2014 FIA WTCC Race of JAPAN (2)

10月26日(日)に、鈴鹿サーキットのフルコースを舞台に決勝が行われるWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)の日本ラウンド。2014年、新たにTC1車両規定が導入されたWTCCは、従来の超接近戦が見せる迫力に、スピードという要素も磨きがかけられ、さらにエキサイティングなレースが展開されている。
このページでは、そんなWTCCを戦うマシンたちと、注目の主なドライバーたちの横顔を紹介していこう。


シトロエン・C-エリーゼWTCC – 参戦初年度から見せる圧倒的な速さ

[Photo]

2014年から新たにWTCCへと参戦してきたシトロエン。WRC(FIA世界ラリー選手権)などで強さを見せてきたフレンチ・ロケットは、主に新興国市場でセールスされている4ドアセダンのC-エリーゼをベースとして仕立てられている。

開幕前には未知数と言われたその実力は、いざ蓋を開けてみると充実した参戦体制も背景に他を圧倒するパフォーマンスを披露。開幕戦のモロッコで表彰台を独占すると、これまでの10大会/19戦(スロバキアの第8戦は雨天中止)において15勝を挙げる強さで、中国・上海ラウンドでマニュファクチャラータイトルを獲得した。

“シトロエン帝国”を早々に築き上げたかたちとなり、シトロエンの圧勝ぶりに食傷気味のファンがいるであろうことも否めない。しかし、見方を変えればチームメイト同士のバトルは興味深いところであり、特に個性豊かなレギュラーでシーズンを戦う3選手の鈴鹿での戦いぶりは注目を集めるところだ。


DRIVER PROFILE

ホセ・マリア・ロペス 選手 [Citroen Total WTCC]

[Photo]

1983年4月、アルゼンチンのリオテルセロ生まれ。
2001年のフォーミュラ・ルノー2000・ユーロカップを皮切りにレースキャリアをスタート、フォーミュラ畑を歩んで2005年にはGP2シリーズで一勝を挙げる。翌年にはF1ルノーチームのテストドライバーもつとめた。

2007年からはツーリングカーに活動の舞台を転じ、母国アルゼンチンの選手権で2008年と2009年の2年連続チャンピオンを獲得。2012年に3回目のタイトルを手中に収めると、2013年に初めて開催されたWTCC・アルゼンチン戦にBMW 320TCを駆って初出場、第2レースで優勝を飾ってサーキットを歓喜の渦に包んだことは記憶に新しい。

2014年はシトロエンのシートを射止め、目下シリーズランキング争いのトップに君臨してチャンピオンの筆頭候補となっている。

イヴァン・ミューラー 選手 [Citroen Total WTCC]

[Photo]

1969年8月、フランスのアルトキルシュ生まれ。
レーシングカートからイギリスF2選手権にステップアップして王座を獲得すると、1994年からはツーリングカーを主戦場にキャリアを重ねてきた。

BTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)を8シーズン戦い、2006年に発足2年目のWTCCにセアトのワークスドライバーとして参戦。2年目の2008年、BMWの連覇にストップをかけ、セアトが世界チャンピオンに輝き自身もドライバーズタイトルを手中におさめた。その後、2010年にはシボレーに移籍、同年と2011年の2年連続でタイトルを獲得して優勝&王座請負人としての活躍を見せる。

シボレーがメーカーとしての活動を休止した2013年にもクルーズを駆って4回目のタイトルを獲得。そして2014年はシトロエンに移籍。母国メーカーのマシン開発から携わり、現在はランキング2位につけている。

セバスチャン・ローブ 選手 [Citroen Total WTCC]

[Photo]

1974年2月、フランスのアグノー生まれ。
WRC(FIA世界ラリー選手権)において、前人未到の9連覇という偉大な記録をシトロエンとともに築き上げた、誰もが認める世界のトップラリードライバー。ラリーデビューは1997年、翌年にシトロエンのサクソ・トロフィーに参戦し、1999年のチャンピオン獲得がひとつの契機となってシトロエンと歩むキャリアが本格的にスタートした。

