2024年3月11日
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東日本大震災から13年が経ちました
本日は雪も解けてきて春を少し感じるくらいの景色になりました。
今回は少し自分語りをしようと思います。
私は内陸住まいで13年前、同じような景色を小学校の体育館から見ておりました。
卒業式の予行演習で、15時には下校となる予定でした。
あと一回のやれば終わるなぁと考えていた14時45分、まもなく地震が発生しました。
廊下に待機していた他の生徒も一度は体育館に集まり、揺れが少し収まったときに全員グラウンドへ避難しました。
その後も続いた足元から突き上げるようなその揺れは、人が二足で歩くことを困難とさせ、地面やアスファルトを割る威力でした。
岩手・宮城内陸地震を先に経験していて、最初は地震だとワーワー騒いでいた同級生も揺れが強くなるとともに言葉を失っていきました。
生徒、教員ともに恐怖しかない現状にただただ静かに、揺れが一刻も早く収まることを願うばかりでした。
自宅に帰ってからは、FMラジオや数日後に使えたテレビを見て、沿岸で起きたことに戦慄しました。
今まで緊急地震速報が流れて津波に警戒してくださいと言われても、そう言うが本当に来るのか?と甘い考えを持っていた自分は、映像を見て言葉も考える思考も失いました。
実際に訪れた場所、テレビでみた景色、すべてが黒い水によって飲み込まれていったのですから。
電気、ガス、水道が復旧するころには、より広い部分が見えてきて、東京での被害や原子力発電所での事故など大きな災いだったのだと時が経つにつれ感じています。
その後、震災・事故当時、立ち向かった方々がいたことを知りました。
最後の最後まで役場に残り、防災無線で避難を呼びかけた方々がいました。
原子力発電所で現場に残され、命を懸けて出来うる限りの対処を行った方々がいました。
当時の日本を救ったとも言って差し支えない、まさに英雄であると、私は思っています。
亡くなってしまった方もいらっしゃいますが、その英雄たちに感謝し、恥じることのない生き方をしようと思っております。
長文になりましたが、これで自分語りを終わります。
亡くなられた方々に対し謹んで哀悼の意を捧げるとともに、ご遺族の方々にお悔やみを申し上げます。