Grip the Soul

“赤×黒”をまとった、
30年目の新たな挑戦。

2024.3.25

2024年 JAF全日本ラリー選手権の開幕戦『ラリー三河湾』のパドックには奴田原文雄の姿があった。長年、奴田原が参戦を続ける競技だが、今年はとりわけ新しい挑戦となった。FIAのRALLY2規定に準拠したラリーカーとして生まれたトヨタ GR ヤリス RALLY2で、JN-1クラスへ挑むことになったのだ。それは偶然にも奴田原がADVANラリーチームに加入してADVANカラーで走り始めてから30年という節目とも重なった。今も現役ドライバーとして表彰台の頂点を目指す奴田原文雄の挑戦と、それを支えながら育っていくチームメンバーの姿を追う。

Words:中三川大地 / Daichi Nakamigawa

Photography:安井宏充 / Hiromitsu Yasui(Weekend.)

ベテランドライバーが挑む
30年目のステップアップ。

「ラリードライバーをこんなに長く続けられるとは自分でも思っていませんでした。もっとも、無理にしがみつくつもりはありません。ゆくゆくは若いドライバーやスタッフにチャンスをつないでいきたいと思って、後進の育成を狙ったラリースクールも運営しています。けれども、自分だってまだ現役のラリードライバーという自負がある。できるうちはいつまでも走り続けたいし、走るのであればやっぱり勝ちたい」

奴田原文雄(ぬたはら・ふみお)、職業ラリードライバー。そのデビューは1986年というから、この道35年以上の大ベテランだ。いまもなお、60歳という年齢を感じさせないほどエネルギッシュに最前線で闘う。そんな彼のラリー人生と切っても切り離せないのがYOKOHAMA/ADVANである。彼がADVANチームに加入したのは1994年、以来、30年にわたってずっと『赤×黒』に象徴されるADVANカラーで走ってきた。2006年には当時のPWRCクラスにおいてラリー・モンテカルロで日本人として初優勝を飾るなど、幾多もの伝説を残す。全日本ラリー選手権においても、昨年(2023年)は『NUTAHARA Rally Team』としてGRヤリスを駆り、通算11回目というシリーズチャンピオン(JN-2クラス)を獲得した。

そんな奴田原の姿が、2024年 JAF全日本ラリー選手権の第1戦『ラリー三河湾』にあった。いつもと同じように、慣れ親しんだ様子でパドックを歩き回ってファンサービスをしつつも、今までとは少し様相が異なる独特の緊張感を秘めていた。ぱっと見る限りは昨年と同様の体制であり、ADVANカラーをまとったGRヤリスというのも同じ。しかし、昨年と今年では大きな隔たりがある。今年からはマシンをGRヤリスRALLY2へと一新し、同ラリーのトップカテゴリーであるJN-1クラスに挑むからだ。GRヤリスRALLY2とは事実上メーカーワークス同士で闘うRALLY1に次ぐ、RALLY2カテゴリーに該当するマシンである。GRヤリスRALLY2はフィンランドを中心とした欧州で開発が進められ、このたびホモロゲーションを取得して販売されることになった。つまりは市販車をベースとするJN-2とはまるで違う、純レーシングカー(ラリーカー)である。

FIAが定める「RALLY2」規定に準拠したGRヤリスRALLY2。フィンランドを中心としたヨーロッパで開発が続けられ、2024年1月4日にホモロゲーションを取得したばかり。全日本ラリーへの実戦投入は今回が初となった。1618.2ccの直列3気筒ターボエンジンを搭載し、車量重量はFIA規定である1230kgに抑えられる。

「いつまで走れるか──。そんなことはいつだって考えています。しかし、今まで散々走ってきたヤリスにRALLY2準拠のマシンが出て、それで全日本ラリーに出ることができるかもしれない。それを聞いたら、もう抑えられない。RALLY2マシンをADVANカラーにして闘いたい。そしてこのADVANカラーを表彰台のトップに上げたいって思いました」

百戦錬磨の奴田原ながら、今までのキャリアのほとんどはプロダクションクラス(市販車改造クラス)での参戦だった。しかし今年は純粋なラリーマシンで闘う。ラリー人生36年目にして、ADVANカラー30年目の初挑戦である。現役で居続けるためには、ただダラダラと続けていても意味はない。常に挑戦を続け、ステップアップし、そしてトップを獲りたい。そうした意志に対して、まるでそこに呼応するように登場したのがGRヤリスRALLY2だった。その情熱はYOKOHAMA/ADVANをはじめ、あらゆるサポーターを巻き込んで、晴れてその計画が実現されることになった。しかし実際にマシンがフィンランドから到着したのは『ラリー三河湾』が開催されるぎりぎりのタイミングで、満足に走行テストができる時間はなかった。

