/ジムカーナ/レーシングカート

ダートトライアルは、市販車を改造した車両でダート路面のサーキットを使いタイムを競う。ジムカーナは一般の乗用車を使用し、舗装道路をスラローム走行してタイムを競う。レーシングカートは、鉄パイプで組んだフレームにエンジン、タイヤを取り付けたシンプルなマシンで競う競技。入門者がレース感覚を養うのに最適といわれる。

日本

全日本選手権を中心に幅広くサポート

ダートトライアルは1977年からタイヤ供給を開始。全日本ダートトライアル選手権で田島伸博がヨコハマタイヤ装着車でDクラス11連覇した。ジムカーナ用タイヤの供給は1991年から開始。全日本ジムカーナ選手権で、山本真宏がヨコハマタイヤ装着車でシリーズチャンピオンを11度獲得した。レーシングカート用タイヤの供給は2000年からで、全日本カート選手権からジュニアカート選手権まで幅広いレースをサポートしている。

レーシングカート(日本)

全日本カート選手権に参戦したADVAN装着車(2015年)

二輪レース

四輪レースより古い歴史を持ち、日本では1962年から、サーキットを使用した全日本ロードレース選手権が開催されている。非舗装路を使ったモトクロス競技も開催されている。

日本

全日本ロードレース選手権で「TEAM GETTAR」が活躍

1957年、浅間火山レースに二輪用一般タイヤを供給。1959年にはモトクロス用タイヤ、1966年にはロードレース用タイヤを開発した。1977年には世界ロードレース選手権参戦マシン用に日本初のロードレース用スリックタイヤを開発。さらに1984年、日本初のロードレース用ラジアルスリックタイヤGETTAR 600シリーズの発売を契機に、全日本ロードレース選手権に「TEAM GETTAR」として参戦した。1989年、1990年にそれぞれ国際A級125ccなどでシリーズチャンピオンとなったが、1995年、横浜ゴムが二輪タイヤ事業から撤退したのを契機にレース活動を中止した。

サイドカーレース

レース専用の三輪で競われるサーキット競技。日本では馴染みが薄いが、欧州では人気モータースポーツのひとつになっている。

海外

1980年代に3連覇、1990年代に5連覇を達成

1981年から欧州で開催されている世界サイドカー選手権にタイヤ供給を開始。ヨコハマタイヤ装着車が1984年から1986年まで3連覇、1992年から1996年まで5連覇を果たした。

サイドカーレース(海外)

世界サイドカー選手権の模様(1984年)

*次号では、ポルシェから始まった欧州カーメーカーへの新車装着についてご紹介する予定です。