2002年からWRCに本格参戦、2004年から2012年までの9年連続でチャンピオンを獲得し、その勝率も50%以上という圧倒的な強さを見せた。そして2012年のシーズンオフに一線を退くことを発表、2013年のWRC参戦は4大会に絞る一方で、FIA GTシリーズにフル参戦して最高で2位を獲得した。また、同年のパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムにも出場、こちらは総合優勝を飾っている。

そして2014年は、WTCCに参戦を開始したシトロエンのレギュラードライバーとしてC-エリーゼWTCCのステアリングを握る。ラリーファンからも注目を集める中、開幕戦のモロッコ・第2レースでWTCC初優勝。これまで開幕戦を含む2勝、優勝を含めて7回の表彰台を獲得している。



シボレーRML・クルーズ TC1 – レイマロックの経験と技術で磨かれる速さ!!

[Photo]

2005年のWTCC発足から一貫して参戦を続けているのが、シボレーのマシン。最初のマシンはラセッティ(日本名・オプトラ)で、二年目の第6戦で初優勝を飾った。その後、2009年にはクルーズにスイッチ。世界戦略車としてWTCCでの活躍もプロモーション展開を図ったが、第3大会のモロッコで2レースともに制して実力の片鱗を見せた。その勢いは翌年に加速、年間7勝を挙げて悲願のチャンピオンを獲得。ここからシボレーの黄金期がはじまり、2013年まで4年連続でタイトルを手中におさめてきた。

一方で、メーカーとしてのシボレーは2012年を最後にWTCCから撤退。その後はRML(レイ・マロック・リミテッド)が名実共に主役となって2013年にもチャンピオンを獲得。そして2014年はTC1規定車両を新たに開発し、ROAL Motorsport、Campos Racing、ALL-INKL.COM Munnich Motorsportの3チームが6台を走らせている。

TC1車両は初期の開発がやや遅れた部分もあったが、第6戦のハンガリーでジャンニ・モルビデリ選手が初優勝。その後はシトロエンの連勝を許してしまったが、アップデートにより戦闘力を高めた第17戦の北京でトム・チルトン選手が勝利して今季2勝目を飾っている。


DRIVER PROFILE

トム・コロネル 選手 [ROAL Motorsport]

[Photo]

1972年2月、オランダのナールデン生まれ。
1990年にレースデビュー、1996年からは全日本F3選手権に参戦して翌年にはチャンピオンを獲得した。ここからフォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権にステップアップ、日本での活躍は多くのファンも知るところである。

2000年代前半は再びヨーロッパに戦いの場を移し、ル・マン24時間やFIA GT選手権、ETCC(ヨーロッパ・ツーリングカー選手権)などで活躍。そして2005年に発足初年度のWTCCに参戦、2010年までセアトのステアリングを握って戦ってきた。2011年から2013年はBMW、そして2014年はTC1規定のシボレーを駆っての参戦となる。

日本での豊富な経験もあることから、2009年に初めて日本で開催された岡山国際サーキットの初戦でインディペンデントクラスを制した。さらに2011年の鈴鹿(東コース)初戦と2013年には総合優勝を飾り、日本ラウンドでの強さが際立っている。今年の舞台となる鈴鹿フルコースも経験値は他のドライバーより大きいため、優勝候補の筆頭とも言える存在だ。

トム・チルトン 選手 [ROAL Motorsport]

[Photo]

1985年3月、イギリスのライギット生まれ。
F1に参戦する弟のマックス・チルトンとともに、レーシングドライバー兄弟として知られている。世界的な大手保険会社の幹部だった父の下、14歳で当時のイギリスにおけるモータースポーツ史上最年少でレースデビューを果たす。

2002年からはBTCC(イギリス・ツーリングカー選手権)に参戦、イヴァン・ミューラー選手らとバトルを演じて注目を集めた。BTCCは10シーズンを戦い、2010年にはインディペンデント部門のタイトルを獲得。この結果もひとつのきっかけとなり、2012年からWTCCへとステップアップを果たした。

2012年はフォード・フォーカスでの参戦だったが、2013年にはシボレー・クルーズでイヴァン・ミューラー選手とチームメイトに。後半戦に入り、アメリカと中国(上海)で優勝を飾って存在感を見せた。2014年はトム・コロネルとチームメイトになり、クルーズTC1をドライブ。第17戦の北京で優勝し、2年続けて中国で強さを見せた。



ホンダ・シビックWTCC – ホームコースで期待される表彰台独占!!

