河口まなぶ「思い立ったら、吉日。」前編

河口まなぶ「思い立ったら、吉日。」前編

取材のため待ち合わせた都心のカフェで、ブルーのギンガムチェックの後ろ姿に声をかけた。

「あ、どうも」

「目尻に深いシワが刻まれた、人懐こい笑顔がこちらを振り返った。

モータージャーナリスト、河口まなぶ。

ニューモデルの試乗、原稿執筆、動画の制作、イベント企画など、あらゆるジャンルにまたがり精力的に活動する彼は、じつはこの「The Man of A40」の取材、執筆者でもある。

“A40”とは、歳を重ねてもなお前向きに、自分を律し、鍛え、高みを目指しす大人の男のことを指す。その半生における紆余曲折や心持ちをありのままに語ってもらう、というのが「The Man of A40」という企画だ。

ひとつの記事が完成するたびに「次は誰に話を伺おうか…」と頭を悩ませるが、あるときふとこんな思いが頭をよぎった。

「じつは河口まなぶという男こそ、A40を代表する一人ではないか」と。

かくして今回の「The Man of A40」は、いつも聞き手を務める河口まなぶに、わたくしADVAN A40幹事である伊藤が話を聞くという、イレギュラーなスタイルでお届けしようと思う。

河口は1970年、茨城県の古河で生まれた。日本の自動車産業が急成長の真っ只中にあった時代。誰もがクルマに憧れ、マイカーを手に入れることを夢見ていた。河口の親も例に漏れず、クルマ好きだったという。

「親父はベレットとかハコスカとかに乗っていました。少しやんちゃなクルマですね。だから僕の幼い頃の写真はそんなクルマと一緒に撮ったものばかり。そういえば初めて乗った“ガイシャ”は、知り合いのおじさんが持っていたナロー・ポルシェでした。加速のとき、背中がシートにめり込んでいくような感覚に衝撃を憶えました」

河口の“クルマ好き”の原点は、こうした環境に醸成されたのだと言える。そして育った地域の環境もまた、恵まれていた。

「当時の自宅付近はのどかで、週末になると筑波サーキットを走るレーシングカーの爆音が風に乗って聞こえてきました。そこから次第に興味を抱きはじめ、親父に連れてってもらうようになりました。TSサニーなどがバリバリと走っていた時代です。グランドスタンドに座って最終コーナーを立ち上がってくるマシンを眺めていると、クルマの顔より先に“お尻”が見えてくる。なんで?と驚きました。それが“ドリフト”だと知るのはもう少し後のことですが、あれは衝撃でしたね」

そのころ男の子たちが夢中になったのはトミカ、ラジコン、サーキットの狼……。まさにクルマが興味の中心だった時代だ。河口がクルマ好きになっていったのも、当然の成り行きだったと言える。だが決して、クルマへの道一直線だったというわけではない。年ごろになると、自然にさまざまな世界へと目が向いていった。

「部活は野球部やハンドボール部という体育会系でしたが、詩や小説、絵画やグラフィックなどのアートも好きで、じつは中学時代はパソコン少年でした。中学校の文集には“将来、プログラマーになりたい”と書いたぐらいですから」

文章を書くことも苦ではなく、むしろ好きなほうだったという。クリエイティブなことへの興味が芽生えはじめ、エッセイや詩を書いては、「これに挿絵を付けてみよう」と、仲間うちで盛り上がるようになった。

書いた文章にイラストを添え、ひとつのストーリーにする。そんな行為を繰り返すうち、仲間同士で作り上げた一冊の“本”が出来上がった。それを校内で配るのは、河口や仲間にとって「知的好奇心を満たす遊び」だったという。きっとそれは、自動車ジャーナリスト、河口まなぶの原点となっていたのだろう。

ちなみにこのグループの中には、20数年後に「LOVECARS!」や「大人の自転車部」のロゴをデザインすることになる金子敦氏(日産セレナのCM「モノより思い出」のアートディレクター、のちにアメーバのロゴもデザイン)もいた。いま思えば相当クリエイティブな高校生達だったに違いない。

中、高校生時代、こうした文化系な活動に熱中していた河口まなぶは、大学進学のさいの志望校に日本大学芸術学部を選ぶ。いわゆる“日芸”である。

「“表現すること”に対する興味が、強くなっていたんですよね」

“日芸”とは、日本の錚々たるアーティストを輩出してきた学校だ。そんな文芸、絵画、音楽、映像、あらゆるジャンルで才能を持つ者が集まる場所で、河口はあらたな刺激を受けていく。

しばらく忘れていたクルマへの興味が再燃したのも、大学に入って間もない頃だった。

「ある日、ふらふらと道を歩いていたら、フィアット500(=チンクエチェント)が置いてある欧州中古車店があった。それを見た瞬間『これだ!』と思ったんです。次の瞬間には、『すみません、ここでバイトさせてください』とドアを叩いていました」

「アルバイト募集」の貼り紙があったわけでもなく、その時点では運転免許すら持っていなかったのだから、なんとも直感的で、そのあとさきを考えない行動に驚かされる。(それはいまもって、彼の“武器”でもあるのだが……)

そのゴリ押し交渉(?)が功を奏し、河口はこの中古車店で働くことになる。これが後にクルマ業界での活躍につながるとは、もちろんこのときは想像もしていなかった。

「その中古車店にたくさんの雑誌が置いてあった。その頃は自動車専門誌だけじゃなく、ファッション誌にもクルマのページが増えていました。当時の「チェックメイト」誌に徳大寺有恒さんの連載ページがあったんです。そこで“花屋の前に止まっているVW ゴルフ”の写真が見開きで掲載されているのを見て、またもやこれだ!と」

その「花屋の前のゴルフ」は、一瞬で河口を虜にした。走りもスペックも一切関係なく、琴線に触れたのはその“佇まい”というほかなかった。

だが新車のゴルフなど、学生には到底手の届かない高嶺の花。そこで彼は自分の父親にゴルフを薦め、しばらくしてから「お下がり」でこれを手に入れるという作戦をを画策する。

そして河口はついに、自分の愛車、VWゴルフを手に入れることになる。こうした話を聞いていると、彼はこのころから、思いついたことは即行動に移し、それを実現していくタイプだったということが分かる。

理屈でシミュレーションすることを本能的にに避けるいっぽうで、アタマのどこかで緻密な計算を行っている。このバランスのとり方に、ビジネス・クリエイターの片鱗を感じさせる。

そしてこの後、河口まなぶは多くの人に出会い、その幅を広げていくことになる。

後編はこちら

【文・伊藤邦彦(A40幹事)/編集/河西啓介(NAVICARS編集長)/写真・菊池貴之】

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