全11クラス中、6つのクラスでヨコハマタイヤ勢がシリーズチャンピオンを獲得した、2014年の全日本ジムカーナ選手権。
チャンピオンドライバー紹介の第2弾は、N2、SA1、SA2の各クラスで栄冠を手中におさめた選手たちの戦いぶりと声をご紹介していこう。
地区戦を経て2004年のJAFカップにチャレンジ、そして翌’05年のイオックスアローザで全日本戦へのステップアップを果たした小林辰朗選手。’06年も関越スポーツランドでの開幕戦に参戦したが、ここまではトヨタ・MR2を駆っていた。’07年からマシンをマツダ・RX-7にスイッチ、同年のJAFカップでN3クラス優勝を飾って頭角を現す。’08年は全日本4戦とJAFカップに出場、全日本は浅間台で1勝を挙げ、JAFカップは2年連続で優勝を飾った。’09年からはレギュラードライバーの一人としてシリーズを追うが、随所で光る走りを見せてきたものの残念ながらタイトルにはあと一歩届かなかった。
そんな小林選手だからこそ、2014年シーズンに賭ける思いは並々ならぬものがあったと想像できる。新生N2クラスとなった今シーズン、熟成の域に達しているRX-7を駆って開幕の岡山国際は準優勝という良好な滑り出しでスタート。第2戦の仙台では1本目のベストタイムで逃げきってシーズン初優勝を飾った。そして第3戦の名阪も3位表彰台を獲得すると、第4戦のスナガワで2勝目をマークする。
ランキングリーダーとしてシーズンを折り返した小林選手は、後半緒戦となるフルパイロンのイオックスアローザも制して波に乗る。しかし続く第6戦・もてぎは接近する台風の影響を受けて無念の逆転を喫して2番手という成績となるもランキングトップを堅守。そして第7戦の恋の浦、ランキング2位の選手が欠場したため有効ポイントの関係により悲願の初全日本タイトルを獲得。もちろんこの第7戦も優勝を飾り、一年を締めくくる最終戦もしっかり勝って、シーズン5勝という強さを見せた。
開幕戦で勝てなかったのは、そんなに気にしてはいなかったんです。気持ちを切り替えて臨んだ第2戦では、しっかり勝つことができました。でも、次の名阪はキツかった。1本目、自分の出走前にクラッシュがあって、スタート待ちの間にエンジンに熱が入り、タイヤも空気圧が下がってしまい、まるっきりダメになってしまいました。2本目勝負だからいいやと思ったのですが、2本目もスタートしたら前走車がクラッシュして再出走に。さらに水温を合わせて再出走に臨んだら、計測システムの関係でスタートが遅れてしまいました。アンラッキーな負けでしたが、それでも3位になってポイントを確実に重ねられたのは大きかったですね。
ヨコハマタイヤ勢を、という以上に全日本ジムカーナ選手権を代表するFF(前輪駆動)遣いとしてその名を知られるのが、SA1クラスにホンダ・シビックで参戦する斉藤邦夫選手だ。2014年、自身8回目となる全日本選手権のチャンピオンを獲得、2011年から4連覇を達成する強さを見せたベテランである。
開幕戦・岡山国際を準優勝でシーズンのスタートを切った2014年だが、続く第2戦の仙台は2本目で攻めの走りから惜しくもパイロンタッチを喫して上位進出はならず。しかし第3戦の名阪では、1本目で刻んだベストタイムを2本目で誰にもかわされることなく逃げきり、待望のシーズン初優勝を飾る。そしてカレンダーは第4戦のスナガワまで1ヶ月のインターバルに入るが、ここで斉藤選手はシビックのエンジンのオーバーホールを行う。7シーズン目となるエンジンはオイル消費が増える傾向もあったため、このリフレッシュは大きな効果が期待された。
エンジンオーバーホールの効果は第4戦のスナガワで早速現れ、クラス唯一の1分33秒台を叩き出してシーズン2勝目。第5戦のイオックスは僅差の2位となったが、これでチャンピオンに王手をかける。第6戦のもてぎは台風に翻弄されたが、初開催コースである第7戦の恋の浦で優勝を飾り、この勝利で4年連続8回目のチャンピオンを獲得した。
