歴史博物館&史跡見学ツアー

横浜ゴム平塚製造所に残る史跡や歴史をご存知ですか?

横浜ゴムの研究開発拠点、平塚製造所が1952年に誕生してから実に70年近い年月が経とうとしています。
そしてこの土地の歴史も非常に古く、明治・大正・昭和にかけて旧海軍第二火薬廠(かやくしょう)として使われていました。
実は、平塚製造所内には現在も火薬廠にまつわる歴史遺構が点在しております。
ここでは、Think Ecoひらつかで実施した史跡見学ツアーにて、ご紹介した史跡についてご紹介いたします。
通常時は会社敷地内の為、ご案内することができませんが、特別に当ホームページでご紹介させていただきます。
ぜひご覧ください。

~平塚製造所に残る歴史建造物~

火薬廠正門門柱

旧海軍火薬廠時代から現在に至るまで使用されている門柱です。かつては4本の柱がたっておりましたが、現在は真ん中2柱は移設されております。当社敷地内で最も古い構築物の一つで、明治末期頃~大正期に作られたものと伝わっております。※右写真:正門前で警備を行う進駐軍兵士 下写真:関東大震災後、撮影された当時の正門

ホワイトハウス(旧火薬廠参考館)

昭和初期頃に建設された、海軍火薬廠時代の建物です。現在はその白い見た目から当社従業員の間で”ホワイトハウス”と呼ばれ親しまれておりますが、当時は参考館と呼ばれ、当時の記録から、通信や防空監視などを行う建物であったと伝わっております。現在も防空監視室の一部や、銃眼のような窓や防火扉、戦前からあるトイレ等、当時の面影を残す貴重な建物となっております。

旧引き込み線&プラットホーム

海軍火薬廠時代から1960年代まで使用されたプラットホームと引き込み線(専用線路)の遺構です。当時は海上輸送・鉄道輸送が主流の時代であった為、当敷地から相模川下流方面へ専用線路が伸びており、海上輸送路と繋がっておりました。

旧海軍執務棟

昭和初期頃の建設と伝わる、鉄筋コンクリート造の建物です。海軍使用時は2Fにバルコニーがあったことが終戦時の写真で確認されておりますが、現在は取り壊されています。入り口は鉄扉の二重構造で、扉右下には進駐軍接収時に書かれた建屋整理番号(25)が残っています。

旧電話交換室


昭和初期頃の建設と伝わる、旧海軍火薬廠時代の電話交換室の建物です。鉄筋コンクリート造で、建物内外に防火扉が設置されており、現在も現存しています。また、建屋入り口は鉄扉の二重構造になっており、当時貼られたガラス飛散防止用のテープなども確認できます。(写真右)

レンガ外壁

平塚製造所内に残る、旧海軍火薬廠時代のレンガ壁です。本来の建物はかなり昔に取り壊され、一部現存しています。明治大正期に主流であった、イギリス積みという手法で積まれたレンガが特徴的です。


皆さまとお会いできるのを楽しみにしております。

こちらに記載した情報については、適宜内容を追加・更新してご紹介させていただきます。

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