ADVAN CHALLENGE

ラリージャパンへの挑戦で見えた
“挑戦すること”の大切さ。
──連載レポート 最終回

2024.1.10

長野オリンピック・スピードスケートの金メダリストである清水宏保(しみず・ひろやす)の、まるで現役時代を彷彿とさせるような怒涛のシーズンだった。1年前まではビギナー向けのラリー競技とされるTOYOYA GAZOO Racing Rally challenge(TGRRC)の経験しかなかったにも関わらず、今年は一気に全日本ラリー選手権にステップアップ。そして僅か2戦の経験を経て、いきなり世界ラリー選手権(WRC)にまでのぼり詰めた。2023年11月16日~19日に開催された「WRC・ラリージャパン2023」に出場を果たしたのだ。世界最高峰のラリーステージで、清水宏保が得たものとはなにか──?

Words: 中三川大地 / Daichi Nakamigawa
Photography: 安井宏充 / Hiromitsu Yasui(Weekend.)
       エムリット(ラリージャパン写真提供)

恐怖とプレッシャーを乗り越えた
その先にあるものとはなにか──?

WRC(ラリージャパン)の約1ヶ月前に開催された全日本ラリー選手権・第8戦「M.C.S.Cラリーハイランドマスターズ」で、「清水さん、ラリーってこういうもんだから、絶対に辞めないでね」と、ベテランオフィシャルが清水宏保(しみず・ひろやす)を激励した言葉が、今になって深く身に沁みるという。WRCへのステップアップのために出場した同選手権の最終SSで、清水は痛恨の大クラッシュを経験した。身体こそ無傷だったが、マシンの損傷はかなり酷く、それは約一ヶ月後に迫ったラリージャパンへの出場が危ぶまれるほどだった。

「もう、ラリーは辞めたいって思ったのが正直なところでした。寝る間を惜しんでマシンを製作し、そして走らせてくれたチームには本当に申し訳ない。クラッシュした場所が悪くて、後続の皆さんの走行をストップさせてしまったり、コース復旧に際して主催者の皆さんにも迷惑をかけてしまった。それ以来、恐怖とプレッシャーに支配されて、“どうやって走ればいいんだろう”というトラウマを抱えました。やっぱりWRCに出るのは時期尚早で、危険かもしれない、と」

ラリージャパンを終えて1ヶ月後。年末の多忙なスケジュールの合間を縫って清水は都内でインタビューに応えてくれた。その表情には「次に向けた」確かな覚悟が見て取れた。

しかし、MUSCLE RALLY(マッスルラリー)チームの誰もが清水を信じていた。関わるスタッフ全員の弛まぬ努力によって、競技車両であるトヨタ・ヤリスCVTをものの見事に復旧させたのだ。同時にWRCナショナルクラスJR Car3レギュレーション規定に従ったロールケージや安全タンクなど全日本クラスとは別物と言えるほど大変貌させてきた。最終的にマシンが完成したのは競技開始の2日前だった。まるで皆が創り上げた情熱という激流に身を任せるようにして、彼はWRC(ラリージャパン)の舞台に立った。

世界最高峰の舞台で、
真の意味で“ラリー”を知っていく。

皆の想いを受け止めたのか、ラリージャパン初日のSSS(スーパースペシャルステージ)での清水の走りは冴え渡っていた。大勢の観客が詰めかけたスタジアムに設けられたコースを2台同時に4周走る。それはスピードスケートの世界観や感覚と近しいものがあったという。

「とても気持ちよく走れました。スタートラインに立つまでの心地よい緊張感と、そしてステージで得られる独特の高揚感。そこで極限まで集中力を高めて挑むSSSはどこか懐かしい気持ちにもなった」と、オリンピックの金メダリストらしい言葉を残した。マシンの仕上がりも上々で、清水は幸先のいいスタートを切ったのだ。

ラリージャパン初日のSSS(スーパースペシャルステージ)では豊田スタジアムに設けられたコースを2台同時に4周走る。清水は往年のスピードスケートでの滑走を彷彿させる走りを見せてくれた。(写真提供:エムリット)

しかし、さらなる障壁は、DAY2に訪れた。この日は生憎の大雨で、さらに寒波の影響により気温も低い。コースには苔や落ち葉が無数に存在し、ベテラン勢もクラッシュが多発した難易度の高いコンディションであった。その難所にて清水は午前中ふたたびクラッシュを引き起こしてしまう。ラリーカーは自走出来ず積載車にてサービスパークへ戻すのだが、その日は無念のリタイヤ。ようやく回復してきたかに思えた彼のメンタルも、ふたたびどん底へ落ちた。

しかし、それを救い、支えてくれたのは、誰も諦めることなく即座にマシンを復旧させ始めた5名のチームメカニックだった。サービスパークには一通りの補修用部品を用意していたもののクラッシュした直後から故障状況を想定し、足りないパーツを方々から掻き集め、即座にフロント足廻りを全て交換し、歪んだフェンダーを叩き直し、ミッションまで載せ替えた。それがチームであり、それこそがラリーの醍醐味だと、清水は感じ取ったのだと言う。同日の夕刻、マシンはふたたび全開で闘える状態にまでよみがえり、翌朝には再車検に合格し、いざ3日目の舞台へ立ったのだった。