[Photo]

2012年の日本ラウンドからWTCCに本格参戦しているホンダ。それ以前にはJAS Motorsportがアコードを走らせていたこともあり、2008年にはイタリアのイモラ・サーキットでジェームス・トンプソン選手のドライブにより優勝を飾っている。日本のレースファンには嬉しいニュースとなったWTCCへの参戦、欧州シビックをベースにしたマシンはデビュー5戦目のマカオで初表彰台を獲得。そして2013年のスロバキア戦ではファン待望の初優勝、表彰台独占で華を添えた。

2014年はTC1車両にスイッチ、中心となるCastrol Honda WTCC TeamのほかZengo MotorsportとProteam Racingからも含めて4台がレギュラー参戦。大ベテランのガブリエレ・タルクィーニ選手とティアゴ・モンテイロ選手、そしてハンガリーのヒーローであるノルベルト・ミケリス選手とモロッコのヒーローであるメルディ・ベナニ選手という、ドライバーラインナップ層の厚さも大きな期待が寄せられてきた。

今シーズンはアルゼンチン戦を終えてからのアップデートで戦闘力を高め、先の上海で今季初優勝。そして迎えるのはホームコースの鈴鹿、昨年もミケリス選手が第1レースでポール・トゥ・ウィンを飾っており、優勝のみならず久しぶりの表彰台独占にも期待が高まっている。


DRIVER PROFILE

ティアゴ・モンテイロ 選手 [Castrol Honda WTCC Team]

[Photo]

1976年7月、ポルトガルのポルト生まれ。
1997年にフランスのポルシェカレラカップでレースキャリアをスタート、20歳と近年のトップドライバーとしては遅めのデビューであった。しかし、その後はフランスF3やFIA F3000へとステップアップを果たして、2002年にはルノーF1チームの育成ドライバーにも選ばれている。

2003年にはアメリカでCARTに参戦。翌年は再びヨーロッパに戻り、ワールドシリーズ・バイ・ニッサンでシリーズ2位の成績をおさめた。この実績が認められ、2005年にはジョーダンでF1のシートを獲得。年間18戦全てを完走するという史上初の快挙をなし遂げ、安定した速さをアピールする。

WTCCへの参戦は2007年からで、セアト陣営の一人としてレオンのステアリングを握った。WTCCデビューとなったオランダ戦ではセアト勢の最上位となる4位でフィニッシュ。翌2008年のブラジル戦で、悲願のWTCC初優勝を飾った。そして2012年、シーズン途中でホンダに移籍、鈴鹿でのシビックのデビュー戦では第2レースで3位表彰台を獲得している。

ノルベルト・ミケリス 選手 [Zengo Motorsport]

[Photo]

1984年8月、ハンガリーのモハーチ生まれ。
2006年にハンガリー・スズキスイフトカップでチャンピオンを獲得すると、翌年もハンガリー・ルノークリオカップのタイトルを手中におさめ、一躍注目を集めた。2008年にはセアトレオン・スーパーカップと同・ユーロカップに参戦、ハンガリーでのスーパーカップでは年間3勝をあげてランキング2位の成績をおさめる。

WTCCへのデビューは2010年、Zengo-Dension Teamからセアト・レオンのディーゼルターボを駆っての参戦。同年は岡山国際サーキットで開催された日本ラウンドで初めての表彰台に立つと、続く最終戦のマカオ・第2レースではアクシデントも多発するタフな展開の中で初優勝を飾り、同年のルーキーチャレンジのチャンピオンに輝いた。

2011年と2012年はBMWのステアリングを握ってWTCCに参戦を継続。2012年には母国・ハンガリーで優勝を飾り、地元ファンの大喝采を浴びた。2013年からはチームがシビックにマシンをスイッチ。同年の日本ラウンド第1レースでは見事なポール・トゥ・ウィンでホンダのホームコースで表彰台の真ん中に立ったことは記憶に新しいところだ。



ラーダ・グランタ 1.6T – 悲願の初優勝で勢いに乗るロシアの赤い彗星!!

