Super Taikyu Series 2015 (4)

この特集企画ではこれまでに、ジムカーナから活動の軸をレースに移した柴田優作選手、そしてラリーを活動の軸としつつもレース参戦も重ねている新井敏弘選手をご紹介してきた。レース以外のモータースポーツで活躍するドライバーたちであるが、そうしたキャリアの持ち主として大先輩にあたるのが小林且雄選手。若いファンにはスーパー耐久のみならずGTのステアリングも握ったレーシングドライバーととらえられているだろうが、そのキャリアはラリー、そしてダートトライアルでのチャンピオンという足跡を辿っているのだ。


まさかのクラッシュからダートトライアルへ

小林且雄選手のプロフィールを語った時、世代や興味のあるカテゴリーによってその捉え方は違ったものになるかもしれない。レースファンにとっては、1990年代の中盤以降でスカイラインやインプレッサのGTマシンであったり、ランサーやBMWのスーパー耐久マシンを駆る姿が真っ先に思い浮かぶところであろう。しかし、もう少し時計の針を戻してみると、小林選手がモータースポーツの第一歩を踏み出したのはラリーであり、その後ダートトライアルに転向して全日本2連覇を飾るなど輝かしい成績を残している。まずは小林選手に、自身のモータースポーツキャリアを振り返ってもらおう。

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「私は長野県の小諸出身なのですが、うちの裏山でラリーがたくさん開催されていたんです。運転免許を取ってすぐに見に行ったら、サーキットレースよりも間近で見られて、次々に車がドリフトしながら山を駆け上がっていく姿を見て、これは自分でもやってみたいと思ったのがモータースポーツを始めたきっかけでした」

モータースポーツの魅力にとりつかれた“小林青年”は、身近だったラリーでデビュー。その活動を本格化させようとステップを踏み出したが、ここで思わぬ事態が生じて転機を迎えることとなる。

「ラリーを真剣にやろうと思って、借金して車を作りました。そして新車のデビュー戦、チェックカードをもらった最初のステージで道から落ちて全損(笑)。借金だけが残ってしまったのですが、全損した車(日産・バイオレット)にシルビアのFJ20エンジンとトランスミッションを載せて、ダートトライアルのD車両に仕立て直したんです。これで長野県シリーズに参戦してチャンピオンになり、東日本シリーズにステップアップしたら、モンスター田嶋さん(田嶋伸博選手)がハイパワーな4輪駆動車で走っていて、これはとても一緒に戦って勝てる相手ではありませんでした」

PROFILE

小林且雄 選手 =Katsuo Kobayashi=

1961年、長野県出身。

ラリーでモータースポーツにデビュー、しかし新車のクラッシュを契機にダートトライアルに転向。関東シリーズを経て全日本選手権へステップアップ、1989年にはシリーズ全勝でのチャンピオン獲得という快挙をなし遂げる。また、同年2月にはDCCSウインターラリーで全日本ラリー選手権にもスポット参戦。1990年も、前年に引き続きC2クラスでチャンピオンを獲得した。同時にレース活動も始め、富士フレッシュマンレースでシルビアのチャンピオンに輝き、1994年からは活動の軸をレースに移す。

その後、全日本GT選手権~SUPER GTやスーパー耐久シリーズなどに参戦を重ね、今ではベテランレーシングドライバーとして広く認知されるに至った。2015年はスーパー耐久シリーズのST2クラスに、老舗チーム・RSオガワでランサーを駆って参戦、開幕戦では優勝を飾った。


いくつかの転機を経てレースフィールドへ

ダートトライアルに活動の場を移した小林選手、ふたつめの転機は最初からダートトライアル用としてマシンを作っての再挑戦であった。車種はEP型のトヨタ・スターレット、ナンバー付きのマシンで参戦クラスも変えて関東シリーズを戦い、そこから全日本選手権へとステップアップして改造車のC2クラスに移行、2年連続のシリーズチャンピオンに輝く。そして問題は、次なるステップについてであった。