(写真提供:エムリット)

「支えてもらっている仲間たちを前にして、壊してしまって申し訳ないという気持ちが大きかった。これは何がなんでも残り2日間を走り切らなきゃな、と自分に喝を入れました。葛藤はありながら、とにかく集中して走りました。そうすると凹んでいる気持ちがどんどん回復していって“踏める”ようになったんです。心が立ち直るというのかな。結局、4日目の最後のほうは、1カ月より確実にレベルアップしたと実感できるくらい、走りが改善されていきました」

(写真提供:エムリット)

そう清水が振り返るように、2日目こそデイ・リタイアを喫したものの、その後は堂々たる走りを持って無事に完走を果たした。彼はもちろん、チーム全員が無常の喜びだった。恐怖心に打ち勝つことができたのは、彼自身のメンタルの強さはもちろんのこと、YOKOHAMA/ADVANタイヤがもたらすリニアなインフォメーションが助けになったとも述べた。ラリーチャレンジでのADVAN A036、全日本ラリー選手権やラリージャパンでのADVAN A052、ADVAN A051Tなど、それぞれの性能や特性こそ違っても、彼が走りを学びながらステップアップするに相応しい銘柄ばかりだった。

清水宏保は初挑戦となったWRCという世界の大舞台で見事完走を果たした。(写真提供:エムリット)

ラリーへの挑戦で再び開花した
清水宏保のアスリート魂。

「たとえ無理を承知でも、何らかの目標設定をして、そこに向かって突き進んでいく。小さなことでもいいからひとつずつ成し遂げていく。それが達成感につながる。たとえ“辞めたい”と思ったとしても、やらざるを得ない環境に身を投じて、ときに周りに引っ張っていってもらうことも大切です。現役アスリート時代に養ったチャレンジングスピリッツを再確認しましたね。どんな形であっても最後までゴールできた時は、言葉にできないほどの感動で満たされました。初めて“ラリーをやってきてよかったな、もっとやりたいな”って思えたんです」

「ラリーをやってきてよかったな、もっとやりたいな」と目を輝かせて、清水は“次”への想いを語る。

それはラリー経験値の少なかった清水が、ある種強引とも無謀とも取れるステップアップを企て、途中に挫折を経験しながらも到達した、真の意味での“もっと走りたい”という気持ちだった。とはいえ、彼が持つ元来のアスリート魂を鑑みると、決して“走っただけ”で満足する男ではない。通過儀礼は終わったのだ。彼はただちに次の挑戦を開始すべきだと言わんばかりに「次の目標はリザルト(順位)だ」と言った。それは、チームの誰もがわかっていた。チームの代表を務める株式会社エムリットの友田康治(ともだ・こうじ)は述べる。

清水は2023年に初めて全日本ラリー選手権に参戦。「M.C.S.Cラリーハイランドマスターズ」では痛恨のクラッシュを経験して自身が「トラウマ」と表すほどメンタル的な打撃も受けたが、チームや周囲のラリー仲間の支え、さらにはトップアスリートとしての元来の負けん気も作用して、見事にラリージャパンでの完走を成し遂げた。写真は第5戦『YUHO RALLY TANGO supported by Nissin Mfg(ラリー丹後)』でのもの。

「清水はラリーを初めてから、僅か12戦目でWRCに出場しました。ラリードライバーの中では世界最速なんじゃないかな。彼の能力と共に“駆け上がった”感覚。チーム全員が得たものは大きかった。自ら経験しなければ得られないものです。我々はAT限定免許で運転できる2ペダル車両をWRC(ラリージャパン)で唯一走らせた。来年は同じような車両で出場する選手も増えると思うしライバルが出来ると競技は楽しい。当然ながら勝負に拘って行きます。」

「もっと走りたい」という清水の意思を受けて、2024年は3月から11月まで、多くのラリー競技会へ出場を予定しているという。

さらに、一連の活動に共感したスケート選手3名が加わるアスリートチームになるという。既にラリー競技2戦を完走した元フィギュアスケート選手・小塚崇彦(こづか・たかひこ)、現在はプロスケーターの無良崇人(むら・たかひと)、元ショートトラック選手・寺尾 悟(てらお・さとる)。ラリーカーは3台体制を計画しており、アスリート集団はさらに増える可能性もありそうだ。

清水宏保のエネルギーはこうして大勢の人たちを巻き込んでいく。彼の真剣な眼差しを見ていると、不思議と誰もが前向きな気持ちになれる。それがモータースポーツ云々にかかわらず、「何かを始めるのに遅すぎることなんてない」と背中を押してくれるように、我々に対しても“挑戦することの大切さ”を教えてくれているようだった。

(了)

清水宏保 / Hiroyasu Shimizu
1998年の長野オリンピックで金メダル1個、銅メダル1個、2002年のソルトレイクシティオリンピックで銅メダルを獲得した元スピードスケート選手。今では実業家であり医学博士であり、そしてタレントとしても活動する。ラリー競技への挑戦はまだ3年強だが、過去にスピードスケートに挑んだときと同じマインドを持って、今後も積極的に続けていくという。

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