[Photo]

ロシアのアフトバス社、その輸出ブランドであるラーダ。日本には過去、ヘビーデューティな4WDの「ニーヴァ」が少数ながら輸入されたこともあるが、一般的にはWTCC参戦メーカーの中で最もその名を知る人が少ないブランドだろう。元々はソビエト時代からの重工業メーカーであり、自動車のほかにも軍需製品などを製造している。近年は旧東欧諸国のみならず、積極的に輸出展開も図っている。

そのような背景もあり、マーケティング効果も狙ってWTCCに参戦を果たしたのは2008年。2シーズンに渡るマニュファクチャラー体制での挑戦は、古典的4ドアセダンのラーダ110でスタートし、その後はプリオラにスイッチしたが、2009年いっぱいで撤退してしまった。

しかし2012年にスポットで復帰すると、2013年からは再びフル参戦を開始。マシンも最新のグランタとなり、2013年はシングルポジションも獲得する戦闘力の向上が目立った。そして2014年、満を持してTC1規定のグランタを開幕から投入。チャンピオン経験者であるロブ・ハフ選手も加わり、アルゼンチンで2位フィニッシュを果たして初表彰台を獲得すると、続く中国・北京の第2レースでは悲願の初優勝。勢いに乗るラーダが日本でどのような活躍を見せてくれるか、楽しみな存在である。


DRIVER PROFILE

ロブ・ハフ 選手 [LADA Sport Lukoil]

[Photo]

1979年12月、イギリスのケンブリッジ生まれ。
古くからのWTCCファンにとってはシボレーのイメージも強いハフ選手は、2005年のシリーズ発足から長くシボレーのステアリングを握り続けてきた。シボレー陣営では常に最若手という存在だったが、初年度以外は毎年優勝も飾っており、後のシボレー黄金期を支える一角となる。

しかし、なかなかシリーズチャンピオンには手が届かず、シボレーがメーカーとして撤退を発表した2012年を迎える。この年、序盤は勝ち星に恵まれなかったものの、中盤以降で優勝を飾りチームメイトのミューラー選手と激しいタイトル争いを展開。その行方は最終戦のマカオに持ち越され、最後の最後でミューラー選手を退けて悲願のWTCC初タイトルを手中におさめた。

2013年はセアトを駆り1勝を挙げるもシリーズランキングは4位。そして2014年、ラーダへと移籍してTC1車両の開発にも携わり、アルゼンチンでのラーダ初表彰台獲得から、続く北京での初優勝へとつなげた。WTCCには初年度から皆勤賞を続ける数少ないドライバーの一人だが、意外なことにミューラー選手と同じく日本では岡山時代を含めて優勝経験を持たない。それだけに戦闘力を高めたラーダで日本での初優勝を飾るから注目のポイントとなる。

ジェームス・トンプソン 選手 [LADA Sport Lukoil]

[Photo]

1974年4月、イギリスのヨーク生まれ。
レースキャリアではBTCCでの活躍が長く、1994年から2004年までの11シーズンを戦い、その間に2回のチャンピオンを獲得。また、史上最年少優勝記録を塗り替えるなど、一時代を築き上げた。そして2005年、発足したWTCCにアルファロメオのワークスドライバーとして参戦。1勝を挙げてBTCC時代と変わらぬ活躍を見せる。

2006年にはセアト、2007年には再びアルファロメオを駆った後、2008年にはホンダ・アコードのステアリングを握る。そしてイタリア・イモラでの一戦で優勝を飾り、ホンダ車のWTCC初勝利という記念すべきチェッカーを受けた。

ラーダとの関係は2009年、同社のWTCC参戦第1期にはじまる。この年、プリオラを駆って6位のベストリザルトを残した。ラーダの活動休止に伴いトンプソン選手もWTCCから一度は離れたが、2012年からのラーダのWTCC第2期で復帰。グランタの開発と熟成も担い、もちろん今季デビューしたTC1規定車両のデビューにも大きく貢献している。