3月29日に栃木県のツインリンクもてぎで、2015年のシーズンが開幕したスーパー耐久シリーズ。今年も全国を転戦、6つのサーキットを舞台に長丁場の決勝レースで競われるシリーズは、ヨコハマタイヤのワンメイクとなっている。長い歴史を誇るスーパー耐久シリーズ、その魅力と特徴をご紹介するとともに、バラエティ豊かな参加選手を代表する3人にお話しをお聞きした。
スーパー耐久シリーズは、1990年に発足したN1耐久ラウンドシリーズが前身だ。市販車をベースに改造範囲を厳しく制限されたN1規定は、いまも各サーキットでクラブマンレーサーたちが競い合うシリーズが展開され、ツーリングカーのボトムレンジを担っているが、このN1車両がスーパー耐久の源流である。
1990年4月8日に仙台ハイランドレースウェイで開催された初戦には39台がエントリー。4,063mのコースを77周で競われ、都平健二選手/木下隆之選手組のR32・日産スカイラインGT-Rが総合優勝を飾った。そしてこの初戦、総合2位は同一周回でホンダシビック、3位も同一周回で三菱ギャランVR-4という結果が残っているが、GT-Rとシビックが優勝争いを演じているところに、今日にも続く耐久レースならではのドラマ性を垣間見れる。
1990年は東北を中心に全4戦のプレ・シーズン。翌’91年には山口県のCP-MINEサーキットと鈴鹿サーキットが加わった全6戦となり、シリーズ最長の一戦として前年に続き筑波ナイター耐久が9時間で競われた。その後シリーズは参加台数を増やし、1993年には同年春にオープンした十勝スピードウェイを加えて全8戦のカレンダーに。筑波のナイター耐久は前年から12時間となっていたが’93年が最後となり、’94年からは十勝で国内唯一となる24時間レースが開催されるようになり、耐久シリーズを象徴する一戦として注目を集めていく。
スーパー耐久シリーズは、前身のN1耐久ラウンドシリーズ時代から参加車種のラインナップが豊富であるという特徴がある。エンジン排気量や駆動方式などによって複数のクラスが設定されており、現在のスーパー耐久はFIA GT3車両によるST-Xクラスを頂点として、ST-1~ST-5を加えた6つのクラスが設定されている。
コース上で競い合う顔ぶれは、現在でいえば純粋に市販車ベースのレーシングカーとして生み出されたGT3車両から、ラリーやスピード行事でも活躍する4WDターボ車、街中でもお馴染みのコンパクトハッチバック車までバラエティにあふれる。
1995年、シリーズにひとつの転機が訪れる。この年から車両の耐久性向上、ひいては参戦コストの低減を目的として改造範囲が拡大された。これによりN1規定を超える車両となったため、シリーズ名称を「スーパーN1耐久シリーズ」と改めた。そして1998年にはふたつめの転機となる市販エアロパーツ装着の解禁が行われ、この年からシリーズ名称は現在に通じる「スーパー耐久シリーズ」とされた。このエアロパーツ解禁を契機にアフターマーケットパーツ業界との連携が図られ、シリーズはますます賑わいを見せていく。
N1耐久ラウンドシリーズの黎明期には溝付きタイヤで競われていたが、歴史の大半は溝の無い競技専用のスリックタイヤで戦われ今日に至っている。その中でヨコハマタイヤを選ぶチームは多く、かつてはRed in BlackのADVANカラーをまとうマシンが挑み、チャンピオンの栄冠を掴んでいる。
タイヤコンペティションの時代にはタイヤメーカーのフルカラーをまとうマシン同士の接戦が見どころのひとつだったが、2010年にワンメイクタイヤ制度が導入される。そしてこの年から現在まで一貫してヨコハマタイヤがワンメイクタイヤサプライヤーをつとめており、いち早く環境性能を向上させた“エコ・レーシングタイヤ”を供給するなど、シリーズの発展を文字通り足元からしっかり支え続けている。
1台のマシンを2~4人のドライバーでリレーするスーパー耐久シリーズ。ただし、公式予選についてはA/Bドライバー登録された2人がマークしたタイムを、決勝スターティンググリッドに反映される。
かつてはどちらか速い方のタイムが採用されていたが、2007年からはA/Bドライバーのベストタイムを合算して予選順位を決し、スターティンググリッドに反映させる方式が採用されている。この合算方式はスーパー耐久独特のシステムであり、2人のドライバーが渾身のフルアタックを見せることで予選の見応えを大いに高めた。
2015年のスーパー耐久シリーズは、プロフェッショナルからクラブマンまで幅広い層のドライバーが参戦している。次回からはそんな中で、他カテゴリーでも輝かしい戦績を誇りスーパー耐久マシンのステアリングも握る顔ぶれをご紹介します。
【第2回(4月10日掲載予定)につづく】
UPDATE : 03.Apr.2015