奴田原文雄。1963年生まれ。1986年からラリードライバーとして活動開始し、1994年にADVANラリーチームに加入、その翌年から早速ADVANのエースとなる。2006年にはラリー・モンテカルロで日本人として初優勝を飾り、同年のP-WRCではシリーズ2位の成績を収める。全日本ラリー選手権では11回もの総合チャンピオンを獲得。かつてはランエボのイメージが色濃く「ランサーのヌタハラ」と呼ばれていた時期もあったが、2021年に「NUTAHARA Rally Team」を結成してからはトヨタGRヤリスで全日本ラリーを闘ってきた。

ぶっつけ本番で挑んだ全日本ラリー。
それを支えたYOKOHAMA/ADVAN。

YOKOHAMA/ADVANにとっても今回は大きな挑戦となった。昨年まで闘ってきたJN-2クラスと、今年のJN-1クラスとでは、レギュレーションによって使用するタイヤサイズが異なる。JN-1クラスでは、リム/タイヤの組み立て幅が9インチ、かつ直径650mmを超えてはならず、ターマックラリーでは8.0J×18インチ、グラベルラリーでは7.0J×15インチのホイールのみが認められる。そこで今回は、国内外のラリーで実績のあるターマック(舗装路)用ADVAN A051T(210/650R18)を用いることになった。さらに興味深いのはホイールだ。ラリーホイールとして定評のあるADVAN Racing RCⅢの進化版として誕生したADVAN Racing RC-4である。銘柄自体は市販品を見据えたものだが、ここに持ち込んだホイールは、GRヤリスRALLY2に合わせてP.C.D.を変更。それにともないセンターボアを拡大するなど、ほぼ新規で設計開発したという。奴田原の挑戦を前にして、YOKOHAMA/ADVANは文字通り、足もとを完璧に支えていく。

だが、これら足もととGRヤリスRALLY2とのマッチングについて、奴田原は多くを語らなかった。まだシェイクダウンに近い状態であり、マシンに慣れていなければ、セッティングがキマった状態でもない。タイヤの空気圧ひとつとっても、まだベストアンサーは見出せていない。この状態でタイヤ&ホイールを評価するのは時期尚早だと思ったのだろう。少々、乱暴に言うのなら「タイヤのダメ出し」ができるようになるほどマシンを掌握してから、エンジニアや開発者に対してきちんと言葉にするべきだ、と。そうした意味で今はまだ道半ばである。

「事前に最低限の走行テストをしただけです。まだまったく慣れていない、というのが正直なところですね。はっきり言って今まで乗ってきたマシンとは全然違う。とにかくピーキーでダイレクト。市販車を改造したマシンに見られる緩慢な動きが一切ない。最初からレーシングカー(ラリーカー)として設計開発されていることを強く感じます。これからセッティングを詰めていって、なおかつ自分がこのマシンにもっと慣れれば、ものすごく速く走れる可能性を感じる。だけど現段階では、まだそれを探っている状況です」

タイヤサイズはターマックが210/650R18、グラベルが180/650R15とRALLY2規定によって制限される。それに基づき新作であるADVAN Racing RC-4ホイールに、ターマック用タイヤとして定評のあるADVAN A051Tを組み合わせた。

『ラリー三河湾』は多種多様なSS(スペシャル・ステージ)が設定されていた。それを踏まえて言うと「高速コーナーがあるステージではポテンシャルの高さを感じるものの、限界が高いからこそ、どこまで攻めていいかわからない部分がある。1速まで使うような速度域でサイドターンを駆使するなど、ラリー固有のテクニックを要する低速コーナーでは、操作系の不慣れを感じた」という。去年まで右ハンドルの3ペダルだったのに対し、GRヤリス・ラリー2は左ハンドルの5速シーケンシャルという操作系の変更も影響したのだろう。

とはいえ、それでも結果を残すのがプロとしてのラリードライバーの矜持なのか。SS1ではクラス6位に止まるも、SS4ではクラス3位。徐々にマシンと身体が一体化していったのか、その後のSS5ではトップタイムへ。その後もベスト4圏内で安定した走りを続け、途中、大きなトラブルに見舞われることもなく、結果としては総合4位(JN-1クラス4位)で競技を終えている。

2024年全日本ラリー選手権の開幕戦として2024年3月1日~3日に開催された「ラリー三河湾」。前年まで開催されていた「新城ラリー」の代わりに、愛知県蒲郡市がホストタウンとなって初開催されたステージだ。総走行距離253.28km、そこに設けられるSSは計12で、距離は80.74kmにおよぶ。基本的にはターマック(舗装路)ラリーながら、高低差のあるワインディングロード、タイトな林道コース、サーキット(スパ西浦モーターパーク)を利用した特設コース、またトヨタのグラベルテストコース(KIZUNA)など、バリエーションに富んでいて難易度の高い設定となった。