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「C2クラスから上に行こうと思ったら、あとは田嶋さんや大井義浩さんが活躍しているDクラスしかありません。そこで勝つためには、資金面を含めてよほどの条件が整わないと難しいので悩んでいたのです。そうしたら地元のショップが富士スピードウェイでシルビアのレースが始まるから乗らないか、と誘ってくれて。一瞬戸惑いましたが、いい話だから乗せてもらおうとなったのが30歳のちょっと手前というタイミングで、ここからレースの世界に入りました」

小林選手も当時を振り返って“戸惑った”と語るレースへの転向。実際に参戦してみて、その戸惑いは簡単に払拭されたのだろうか。

「なにしろコースが広かった。なんて広いところを走っているのだろうか、と(笑)。でも、他の車と一緒に走るのは新鮮でしたが、これだけ広ければ何台いてもぶつかることは無いな、と頭を切り替えました。レースは僕もそうですが誰もが憧れていた舞台。そこに立つにはお金の面も含めて色々大変ですが、僕自身が立てたことはとても嬉しかったですね。そして実際にやってみて、雨の中で圧勝したこともありますが、マシンコントロールや予選での一発における集中力などはダートトライアルで培ってきたものが通用しました。何百戦とやってきたので、精神的なベースは出来上がっていましたから」


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スーパー耐久ならではの“良い雰囲気”

最初にご紹介したように、レーシングドライバー・小林且雄選手のキャリアもまた、GTからスーパー耐久と幅広い。スーパー耐久で言えば黎明期から参戦するドライバーの一人であり、ランサーやシビック、BMW M3、フェアレディZなど幅広い車種を乗りこなす信頼の置けるベテランという位置づけが確立しているところだ。そんな中で2015年はRSオガワのランサーを駆るが、これは2004年以来となるチーム復帰である。

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「RSオガワさんとは、スーパー耐久が前身のN1耐久ラウンドシリーズとして発足した当時からのお付き合いです。代表の小川日出生さんも元々はラリーのご出身ですし、お互いにヨコハマタイヤで戦ってきた間柄でもあります。久しぶりのチーム&ランサーへの復帰ですが、車そのものはランサーというキャラクターに変わりは無いですね。ただ、ACD(アクティブ・センター・デファレンシャル)やAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)といった電子制御デバイスはまだちょっと分かっていない部分もあるので、これをもっと活かせればさらに速くなると思っています」

開幕戦では見事に優勝を飾り、チームのチャンピオン奪還に向けても幸先の良いスタートを切った小林選手。いま改めてスーパー耐久というレースの魅力、そして参戦のススメを最後に語ってもらおう。

「GT経験者としては、スーパー耐久は良い意味で気楽に出来るレース。GTはピリピリした空気に支配されていますが、スーパー耐久はもう少しレースを楽しもうという雰囲気があって良いですね。レースをやりたいと思っている人は多いと思いますが、だったら早く行動に移すことをお勧めします。僕は55歳になりますが、気持ちは若いけれど身体はどうしても退化してしまう。だから若いうちに感覚を養った方がいいんですよ。お金の問題が最大のネックになるでしょうが、無駄遣いをしないで頑張ってほしいですね。ただ、大借金をしても1年きりで終わってしまう可能性があるので、まずはスーパー耐久のスポット参戦で乗せてもらえるチームに相談したり、参戦費用が比較的抑えられるワンメイクあたりを始めてみて、経験を積んだらスーパー耐久にステップアップするなどして、レースの面白さを味わってほしいですね」



今回ご紹介した小林且雄選手もそうだが、新井敏弘選手、柴田優作選手も、スーパー耐久シリーズには独特の楽しさがあると語った。適度にリラックスしてレースを楽しめる環境こそ、参加型レースという基本理念を前身のN1耐久時代から四半世紀にわたって貫いているスーパー耐久の醍醐味であると言えるだろう。もちろん戦いそのものはシビアで、過酷な耐久レースならではのドラマも観る者を魅了するスーパー耐久シリーズ。ヨコハマタイヤがワンメイクサプライヤーとして足元を支えるこのシリーズ、ぜひ一度サーキットへ足を運んでその雰囲気や戦いぶりを間近に感じ取っていただきたい。