開幕戦の岡山国際は、車の状態もドライバー的にもすごく合っているコースでした。勝てると思って臨んだのですが、本番が思いの外に寒く、設定も最初にストップアンドゴーを2~3回やるコースだったので、そこでのロスが響いて厳しい展開になりました。出足をくじかれてしまいましたが、2位には入れたのでそれほどガッカリしないで済みました。続く仙台はちょっと“ポカ”をしてしまいましたが、内容的には走りが悪くて遅かったのではなく、攻めた結果のパイロンタッチだったので、これも良しという感じでしたね。その後、第4戦の前にエンジンをオーバーホールしたのですが、7シーズン目で頑張っていたエンジンですが、やはり機械なので使ったら減るのは仕方ないんだな、と(笑)。それまではサイドターンをやりにくいくらいにトルクが細くなっていたのですが、それを楽に出来るように改善されてドライビングに余裕が出来ました。
2007年に当時のN3クラスで、それまでのマツダ・RX-7からロータス・エキシージへとマシンをスイッチした柴田優作選手。2009年、第3戦のSUGOではヨコハマタイヤ勢が全クラス優勝の偉業をなし遂げたが、その一角も占めた柴田選手はシーズン9戦中5勝を挙げて自身初の全日本チャンピオンを獲得した。翌’10年を9戦5勝、’11年は東日本大震災の影響で8戦のうち開幕戦が中止されたが、残る7大会で3勝を挙げて、N3クラス3連覇を達成した。そして’12年には、マシンは同じロータス・エキシージながら改造範囲が広くN3クラス以上の激戦区と言われていたSA2クラスに戦いの場を移す。注目を集める中、同年は9戦中実に8勝、そして’13年は8戦全勝という圧倒的な強さを見せてチャンピオンに輝いてきた。
2014年もSA2クラスにエキシージで参戦した柴田選手。しかしモータースポーツ活動の幅を広げている柴田選手は、他のカテゴリーとの関係から開幕戦を欠場した。第2戦の仙台からシーズンインとなったわけだが、1本目から2番手を約1.7秒引き離す圧倒的な速さで優勝。第3戦の名阪、第4戦のスナガワも、2番手のライバルに1秒近い大差をつける圧勝でカレンダーを折り返した。
後半戦はフルパイロンコースのイオックスアローザからスタート。しかしこの頃、柴田選手のマシンはバランスに若干の狂いが生じてしまい、その影響もあって2位に留まってしまう。柴田選手は’12年の第5戦以来となる黒星で、惜しくも連勝記録は15でストップしてしまった。続く第6戦のもてぎも苦しい展開にはなったが優勝、そしてマシンのアジャストを施した第7戦・恋の浦で1本目から後続を1秒以上引き離す柴田選手らしい展開で優勝、N3クラス時代を通じて6年連続となるシリーズチャンピオンの獲得に成功した。
ジムカーナは少しでも気を抜くと全く勝てなくなる競技です。とにかく勝ち続けることが大切で、一戦一戦というか1トライずつを自分の100%で走りきろう、ということを常に考えながら戦ってきた一年でした。そんな中で開幕戦を欠場したのですが、ポイント的には有効制度がありますが、かたちとしてはライバルに一歩先行されることになります。ポイントは優勝と2位では5点の差がありますが、欠場した自分は0点で、優勝したライバルは20点。この差を取り返すためには、自分が勝ち続けたとしても4戦かかりますから、シーズン中には有効ポイントで自分が勝っていたとしても若干の焦りみたいなものが正直ありました。また、1戦休んだだけで、世の中の波に相当取り残された感じもありましたね。パワーバランスもわからないし、選手や車両の入れ替わりもあって、2014年の構図が見えない中でのシーズンインになったわけですから、開幕戦の大切さも改めて感じました。
UPDATE : 26.Dec.2014