自らで挑戦を続けるからこそ
その背中を見て若手が育っていく。

長きにわたって奴田原を支えてきたチーフエンジニアの山田淳一(やまだ・じゅんいち)は、奴田原と同じくYOKOHAMA/ADVANとともに闘ってきた男だ。

「ADVANカラーのマシンをラリーで走らせることの喜びを、ずっと噛み締めながらやってきました。今回はマシンが来たのがぎりぎりのタイミングで、だから適正なセッティングや、またはアドバイスができているとは言い難い。だけど今年もこうしてADVANカラーが現場にいる。しかもJN-1クラスのGRヤリスRALLY2を持ってきた。そこに大きな意味があると思います。帯同したメカニックたちにとっても、かけがえのない経験になるんじゃないかな」

奴田原のチームは正式には「NUTAHARA Rally Team」。日本のラリーシーンをリードしてきたタスカエンジニアリングの意思を受け継いだチームとして2021年から活動を開始した。その想いに共感したKTMSがチームサポートする。山田淳一(右写真)は、かつて奴田原が走っていたタスカエンジニアリング時代から、彼とともに闘ってきたチーフメカニックだ。今回はKTMSの若手育成プログラムのもとに集まったディーラーメカニックとタッグを組んだチームメンバーとして、現場をまとめあげていた。彼自身もADVANカラーに魅せられた男であり、今も走らせることに喜びを感じ、その象徴的な存在が奴田原だと述べた。

そう言いつつ、山田は機敏に動くメカニックたちを見る。KTMSは若手育成プログラムとしても機能しており、帯同するのは若手メカニックたちばかりだ。普段はディーラーメカニックとして活動し、ラリーカーを触ったことのない人たちである。限られた時間でメンテナンスやセッティング変更、万が一の際のトラブルシューティング、修復などを経験することは、メカニックとして大きな糧になる。奴田原が冒頭で述べた“後進の育成”とは、こうしたチーム体制にあらわれる。

コ・ドライバーを務めた東 駿吾(あずま・しゅんご)もまた“奴田原育ち”だ。彼は「NUTAHARA RALLY SCHOOL Jr.チーム」の卒業生であり、奴田原とコンビを組んで4年目の参戦となった。戦歴を重ねるたびに急成長を遂げる若手であり、次世代を担う存在だ。

「NUTAHARA RALLY SCHOOL」の卒業生にして、現在は奴田原のコ・ドライバーを務めるのが東 駿吾だ。奴田原とは親子ほどの年齢差がある20代(1997年生まれ)の若者だが、スクール卒業後はメキメキと頭角を表し、奴田原とのコンビも4年目に突入した。競技中はわずかな時間を見つけては走行データを分析し、ただひたむきに考え続ける姿が印象的だった。

「大学の自動車部に入っていた時に、奴田原さんのスクールに通い始めました。僕自身はあまり運転が得意ではないことを自覚していて、だから最初からコ・ドライバーを目指してきました。卓越した腕を持つドライバーの横に乗って、ともに戦略を考えながら勝利を目指す。そこにおもしろさを感じました。奴田原さんは経験豊富にして、常に安心して横に乗っていられる。その“走り”を最大限に引き出していけるようなコ・ドライバーでありたいと思っています」

チーム体制やコ・ドライバーの存在に象徴されるよう、奴田原はベテランドライバーとして現役で走り続け、ただひたすら勝利を目指しているが、決して孤軍奮闘というわけではない。それが結果として「若手育成の場」にもなっているのが興味深い。

「気がつけば、ADVANカラーで走ってもう30年になるんですね。僕のラリー人生のほぼすべてだ。今も“赤×黒”で走らせてもらえることに誇りと喜びを感じます。“若手育成をしている”なんて言うのは偉そうですけれど、自分なりの挑戦によってみんながついてきてくれるのは嬉しい。僕がラリーを始めたころはすでにADVANチームはあって、先輩ドライバーの方々はとても速いし、何よりカッコよかった。自分にとっては憧れだったんです。あの憧れがあるからこそ、その後の僕のラリー人生はADVANカラーに染まった。今後もほかのカラーリングにするなんて考えられない。まだまだ走りますよ! 僕がどこまで“憧れ”を提供できるのかわからないけれど、とにかくADVANカラーを表彰台のてっぺんに上げたい」

奴田原文雄。数多くの仲間たちとともに、これからもADVANカラーを纏って闘う。開幕戦となった『ラリー三河湾』を含めて、2024年の全日本ラリー選手権は全8戦が予定されている。彼の30年目の挑戦は、まだ幕を開けたばかりである。

(文中敬称略)

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