高速道路で、今日も素敵なロードショーを。

2018.08.16

最初は、トラックのテールランプだと思った。

それにしては妙に低いなと思いながら走っていると、その小さな赤いランプは突然、まるでトンボが空中を瞬間移動するかのように、スッと左の車線から右車線へとワープした。それは、トラックのすぐ後ろに張りついていたスーパーセブンだった。真夜中の東名高速、下り線……

窓を下ろすと、前方から凄まじい風音とセブンの咆哮が飛び込んできた。長距離トラックの隊列のわずかなすき間を縫うように、彼(彼女だったかもしれない)は風に巻かれながら深夜のハイウェイを、一人…… いや、セブンと二人で、ただ走るためだけに走っているように見えた。孤独でストイックな、アスリートみたいに。

やがて彼は隊列の一番前に躍り出ると、まさに解き放たれた矢のように名古屋方面へと続くジャンクションを駆け上がっていった。小さな赤いランプはカーブの手前で一瞬だけ強く灯り、そして見えなくなった。窓を上げると風は止み、静けさだけが残った……。

それは突然の、わずか5分間のロードショーだった。

高速道路はアクセルを踏んでいるだけだから退屈だ、と言う運転好きな友人がいるが、そうは思わない。高速道路の上では、素敵なショートムービーが今日もどこかで上演されている。ほら、はるか先で、銀色のスポーツカーが陽射しにキラリと輝いた。さぁ、あのクルマを追って、アクセルを踏み込もう。新しいショーの開演だ。

「drive」には、「運転する」のほかに「追う」とか「駆り立てる」といった意味もある。そもそもその言葉の意味合いは、「進むことを促す」ということらしい。たとえば、新幹線で東京から大阪に向かう時、シートの背もたれを倒してくつろぐ人々は、なにかを追っているわけではない。駆り立てられているのでもない。むしろ日常を置き去りにして、そこから逃れようとしているのかもしれない。

だけど、ドライブしながら高速道路を走っている時はきっとそうではなく、その先に在る目的に向かって、自らクルマを駆り立てているのだ。何かを置いていくのが新幹線なら、何かを追っていくのが高速道路か。だから、走り続けることができる。追い続けることができる。まだ見ぬ先に向かって。それを手に入れるために。

東京から高速道路を西へ、ひたすら走り続ける。約600キロのロードショーは、風景も天候も、そして主役であるクルマも途中でめまぐるしく入れ替わり、同じシーンと出くわすことはない。だから、飽きない。プロローグの首都高速、エピローグの阪神高速の渋滞には、少々うんざりするけれど。

ただし、そのドライブは目の前の“その道”を進むしかない。だからこそ高速道路を走るたびに思うのは、遠くを過ぎ去っていく名も知らぬ町の“あの道”のことだ。

左右に広がる田園風景のなかを真っ直ぐにのびる一本道、並行して走る海岸線沿いの国道、はるかな山なみをジグザグに縫うワインディングロード……。気持ちがいいだろうな、と眺めながら通り過ぎるしかない、あの道……

流れ去る風景のなかの道を走ることは、きっとないだろう。高速道路と違って、そこを走る理由がないからだ。もしもあの道を走ることがあるとしたら、その時の自分は何を追いかけているわけでもない、さすらいの旅の途中ということか。

あの道を走ってみたい、と高速道路を走るたびに思う。そして、きっとその道を走れば、あの高速道路をドライブして、もっと遠くへ行きたいと思うにちがいない。

ドライブとは、はてしなく、あてのない何かを追いかける旅なのだろう。

この記事を書いたライター

夢野忠則

自他ともに認めるクルマ馬鹿であり、「座右の銘は、夢のタダ乗り」と語る謎のエッセイスト兼自動車ロマン文筆家。愛車は一万円で買った90年式のVWゴルフ2と、数台のヴィンテージバイク(自転車)



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