
Groover’s Voice vol.6 浜崎貴司 (FLYING KIDS/ボーカル)ひさびさにオープン2シーターに乗ったら ヤラシイ気持ちになりました。
聞き手/河西啓介(Sound Groover編集長) 写真/柏田芳敬
「マッハ号」に憧れて選んだ白いロードスター
―― 1989年に始まった“イカ天”(テレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』)は、僕ら当時のバンド青年にとっては衝撃的でした。毎週、多くのアマチュアバンドが登場しましたが、どのバンドも面白いし、レベルが高かった。その中でも“初代グランドイカ天キング”に輝いたフライングキッズは別格でした。
「ありがとうございます。イカ天が盛り上がって、あれよあれよという間に『幸せであるように』でデビューが決まって。でもいざプロとしてやっていくとなると、“売れなきゃ”というプレッシャーもあったし、毎日スタジオに通い、曲づくりに追われて、なかなか大変な日々だったなぁと、今になって思いますね」
―― じつはその頃、僕が編集者をしていた自動車雑誌(『NAVI』)の取材で、浜崎さんにお会いしたことがあるんです。“イカ天”からずっとフライングキッズの大ファンだったので、ユーノス・ロードスターに乗ってらっしゃると聞いて、無理やりインタビューを申し込みました(笑)。

「そうそう、デビューして間もないときに白いロードスターを買ったんですよ。出たばっかりですごい人気で。あれが初めての愛車でした。クルマに興味をもった原点が、子どもの頃にテレビで見てた“マッハGoGoGo”なんです。白い流線型のスポーツカー。憧れはトヨタ2000GTだけど買えないし。だからロードスターを見たときは“これだ!”と思いましたね。
―― ロードスターが登場したのは89年だから、イカ天が始まった年ですね。若者にも買える価格で登場したオープンスポーツカーということで大ヒットしました。白いロードスターを選んだのはそういう理由だったんですね。
「憧れが“マッハ号”ですから。いつもオープンにして乗ってましたね。カーステレオでビーチボーイズをかけながら。その頃は薄汚れた街に住んでいて(笑)、仕事も忙しくてストレス溜まりまくってたから、ロードスターの屋根を開けて走るとココロが“浄化”される気がしたなあ」

クルマは自分の“精神”を反映するんです
―― ミュージシャンやバンドマンにとって、クルマは「機材を運ぶ」という役割もありますよね。オープン2シーターで不便はなかったですか?
「あえてボーカリスト然とするためにオープン2シーターを選んでいた、というのもありますね。“機材なんて載せないぜ、オレ”、なんて思うことで意識を高めていたというか(笑)。クルマってセルフイメージをつくれるというか、そういうところありますよね。その後のクルマ選びも、そのときどきの自分の気持ちや精神と一致してますもん」
―― なるほど、ですね。クルマ選びはそのときの自分の精神を反映しているし、逆に選んだクルマによって自分の気持ちが変わっていく、というような。
「そうそう。ロードスターのあとにBMWの2シーターオープン、Z3に買い換えたんですけど、ボーカリストとしてさらにステップアップしたい、という気持ちがあったと思う。やはりMTだったけど、楽しいクルマだったな。ディーラー行って“これください”って感じで買っちゃった。僕、モノを買うときあれこれ考えないんです。直感なんです」

―― 90年代にはBMW Z3、メルセデス・ベンツSLKなど、世界のメーカーからオープン2シーターが登場し、ちょっとしたブームの様相を呈していました。ロードスターのあとにZ3(しかもマニュアルシフト!)を選ぶあたり、浜崎さん、クルマ好きなんだなぁ……と思います。
「で、Z3のあと、同じビーエムの3シリーズワゴン(ツーリング)に買い換えたんです。理由は、そのころバンドが解散してソロになって、自分でギターやアンプを運ばなきゃならなくなったから。Z3の助手席にギターのハードケースとアンプを無理やり押し込んだら、フロントガラスに当たってヒビがはいっちゃったんですよ。そのときに“あ、オレはもうオープン2シーターに乗る人生じゃなくなったんだ。クルマ変えよう”って。これからは楽器を弾いて歌う人になるんだ、だからギターを運べるクルマにしよう、と。やっぱり人生のそのときどきの気持ちとクルマ選びって連動してるんですよ。僕のなかでは。でも今日はひさびさにオープン2シーターに乗ってみて(撮影用に用意したBMW Z4)、胸がザワザワしました。欲望が湧いてくるというのかな、ヤラシイ気持ちになりました(笑)」

