2018 宝田ケンシロー×宝田芳浩 親子対談 (1)

ヨコハマタイヤ・モータースポーツサイトでは2002年の開設以来、何組かの“親子”にスポットを当てる特集企画を展開してきた。レース界から土屋武士選手と春雄さん(アーカイブ公開無し)、ラリー界からは新井大輝選手と敏弘選手(>> 新井親子対談ページ)であるが、今回はダートトライアル界から宝田ケンシロー選手と芳浩さんの親子対談をお届けしよう。


GTかD1のドライバーになりたかった

2016年と’17年に全日本ダートトライアル選手権のPN1クラスで、2年連続チャンピオンに輝いた宝田ケンシロー選手は1987年生まれの30歳。2009年にダイハツ・ストーリアを駆って、地元・北海道で開催された大会で全日本デビューを果たした。

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そんなケンシロー選手の父、芳浩さんはヨコハマタイヤを装着する三菱・ギャランVR-4やランサーエボリューションを駆って戦ってきた、ダートトライアル史にその名を残す名選手だ。1993年のA4クラスと2003年のN4クラスでチャンピオンを獲得。また、RALLY JAPANにも参戦するなど、幅広い活躍を見せてきた。

親子対談を始めるにあたってまず最初にお聞きしたいことは、ケンシロー選手がモータースポーツを始めた経緯ではないだろうか。偉大な父、その姿を見て憧れを抱いたということなのかを、ケンシロー選手にお聞きしてみよう。

「クルマは、子供のころから好きでした。モータースポーツを自分でやりたいと思ったのは中学生のころで、最初はSUPER GTのドライバーになりたかったんです。でも、それは簡単なことじゃないとすぐに思い知って。高校生になったころにはドリフト、特にD1グランプリが盛り上がっていて、今度はD1ドライバーになりたいと思いました(笑)」

意外にも、ダートトライアルという言葉は全く出てこない。では、芳浩さんの走りや戦いぶりを、ケンシロー選手は間近にしていないのだろうか?

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「こいつが中学生の時かな、地元(オートスポーツランドスナガワ)で開催された全日本戦を観に来たのが初めてだったかな」

芳浩さんがこのように振り返ると、ケンシロー選手も当時のことをしっかり記憶しており、次のように語った。

「初めて父の走りを観に行ったのに、マシントラブルでまともに走れなかったんです。それから何年か足を運びましたが、勝ったところを観た記憶が無いような?(笑)」

芳浩さんにとっては苦笑いの想い出話となったが、ダートトライアル会場に足を運ぶようになったケンシロー選手は高校生になってから運命の出会いをすることになる。



高校時代に覚醒した“ダートトライアルDNA”

「高校生になって、初めてスナガワ以外のダートトライアル場に行くことになったんです。栃木県の丸和オートランド那須だったのですが、ここで福岡の田崎克典選手が駆るスズキ・スイフトの改造車(スイフトスポーツSuper1600)の走りを間近に観て格好よさに驚きました」

さらにケンシロー選手は、高校時代に衝撃を受けたというもうひとつの“走り”を教えてくれた。

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「2003年、父が2回目のシリーズチャンピオンを獲得しましたが、この年のスナガワは雨でした。コンディションがどんどん悪化して誰もが第2ヒートでタイムダウンする中、父だけはタイムを上げてきたんです。それを観て、素直に『スゲーな!!』って思いましたね」

こうした経験が、ケンシロー選手の持つ“ダートトライアルDNA”を目覚めさせることとなった。高校に入って最初はドリフトに関心を寄せていたが、2年生の半ばくらいからはダートトライアルをやりたい、という思いが芽生えてきたという。そのことを父に話したケンシロー選手だったが、返ってきた答えとは……。

「高校を卒業するという頃に『ダートトライアルをやりたい』って言われたけれど、やらせなかったんだよね」

自分と同じ道を選択した息子に対して、なぜ父・芳浩さんはこう答えたのだろうか……。



次のページでは、ケンシロー選手の全日本本格参戦への道のりをお聞きします。