クルマは“CD倉庫”になってます
―― クルマの中で音楽は聴きますか?
「僕はいまでも配信音源よりCDを買うことが多いんです。で、いま乗ってるクルマにはCDプレ―ヤーが付いてるので、買ったCDを車内で聴くことが多いですね。クルマがまるで“CD倉庫”みたいになってる(笑)。一人で没入して聴きたい派なんで、クルマというリスニングルームは最高。たとえばPRINCEの『Let’ go crazy』5枚組ボックスセットなんて、家で聴くのは大変だけど、クルマの長距離移動だったらたっぷり聴けちゃう」
―― 車内で曲が思い浮かんだり、インスパイアされることもあるんですか?
「クルマではラジオも聴くので、流れてきた曲からアイデアが浮かぶこともあるし、音楽を聴きながら運転してると、ふとスピードを上げたくなっちゃう瞬間とかあるでしょ?そういう感覚が曲をつくるエネルギーになったりします。走っていて気分がいいのは“目黒通り”かな(笑)。都内から横浜に行くときに目黒通り〜第3京浜をよく使うんだけど、いつも流れてるし、なんだか気持ちいいんですよ。あとは地元の栃木に帰るときの、東北道の佐野を超えて宇都宮に向かうあたりの山あいとか、渡良瀬川をわたるあたりの田園風景も好きかなあ」
―― 栃木のラジオ局(レディオベリー FM栃木)で長年レギュラー番組をされていたり、同郷の斉藤和義さんと宇都宮の商店街をモチーフにした曲を作られたり、地元に根ざした活動もされてますよね。ところで、最近気に入ってるドライブミュージックはありますか?
「正直に言っていいですか? いま気に入って聴いてるのはフライングキッズのニューアルバムです(笑)。クルマの中で、プリンス師匠と続けて自分たちのアルバムを聴いたときも、素直に「いいじゃん」と。オレたちもオレたちなりの“ファンク道”をつくれたじゃん、と思えた」

30年目にしてできた“新記録”なアルバム
―― 8月に発売されたばかりの『そしてボクら、ファンキーになった』ですね。フライングキッズとしては2年半ぶりの新譜ですね。
「フライングキッズは2007年に再結成、その後9人体制になってからは2枚目のアルバムなんだけど、じつは今がバンドの最強時代だと思ってるんです。9人で出すライブの音もすごくイイんで、これを新アルバムに集約できたら素晴らしいだろうなと思ったんだけど、実際そうなった気がする。バンドがもともと持っていたものと、新たな良さを上手くミックスできた。バンドを30年以上続けてきて、あらためて新記録が出せたというか、“令和のフライングキッズ”ができたかな、と」
―― 浜崎さん自身は近年、ソロで弾き語りツアーをされたり、カーリングシトーンズ(奥田民生、トータス松本、寺岡呼人、YO-KING、斉藤和義、浜崎貴司によるバンド)を結成したり、幅広い活動をしていますよね。
「カーリングシトーンズはまずLINEグループがあって、そこで何年もつまらない話をしてきたんだけど、いよいよバンド活動するか!という感じで。でも曲作りにしてもライブパフォーマンスにしてもみんなすごいんで、自分が試されちゃうというか、めちゃくちゃプレッシャー大きいんですよ。もう、やりたくなくなるぐらい(笑)。そのおかげで“バンド”というものを見つめ直すことができたし、いろんな意味で刺激になりましたね。そうやっていろんな音楽活動をしたことがフィードバックできているということもある。僕にとって最後の柱になるものはやっぱりフライングキッズだから、そういう時期が来たという感じですね。

浜崎貴司 Takashi Hamazaki
1965年生まれ。栃木県出身。1989年FLYING KIDSでデビュー。数々のヒット曲を生み、日本を代表するジャパニーズ・ファンク・バンドとなるも、98年に解散。その後ソロアーティストとし活動を開始。2007年FLYING KIDS再結成後はバンド、ソロの両方で活動する。

FLYING KIDSニューアルバム『そしてボクら、ファンキーになった』
メジャーデビュー30年目にあたる2020年8月5日、2年半ぶりとなるフルアルバム『そしてボクら、ファンキーになった』をリリース。2007年の再結成後、現メンバーになってからの最新にして最高傑作と語る作品。